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正直に教えてください。働くこと、好きですか?

人は、忘れる。あっ、これ忘れてたな、と“忘れた”ことを思い出せるうちは、まだ良い。一番、誰もが恐れていること。それは、よせては引いていく波のように、だんだんと揺れて、薄くなって、最後にはなかったことになってしまうこと。きれいさっぱり、跡形もなく。

昔読んだ、本の結末が思い出せなくなっていた。あんなに好きだったことだけは思い出せるのに、読んだ場所もわかるのに。映画だって、だいたいどんな季節に観たのかは思い出せても、その映画のセリフ一つさえ、わからなくなってしまった作品がいくつもある。映画を観たときに、隣にいたあの人の睫毛の影は、忘れられないくせにね。


わたしは今、インフルエンザの熱が下がって元気になったけれど、学校にはまだいかなくて良い二日間を繰り返している。嘘。次の職場までの、有給休暇中。でも、同じようなものだと思う。わたしにタイムリープの力があったなら、この二週間を永遠にやり直すんだけどな。ゴロゴロして、書いて、寝て。好きなことだけして。こんなに幸せな時間があって良いものか。だけど、その分、正直怖い。ストレス耐性が、日に日に落ちていっている気がするから。怒られたくない。人の目を気にしたくない。人間めんどくさい。だんだんと忘れていたけれど、社会復帰の日が近づいてきた。


「働くことは、貴方にとって、どんな意味がありますか」

大学三年生の就活。スーツを纏った面接官に聞かれたとき、当時のわたしはこう答えた。

わたしにとって、働くことは、社会に出て他者と繋がる方法の一つです。人は、絶対に一人では生きていけません。働くことで、社会に自分の居場所を作り、周囲との信頼を基にした関係値を築いていきます。」



もちろん、面接のために準備された言葉だ。面接官も、多分わかっていた。そしてその企業は、確か落ちた。

嘘もいいところだ。わたしは当時から今まで、一度も働きたいと思ったことはないのだから。

好きなことは続けていたい。文章を書くことは好きだ。でもそれは、漫画を読むこととか寝ることの延長くらいに自分の采配でやっているから、好きでいられているような気もする。本当は誰かに縛られたくない。それでも、フリーランスとしてやっていく勇気も実力もない。どんなにグダグダ言っても、家賃の支払いは待ってくれないし、そもそも明日のご飯を確保しなければならない。だから、働く。


働くことが好きで、ストレスがない!仕事が趣味かなあ、と言える方は素晴らしい。皮肉じゃなくて、心の底からそう思う。わたしには、できないことだから。働くこと=ストレスが多少なりともかかる何か。それが、わたしの「働く」論なのだとしたら、あまりにも小学生染みているけれど、こっちは大真面目だ。でも、この強制ストレスがなかったら、わたしみたいな末期の怠け者は多分成長しない。成長しないから、いつまでも能力が育たず、何にもできない人のままだ。何かになれる可能性もあるかもしれないのに。それはちょっと嫌だ。そう、可能性は、誰にでも平等にある。


今ではネタにもなっているので笑い話の域であるが、前の職場でお客さんに出会い頭に「殺○ぞ」と言われ、訳もわからず謝罪をした経験がある。わたしは携帯ショップで働いていた。キャリアそのものに不満のあったお客様が、コールセンターにクレームを入れようとするも電話が繋がらず、キレ散らかして近くのショップに乗り込んできたのだ。わたしの過失ならともかく、なぜ初めましての人に理不尽な理由で謝罪させられなければならないのか、本気で謎だった。でも、その日のわたしは、確かに働いた。その瞬間では、そこに誰かが居て、形式だけでも謝り倒すことが、働くことにおける正解だった。携帯に関してこっちが素人だから騙しやがって、と怒鳴り散らす客にも遭遇したことがあるが、説明がわからなかったことと店員に横暴な態度をとることは全然別の話なのに、と考えつつ、これも仕事だからなと心のどこかで思っていた。魔法の言葉「仕事だから」の後ろに省略されているのは、お分かりの通り「仕方ない」。


ちょっと違う事例だと母がよく「人間関係も含めて仕事」と言っていたことを思い出す。正直、仕事における人間関係なんてガチャ同然だ。それでも、その人たちと過ごす労働時間は、金銭と等価になるのだから、働くことに含まれている。お金と天秤で釣り合うように払う犠牲。わたしたちにある選択権は、天秤に何を乗せるかであって、天秤があるのは大前提。天秤がないと、大半の人は生きていけませんから。

じゃあと言って、物々交換の時代に戻れるわけでもない。それに労働というシステム以上に、いい社会の仕組みを考え出せるほど、わたしの頭はよくできていない。だから、わたしにできることは、祈ることだけ。出来れば「仕事だけど(楽しい)」という魔法の言葉になりますように、と。






2021.01.26

すなくじら







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