寄せ書きを読むの、苦手なんです。

こんなに最高な月曜日は、生まれて初めてかもしれない。昨日会社を辞めて、次の会社が始まるまでの2週間。この空白の贅沢な14日間を、これからどう過ごそうか。

昨日、会社のチャットグループに送った最後のご挨拶のメッセージに対して、たくさんの返事が返ってきていることは、携帯のホーム画面、アイコンバッジに示された数字を見るだけで容易く想像ができた。

わたしに向けられた言葉に対して背を向けるのは申し訳ないと思いながらも、既読だけをつけて、素早くグループを退会した。

わたしは、皆がくれたであろう「お疲れ様でした!」のメッセージに、一つも目を通すことなくグループを抜けた。なんて薄情なヤツなんだと、これを今読んでくれている方には思われてしまったかもしれない。仕事の内容が向いていなかったことは間違いなかったけれど、職場の人たちはいい人たちだった。でも読めなかった。退会してしまったグループに残されたメッセージは、永遠に読まれることはない。



--この感じ、なんだっけ。


しばらく考えて、すぐにわかった。


寄せ書き。小学校や中学校のときに、色紙とか卒アルにかくアレ。


わたしは寄せ書きがすごく苦手だ。もっと厳密に言うなら、自分に宛てて書かれた寄せ書きを読むことが。でも、その理由は、最後まで読んで欲しい。

寄せ書きの量って、友人が少なくても、その場によってそれなりに集まる。問題は質で、そうしたときに、例えば卒業式の寄せ書きなら、「卒業おめでとう!卒業後も頑張って!!」が続くのが友達が少ない人あるあるなわけで。いや、いいです。なんなら親友一人に書いてもらえればそれでいいのよ、むしろこういう当たり障りのないメッセージが一番安心する。

問題は、むしろ、ちょっと自分にフォーカスを当てて書いてくれる子のメッセージ。

いい子とか、明るい子ほど、対して接点がなくても、「すなくじら専用メッセージ」を書いてくれちゃう。それはその人が、すごく優しくて、たぶんそのことすらなんとも思っていないくらい器が広いから。もうこれはわたしがめちゃくちゃに人の目が気になるちゃんだから、問題ありはこちらで間違いないのだけれど。その「すなくじら専用メッセージ」が恥ずかしくもちゃんと嬉しくて、そして申し訳なくて、書いてくれた人は何も悪くないのに、トータルですごく疲れちゃう。普段は村人Aの距離感だったのに、急にスポットライトを当てられたような気分になる。何度でも繰り返すが、本当に、向こうに非は全くない。だから寄せ書きを読むのは、“嫌い”じゃなくて“苦手”。


だからわたしのエゴで、わたしに向けられた最後の言葉たちを葬り、無かったことにしてしまった。ごめんなさい。形式的にだとしても、辞める人を送り出すための儀式を型取ってくれたことに、十二分ほどの意味があるから、無駄にはなっていないと勝手に思い込んでいる。


社会に属し、誰かと働くことは、些細な所作の積み重ねだ。なるべく軋轢を生まないように、迷惑をかけないように。先人たちが決めたルールを上手く活用し、誰かが抜けても、組織は組織のままであるように。ほんとうに、世界はうまくできている。



気持ちを向けてもらえることはありがく幸せなことだけれど、受け取ることには体力がいる。贅沢なわがままかもしれない。それでも今だけは、自分の本音を大切に、気が向くまま休んでもいいかな。






2021.01.18

すなくじら



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