漫画みたいな毎日。「オトナギライ。」
私は、大人が嫌いである。
子どもの頃から、「大人」というものを好きだと認識したことがなかった。
「早く大人になりたい」と強く願ったのは、自分が大人になることで、嫌いな大人たちと一線を画すことができると思っていたからだ。
6歳の私は決意した。
「早く大人になろう。」
我が家の子どもたちは、「大人になりたくな~い」と口を揃えて言う。
「もっと子どものままでいたい!」と。
大人の姿を見ても大人になることへの希望が持てないでいるのだろうか・・・そんな背中しか見せられていないのかもしれん、と、申し訳無さと、自分へのがっかり度も上がる。
しかし、一方で、
「子ども時代を目一杯味わっているのだなぁ。」とも感じる。
そんな子どもたちを羨ましく、眩しく、しあわせに眺めている。
幼稚園への登園を再開して3ヶ月が過ぎようとしている。
大人嫌いは加速しており、なかなかスピードが落ちない。
だが、私も一応、大人なので、大人とのコミュニケーションを余儀なくされている。
素敵な医師であり占い師であり、革命家であり、モテ界の横綱であるnoter・渡邊惺仁さんのご子息に伝授された「大丈夫。ありがと。」を駆使しているが、それとは別の部分で、今の私に求められている役割もあるようだと感じている。
私が2年間幼稚園に殆ど通わなくなる前から、幼稚園での生活を共有してきた方々に、よく話しかけられるのだ。
私の知らない2年間、私の知らないところで、多くの人が悩み、困惑し、なんとかそれを受け流したり、もがきあがき、時には打ちのめされてきたことを話の端々から感じる。少なからず、自分の中にもそんな葛藤があったな、と共感している。
そして、聞かれる。
「幼稚園の現状をどう感じてる?」と。「やっぱり、前とは違うよね?」と。皆、少なからず、変化に傷つき、戸惑っているのだ。「自分がここでどう在るか、迷っているんだよね・・・。」と言葉を終える。
私は、誤魔化すことなく答える。
この変化はもう、止まることはないと思っていること。
他の人がどうとか言っても、相手を変えることはできないと思うから、自分がどう在るか、何を大事にしたいかを日々通いながら、考えていること。
私は、「子どもたちとの時間を楽しむこと」が、最優先事項で、正直、それ以外に幼稚園で優先すべき事項は皆無だと思っている。
かろうじて、加えるなら、「子どもたちを守るべく、悪くない関係性を構築すること」も必要だと思ってはいるけけれど、頑張って必要以上に良くしようとは思っていない。
悪くないということが重要だから。
何故なら、子ども同士、あるいは大人同士の間で何か不調和が起こったとき、この「悪くない関係性」は効いてくるはずだと思うからだ。
ここ数日、そのような話を数名の保護者と繰り返している。
「けいこちゃん、明日からも、ちゃんと来てね!」
「顔見るだけでも、安心するからさ~!」
そんな風に言ってもらっている。
ス、スミマセン。何かって言うとサボろうとして・・・。
特に何もしていないのに、そう言ってもらえることは、ありがたいと思う。
「悪くない関係性」を築くことが出来ている人が、数名はいるのだから。
それぞれの抱えるものを引き受けることはできないけれど、私がそこに在ることで、ちょっとでも元気になれる人が居てくれるなら、私の通う意味は、知らないうちに、少し増えているのかもしれない。
大人の中の〈その人となり〉を感じられる時、私の「オトナギライ」は少しずつ、影をひそめるのだ。
学校に行かない選択をしたこどもたちのさらなる選択肢のため&サポートしてくれた方も私たちも、めぐりめぐって、お互いが幸せになる遣い方したいと思います!