漫画みたいな毎日。「集積する時間~偶然の重なり~」
美術館で展示をされている版画家・艾沢詳子(よもぎざわしょうこ)さんが講師として開催してくださったワークショップに子どもたちが、参加させていただいた。
寒空の四月。
ワークショップは美術館の中の一室で行われるとこのとで、子どもたちと「寒い、寒い」と小走りして駐車場から美術館へと足を早める。
美術館までの道のりの木々の上や水路、池の中に白いものが飾られてることに気がつく。なんだろうと近付いて見てみると、それは、紙と蝋で作られた艾沢さんの作品だった。まだ葉の出ていない木々に白い花が咲いているように見える。花のようにも、白い生き物、鳥や妖精のようにも見える。風の強い日だったので、糸で結ばれたその「何か」は、ひらひらと空を舞ったり、くるくると踊るように回っていた。
ワークショップの会場では、前の回の参加者の方がまだ作業をしていたので、私たちは、ミュージアムショップを観に行ったり、作業の様子をちょっと覗いて時間が来るのを待つ。
ワークショップは、「キャンディ・プロジェクト」というもので、紙とロウを使ってオブジェを二つ作り、一つは展示され、一つは持ち帰れるとのこと。
テーブルに案内されると、そこには、テイッシュペーパーのような薄い紙が大小二種類、緩衝材に使われるプチプチの大小二種類が各二枚とワイヤーが個別に用意されており、他には油性のカラーマジックと様々な色の糸が置かれていた。
艾沢さんのレクチャーが始まり、小さいティッシュに好きなように、模様でも絵でも、描いてよいとのこと。
末娘は、緑で点を描く。
ひたすら点を描く。
緑の次は青。
次は水色。そして、黒。
ピンク、黄色・・・と真剣に、静かに、点を描く。
そこには、計算など見当たらない。
それが私には心地良く感じられる。
描きたいように
感じるままに
描き終えたら薄いティッシュを2枚に分ける。破れないように、そっと。
一枚だったティッシュに描かれた模様は、ニ枚に剥がしていくと、滲んで広がっていたり、色の濃さも全く同じてはない。
どんなに、計算したとしても、同じにはならないのだろう。
次に、キャンディの中身となるように、緩衝材を好きな形に丸め、ティッシュでそっと包んでいく。ティッシュの端をキャンディ包みのように絞る。きゅっとだけれど、そっとそっと、きゅっ、と絞る。
きゅっと絞ると、本当に絵本に出てくるようなキャンディーの形に近いものになる。
小さいものは、キャンディーの形に近いもののまま、ガスコンロの上に置かれ、鍋の中でゆるゆるに溶けたロウに浸し、ロウが付いたら鍋から持ち上げて、ロウが切れるのを静かに待つ。ロウがぽたぽたと、鍋の中に戻っていく。
ぽたり
ぽたぽた
ぽたり
ぽたん
ぽ たん
ロウの動きも予想はつかない。
すべては偶然性が織り成す形。
ロウが付いたら紙は半透明になり、描かれた模様や色が静かに閉じ込められたようになる。
大きなサイズの紙には、ワイヤーを通し、最後は、好きな色の糸を、括っていく。模様を描くことにも、ワイヤーの使い方、糸の括り方、いずれにも、決まり事は、ない。
形ができあがったら、小さいものと同じようにロウの入った鍋の中に浸して、ロウが切れるように持ち上げ、ロウが紙や糸やワイヤーに浸透したり、伝わって動きを見せる様子をじっと待つ。
括った糸や、はみ出したワイヤー、千切れかかった紙が、ロウと混ざり合ったときに、再び偶然が重なり、糸にもロウが付き、糸が太くなったり、ロウが糸を伝って垂れ、また形を創り出す。
アートとは、表現する側の意図している「何か」と、受け取る側の「何か」が、すべて一致することは皆無ではないだろうかと私は思っている。そもそも、それが前提としてあるのではないだろうか、と。しかし、一致はしなくても、共通した「何か」が、言葉にはならなくとも、作品を通じ、行き来している気がする瞬間というものがある気がしている。
展示室の壁にはたくさんの参加者が造ったキャンディが飾られていく。
同じものはひとつとしてなく、ひとつ作品が増えるたびに、形が変わっていく。
偶然の重なり。
艾沢さんの展示のタイトルでもあるように、「集積する時間」の形のひとつがそこに現れたように感じられた。
言葉にはならない何かが重なっていく。
知らない誰かと、私たちの何かがそこに集う。
出逢っていないけれど、出逢っている。
それぞれの偶然と時間が集積する空間。
目に見えないけれど、確かにそこにあるもの。
偶然の集まりは、時間の流れを緩やかにし、いつもは見逃してしまう点や線や色が鮮明になる空間となっていた。
ふわふわと、
ゆらゆらと、
偶然を受け入れながら、
私たちは、もっと思い思いに生きていけばよいのだ。
子どもたちが造ったキャンディという形の「集積した時間と偶然の重なり」の半分は、美術館でまた誰かと、何かとの時間を重ねてくのだろう。
もう半分の「集積した時間と偶然の重なり」を手に、私たちは美術館を後にした。
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