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#佐久間ナオヒト
君のそれを見せてほしい。
長かったホテル療養も明日の朝で終了。
やらなきゃいけないこともホテルの外に置いてきてしまったりしたので、とりあえず、VOD(なんと無料)を見まくろう!と決意。
とはいえ、カーアクションのすごいものと他数本を見ただけで力尽きました。
でも、まぁ本当にすごいなぁ。
一人で作ってるんならまだしも、共同作業としてあれを作り上げるのって、どうやってイメージの伝達と共有をしてるんだろうか。
推測
どんな時も「光」を探す
日付入りの写真を撮っている。
世の中がコロナ禍になってから、公私共に写真が撮れていなかった自分に対して、とてつもない焦りを感じつつ、なかなか思考のループから抜け出せないでいた。
考えて考えて考えた結果、理由はないけど、「日付入りの写真」を撮ろうと思った。
そして毎日を写真に収めていく生活が始まって約1ヶ月、まさかのホテル療養。
「・・・また写真が撮れないじゃないか。」という不安は、不思
自分の中の価値観を変えろ!
と、いつもは使わない命令形でタイトルを書いてみましたが、今回ホテル療養ということで、普段の生活と比較すると圧倒的な制限の中での生活を強いられます。療養ですから当然です。
例えば食事。
僕の場合、初日は夕飯から始まりましたが、二日目の夕飯が前日ととても似ていたので今後の想像がつきました。きっと明日の朝食は食パンだ、と。
予感は的中。でも大丈夫。朝はご飯派の僕だけど、きっと大丈夫・・・。
「写真のリハビリ」始めました。
もう長いこと仕事で写真を撮ってきた。
依頼があることで、今まで行けなかった場所、普通なら話す機会もない人と出会い、その経験が僕にプライベートな作品を作る助けになっていたように思う。
でも、仕事の写真を撮れば撮るだけ、手垢のようなものがついてきている気がしてならなかった。
「手垢」について別の言い方をすると、
「他人の価値観による上手な写真」
なのかもしれない。
写真のリハビリと
「写真を仕事にする方法」
昨晩、写真家の青山祐企さんに誘われて、「写真を仕事にする方法」というテーマで対談したのですが、どうもうまくまとめることができなかったので、noteに自分の考えを今一度整理しておこうと思います。
ちなみに聴講者はこれから写真を始める、もしくは駆け出しのフォトグラファーでした。
大分類として、「写真とは」「仕事とは」の二つを考える必要があると思っていて、さらにそれぞれが「マインド」「スキル」に
物議をかもした「ハイヒールで着物の帯をふむ」広告について思うこと。
ヴァレンティノの広告についてちょっとっだけ話したいです。
批判する人、どちらでもいい人、擁護する人などいろいろな意見があって、どれもそうだよねって思いました。
変遷を細かく書いていたら文書が途方もなく長くなってしまったので省力しますが、最初にこのニュースを小耳に挟んでから、自分の中で咀嚼していく中で、僕の気持ちは「どちらでもいい」→「擁護」→「批判」→「・・・」へと変わっていきました。
「正解」の安心と苛立ちと悩み。
専門職であれば必ず経験したことがあると思うんですよね、この問題。
例えば、フォトグラファーである僕においてはこんなこと。
「佐久間さんってフォトグラファーなんですよね。私もカメラ好きなんです。」
写真とカメラを同義で語るパターンですね。
『「写真」はカメラによって映された「イメージ(像)」』
『「カメラ」は写真を作るための「機械」』
です。
最近気になるのが、「マーケティング」とい
笑顔だけが「いい写真」か。
フォトグラファー・佐久間ナオヒトです。
今日は僕が駆け出しのフォトグラファーだった頃の話です。
もう10年以上前の話なのですが、これはいつの時代にも変わらないことだと思うので書いてみたいと思います。
仕事上の写真に限定していうと、「いい写真」とは「必要に応じられる写真」のことだと思います。
その企業は毎年株主向けに、年次報告書を作成していて、その報告書用の社長のポートレート撮影をご
その「できる」、本当にできる?
今日の話はフリーランスになりたて、もしくは、なろうと考えている人には真剣に考えてもらいたいことです。
大人になれば、ゆで卵でも、インスタントラーメンでも、サラダでも、自分が食べるものを何かしら一つは用意できるはずです。
プライベートにおいてこれを「料理ができる」と言っていいかどうかはそれぞれの基準があると思いますが、もしこれが仕事上の会話であるなら、「できる」と答えていいでしょうか。