学校に行かないという選択。幼稚園には行ってます。「この瞬間を味わう為に、私はここにいるのかもしれない。」
これまで、2年ほど、遠ざかっていた幼稚園に、末娘が「行きたい」と言い出し、母が腹を括って通い始めるまでのことはこちら。
今日から、GWで幼稚園も10日間ほど休みである。
4月から末娘は、毎日、「今日は幼稚園行く?」とそれはそれは楽しそうに幼稚園に通っている。園バスもあるのだが、我が家は、幼稚園まで車なら5分もかからず、それなりに坂道が急な場所もあるが、歩いても30分はかからない。基本的に幼稚園には、歩いて行き来している。子どもたちの運動、というより、これは母の運動である。
末娘には、欲しいものが、たくさんある。
ユニコーンの絵柄がついてる水筒、ユニコーンの絵柄の洋服・・・あたらしいいリュックも欲しいな、とつぶやいている。買い物好き女子の血が感じられる。
「園バスに乗らないと、買える可能性が高いよ。」長男と二男に、そう吹き込まれ、アドバスされ、末娘はやる気になっている。園バスに乗ると、片道300円である。往復600円。これは、利用費だけでなく、園バスを維持する協力費の意味合いもある。
私としては、歩くことは車やバスに乗っていたら気が付くことがない、小さな発見がたくさんあるので、それが楽しい。季節の花や葉、落ち葉や小石、小さな生き物たちとの遭遇。
そして、痩せる可能性がある、と思っている。加えて末娘が「歩いてでも幼稚園に行きたい」と思っているというモチベーションがあるのも大事なのではないかと思っている。
なんだかんだと幼稚園通いを再開し、2週間が経とうとしている。
新しい家族、親も子どもも、たくさん登園している。
長男が通い始めた10年以上前もそうだった。
たくさんの親子の名前が覚えられず、親子の組み合わせを認識することにも時間がかかった。その頃は、必死に名前を覚えよう、相手の名前を呼び、コミュニケーションを取ろうと思っていた気がする。
今は、私の加齢もあるのか、名前がまったく頭の中に入ってこない。
正直に言うと、敢えて覚えないことにしていることも大きい。
人の顔や名前を覚えるのは、どちらかと言えば得意である。
人間観察は、趣味だ。
しかし、敢えて覚えないことにしたのだ。
情報が多すぎると、そこからいろいろ判断しようと私の感覚が自動的に作動してしまう可能性が高いから。
覚えようとしなくても自然に入ってくるものだけを、受けとめることにしている。
ある天気のよい午前。
末娘はトランポリンに先客があり、近くに雪解け水が流れだしている場所で、二男と一緒にダムを作ったり、長靴で水に入って、トランポリンが空くのをゆるりと待っていた。
私も二男の指示の下、時々勢いよく通り抜ける自転車の勢いで決壊するダムをせっせと直していた。
しゃがんでダムを直していると、視線を感じたので、ふと顔をあげると、そこには、やっと歩き始めたくらいの子がこちらを見ていた。じーっと私の動きを見ているようだった。
裸足で下着姿で、まだやや冷たい雪解け水の感覚を味わっていた。歩きはじめたばかりの様子のその子は、何歩が足を進めるが、おっとっと、おっとっと、とバランスを崩して、尻もちをついた。
彼女は私をじっとみている。
私も彼女をじっとみている。
しばらくそんな時間が続き、彼女は、黙って私に手を伸ばした。
私は、黙って頷き、彼女の伸ばして手をとった。
うんしょ。
彼女が、立ち上がろうとした瞬間に発した小さく可愛らしい掛け声が耳に届き、私は小さく笑ってしまった。
立ち上がった彼女は何事もなかったように、また水の中を歩く。
私はまた、視線を落とし、ダムの補修作業を再開した。
すると、また視線を感じる。
彼女は私の手元のシャベルを見ている。
じーっと
じーっと
見ている。
私は手を止め、彼女と視線を合わせる。
「・・・使う?」
と私が、シャベルを差し出すと、彼女は、うんうん、と頷いて、シャベルを受け取った。そして、そのシャベルで水をかき混ぜたりしながら、遊び始めた。
時間にしたら、数分の出来事。
でも、私は思った。
「こういう瞬間を味わうために、私は子どもたちと幼稚園に通っているんだ。」
こどもたちを交わす視線。
ことばではない、どこかで通じ合った感覚。
我が家の子どもたち以外の子どもたちと、こういう交わりができることは、
私の心の喜びである。
ことばにならないけど、私たち、ちょっとだけ、交わったね。
お互い、名前も知らないけど、時間と感覚をちょっとだけ共有したね。
我が家の子どもたちとも、たくさんこの感覚を共有してきた。
言葉に現すのが、難しい
言葉にしてしまうのが、勿体ない
でも、そこに在る
そんな感覚。
雪解け水が太陽の光を反射して輝くような時間。
私が幼稚園に通うのは、そんな感覚を、子どもたちと共有するためでもあった。
私は、その為に、ここに来ているのだ。
それを思い出した瞬間だった。
小さな交流をした彼女から、真剣に水と遊ぶ我が家の子どもたちに、視線を戻し、彼らの眩しさと、太陽が雪解け水に反射した眩しさとで、目を細めたのだった。
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