第9話「幸凶死篇」上

 父上、母上、兄弟達へ。

 これが貴方たちとの、この世界との最後の繋がりになることを、どうか、どうかお許しください。
 三十路を境に旅立つ自分をお許しください。

 こんな烏滸がましい事、私の口から直接言えず、このような形で伝える事、大変心苦しく思います。

 自分はただ、人生に疲れただけですから、「ああ、あいつは死んでしまったのか」と他人事で終わらせてください。そして、自分がこの世を去った後には、綺麗さっぱり自分の事をお忘れください。

 縁や情などは切り捨ててください。この世に生んでくださった、育ててくれた恩を、仇で返すような行為に懺悔のしようもありません。不甲斐ない結果となり申し訳ありません。

 どうか私の為に泣かないでください。
 私に対する後悔の気持ちなどは、消せるのならば一片たりとも残さず生きてください。皆を裏切った自分に感謝の気持ちなど、微塵たりとも抱かないでください。あるならば消去してください。

 悲しむことよりも、他の事へと目を向けて、どうか幸せに生きてください。苦悩の先に見えるであろう幸福を感じてください。

 私が死の世界へと旅立った後、「何か出来ることは無かったのか」などと、万が一にも思わないでください。
 この世と縁を切る時点で、私は皆との縁を自分から切ったと同じでありますから、私への感情は無の境地へと、忘却の彼方へと捨てやってください。

 どうか、どうか元気にお過ごしください。苦労の果てにある幸福を大切にしてください。それが生きる糧であり、希望の力に繋がります。

 私がこの世を去った後、手数をかけたくはないのですが、これだけはお願いしたく思います。

 家も家具も、自分の持ち物も全て、質屋か何処かへ売り飛ばしてください。売れない物は捨ててしまってください。思い出の品なども残さず燃やしてください。私の方でも、出来る限りの荷物と思い出は、ゴミ袋に詰めておきましたので、そこまで時間のかかる量は無いかと思われます。

 墓参りも面倒でしょうから、無縁仏の地へと連れていってください。自分の為に時間を割かないでください。お願いですから、人生に疲れ、腐り果てたこのような自分の事をどうかお忘れください。

 両親にこのような事を伝えるのはとても心苦しいのですが、このように育ってしまった自分をどうかお許しください。家族に恩を返せなかったこと、兄弟たちになにもしてやれなかったこと、大変申し訳なく思います。

 これが最期になると思い、全てを打ち明けようとこれを書かせていただきます。

 どうか気の狂った戯言だと気にも留めず、読んだ後は焼いて灰にするか、水にでも流してください。読まずにお捨てになっても構いません。ただ、こういう人間も居たのだと知って頂けたのなら、私が三十まで生きた甲斐があったのかもしれないと思えます。

 記憶から消してくださいとお願いしているのに、こんな事をお願いするのは可笑しな話ですが。
 出来るならば、最期に本当の自分というものを知って頂けたらと思います。

 皆様を騙すような人生を送ってきた事、本当に申し訳なく思います。私という人間は、何処からこんな風になってしまったのか、皆目、見当もつきません。
 本当に、人生のズレやこの思考回路のどす黒い闇は、何処から現れたのでしょうか。

 もうそろそろ、過去を話そうという決心が自分に追い付いてきたようですので、書いて逝きたいと思います。いや、本当の事を申せば、自分は生きたいのかもしれません。このような未練を残そうとするのですから、死にきれないものがあるのかもしれません。ですが、もう自分には、止まるための制御装置は壊れてしまっているようです。

 ああ、長くも短い人生が、このような終着点に辿り着いてしまうとは、本人である私が一番考えていなかった事だと、一応弁解させてください。
 言い訳のようにだらだらと書いてしまうのは、私みたいな生きる価値の無い人間でも、この世に多少の未練があるという事なのでしょうか。

 ああ、外はとても快晴です。雲一つない青空が大きく、私を包んでくれています。

 僅かな希望と絶望を胸に秘めて。迷いと苦悩を皆様の心に刻めればという、悪戯心のような、儚い訴えをしていきたいと思います。
 今まで、誰にも見せる事の無かった本当の私を、最後の最期に知ってもらえたらと思います。


 三十まで、気が付けばあっという間でした。

 前を向けば来年は今年になっていて、振り返れば、今年が去年になっていました。楽しい時間は過ぎるのが早いと言います。私の人生は全体を通せば存外、楽しかったのかもしれません。

 悩み抜いた日々も、過去になれば只の思い出となるように、意外と質の良い人生を歩んできたのかもしれません。

 私は様々な人に助けられてここまで生きてきました。今までの周囲に対する恩や、抱いた怨が、今の私を作りました。

 恩と怨が何層にも重なり合って、このような醜い生き物が出来上がりました。両親、家族、兄弟には申し訳ない言い方ではありますが、私はひどく醜く育ってしまいました。心の中で育った邪悪で穢れた魂が、私を私に変えていきました。

