漫画みたいな毎日。「大人もたくさん失敗した方がいい。」
大人になったら、失敗しないか。
いや、失敗する。
むしろ、その失敗の度合いが大きくなっているとさえ思える。(自分比)
家の中で、お皿や茶碗を一番割るのは私だ。
他にも、何かをひっくり返って、「わぁ!」「ギャア!」と大きな声を挙げて、「どうした?!」「大丈夫?!」と家族が駆け寄るという構図が出来上がっている。
いつだったかのお節作りの時にも、レシピの塩の量を間違えてしまい、
南瓜の伊達巻の生地が誰も食べられないくらいに塩辛くなってしったこともあった。自分の勘違いがオソロシイ。
子どもたちの中では、おそらく、「お母さんは、うっかり。おっちょこちょい。」と思われていると思う。
敢えて、自己弁護も兼ねて言わせていただけるなら、「それくらいで、丁度いいんだってば。」である。
完璧な大人など居ないし、そんな大人であろうと思うこともない。
子どもたちが、幻想を抱かなくていいじゃないか!と思っている。
できることもあれば、できないこともある。
うまくいくこともあれば、いかないこともある。
元気なときもあれば、落ち込むこともある。
大人だって、ただのひとりのひと、だから。
でも、なんだかんだと、そこからリカバリーしてやっていく。
そんな姿を見せてもいいのだ。
むしろ、そんな姿をみてもらった方がいいとさえ思っている。
大人だから、カッコイイわけじゃない。
結構、ダメだったり、情けなかったりするけど、
自分の心地よい自分でありたくて、もがいている。
親が一見、完璧であるように見える場合、子どもたちは、将来その理想像に苦しんだり、パートナーにそれを求めることもあると聞く。
我が家では、そんな心配はない。
だって、どこか抜けてる私がお母さんだから。
幻想や理想を抱くことも期待もしないと思う。
夫の母は、なんでも完璧にこなす様子のお母さんであるが、夫が私にそれを求めることは一切ないので、それはそれはありがたいことである。まぁ、求められたところで、「無理!!!」と私が暴れて、ちゃぶ台返しでもしかねないことを夫は知っているだろう。
大人だって、子どもにちょっと毛が生えた程度の生き物だ。
大人も片肘張って、子どもたちに良いトコ見せようとかしなくてもいいのだと思う。
そもそも、子どもたちは、見抜いている。
冷静に大人を観察している。
無理してでも、肩で風きって、強がって、守らなくちゃならないこともあるけれど、そこまでして守るべきものは、そう多くないのだから。
学校に行かない選択をしたこどもたちのさらなる選択肢のため&サポートしてくれた方も私たちも、めぐりめぐって、お互いが幸せになる遣い方したいと思います!