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漫画みたいな毎日。「気をつけて、って言わないで。」

ある日の夕食の食卓での出来事。

6歳の末娘が、自分で水の入ったガラスのピッチャーからコップに水を汲もうとしていた。

「気をつけてね、」

私は何気なく声を掛けた。

というのも、末娘が水を汲む過程で、角度によっては、彼女の手が当たってピッチャーが他の物に当たって、上手く水が汲めない可能性があるなぁと瞬時に判断してしまったからだった。

大人としてそれなりに様々な経験を経て、〈予測〉がつく。あぁ、ここでこう動いたらこぼすだろうな、倒すだろうな・・・と。

そしてそれによって起こる出来事、物が濡れたり汚れることを回避したいという意識が私の中にあるということなのだろう。

声を掛けてから、〈あ、余計なこと言ったな、〉と後悔した瞬間と同じタイミングで末娘が口を開いた。


「気をつけてね、って言われると信用されてない気持ちになるから言わないで欲しい。」


真理だ。

返す言葉もない。

ぐうの音も出ない。


子どもたちは、〈気をつけてね〉と言われることで、〈自分が心配される存在である〉と感じるのだろう。そして、大人は無意識に〈子どもとは大人にとって心配されるべき存在であるべきだ〉と位置づけてしまう。

それは、ひとりの人間に対して、とても失礼なことだと私は思っている。


子どもたちが自分でやってみたことに、失敗などないのだ。失敗だと感じてしまうとしたら、それな大人が〈それは失敗だよ〉と感じさせてしまっているのでないかと思う。

ものごとに、失敗などない。すべては過程で、経験でしかないのだから。

自分の経験から予測がつくからこそ、大人は余計なことを言わず、黙っていなくてはいけないのだ。

口からこぼれ出そうなあらゆる言葉が、この唇から放たれることがないように、きゅっと口を結んでいよう。

子どもたちの経験をできる限り奪わないように。


ヘッダーはみんなのフォトギャラリー・nouchiさんのイラストをお借りしました♪ありがとうございます♪


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