 それはもう、希望の光が覆われるほどの恐怖と虚無感。光も届かない先には、なにもありませんでした。

 ここからが本題となります。

 ――――――仮面。

 周囲との波長を合わせるための仮面。生活するのに必要な仮面。生きるための仮面。綺麗事を並べ立てる仮面。

 最後に伝えたいのはこの事です。自分を一言で表すならば「仮面」であり、生きる為に身に付いたのが「仮面」です。

 この話を切り出せる相手に出会えていたのならば、自分はもう少し長生きしていたかもしれません。ただ、このような意味の分からないものを、人は相手にしないでしょう。
 だから、私は独りでこの「仮面」をずっと背負って生きてきました。

 自分は生まれてからずっと、相手の表情、雰囲気を察知し、相手に合わせて嫌な空気を作らないように尽力してきました。空気さえ悪くならなければ、何処でも居心地は良いものです。

 人間関係も上手く事が運ぶように、仮面を付けて必要な表情、言動を厳選し生きてきました。
 時に笑いを、時に悲しみを見せては、相手の心の中に居座りました。

 誰も自分の事を悪人だと言う人は居ません。優しい正直な人間が一人、自分の所にやってきたと思うわけですから、疑う人はいません。

 仮面はある程度の素直さと一生懸命さ、順応性と記憶の辞書を掛け合わせ、各場面で見事な仕事をこなしてくれていました。
 必死に相手に媚びては、自分の生活しやすい範囲を広げてきたのです。

 自分は弱く、不安定な生き物でしたから、そうしなければ生きていられなかったのです。
 本心を曝け出すということが、誰かに嫌われてしまうことに繋がるかもしれない。生きている中で、誰かに恨まれるということは、私にとって一番の恐怖でしたから、こうするしかなかったのです。

 仮面が生じたきっかけは、私の心の弱さと根底にある恐怖からだと思っております。ただ、仮面を着けて生きてきた自分は、それすらももう、表面上の、空想の理由と成り果てているかもしれません。
 こうして考えている私すらも仮面の私なのかもしれないのです。

 仮面を着けてからというもの、本当の自分とは何なのか、どこまでが仮面の私で、どこまでが本当の私なのか、もう区別がつかない程、境界線は消失してしまっていたように感じます。

 この感覚は世間で言うところの、精神が不安定な状態とはまた少し違うような感じがします。
 これは心の分離、魂の分離と言えば良いでしょうか。私であり、私ではない私が生活をしているのです。

 仮面を着けて生きる。家族、友人、知人、誰にも本心を漏らさずに生きるということの精神的重さを、理解してもらえるでしょうか。

 コップなどでは事足りるわけもなく、貯水槽に移し続けた本音の魂と心が溢れ返ってしまうイメージを、心で感じてもらえるでしょうか。

 仕事終わり、会社の仲間との飲み会、愚痴の零し合い、家に帰り一休み。休みの日には友人と出会い、話し、笑い、楽しみ、そこでもまた愚痴を零す。

 人間は本心を何処かで漏らさなければ生きていけません。現に、こうして死ぬ手前の私が言うのですから、間違いないでしょう。
 人間は心を許せる相手を見つけなければ、人に飢えて孤独に殺されます。

 仮面を着ければ生きることに苦労はしませんでした。自身の表面が傷付いているだけで、内面が傷付くことは無いのですから。とても簡単な仕事です。
 傷付いても涙が出ても、自分ではない何かが傷付いているだけなのです。遠い虚空へと自分を置き去りにすることで、傷付かずに済むというのが、この人生で得た最大の武器、自己保身という術でした。

 気が付けば、常にこの仮面を着けて生きるようになっていました。先程も申しました通り、今こうして書いている私ですら、本物の私なのかどうか解りかねます。

 人生の折り返し、二十歳を過ぎた頃、急に不安になった私は、仮面の下に居るはずの私を探し始めました。ですが、結局見つかることはありませんでした。
 虚空の彼方へ放置した本物の私は、私とは違う別の何かだったのかもしれない……とさえ思えるのです。

 ここに存在しているはずの私も、私であって私ではない者……。そして、虚空に置いてきた私も、私ではないのかもしれない……。つまり、私は既にこの世界には存在しない者なのかもしれないのです……。

 そんな自分が一度だけ、仮面が取れてしまった日がありました。この日を皮切りに、再び顔に張り付いた仮面は現在まで、二度と外れる事はありませんでした。

 今も尚、書くことに対して仮面の私が拒絶しているのを感じますが、それでも残さねばと、私が生きたことを伝えねばと思います。
 この感覚をこのまま押し殺してはいけないと、魂が訴えているような気がするのです。
 今、私でない私は震える手を押さえながら書き連ねています。

 一つ、息を深く吸い込んで、続きを語りたいと思います。

人を変えることはできないけれど、誰かの心に刺さるように、私はこれからも続けていきます。いつかこの道で前に進めるように。(_ _)