平野啓一郎 著『私とは何か』を読んで 〜紹介〜

こんにちは、砂肝です。

早速なのですが、皆さんは日常の様々な場面で、「場の空気」に合わせたキャラを演じることで、その場を切り抜けるといった経験をされたことはありますか?

おそらく多くの人が一度はそういった経験をされたことがあるかもしれません。そしてその後に、あれは「本当の自分」ではないんだと思い悩んだこともあるのではないでしょうか?

首尾一貫したウラ・オモテのない自分でいることが理想とされる社会で、私たちはキャラを演じる、仮面を被るということにどこか後ろめたさを感じてしまいます。八方美人や愛想だけ良い人に好ましい印象を抱かないのがその良い例かと思います。

ですが、それは一体何故なのでしょうか?

今日ご紹介する平野啓一郎の『私とは何か』は、様々な対人関係に苦しんでいる人達に、著者が提唱する『分人主義』という新しい考え方を用いることで、解決の糸口を示してくれます。

私自身も関わっていて嫌な気分になるなと思う人がいたり、素の自分では関われないなと思い悩んだりすることがあります。本書を読み、この『分人主義』を知ったことで、また違った視点から自分の問題を見つめ直すことができました。

著者の考えを私なりにわかりやすく要約しましたので、少し長い文章ですが、最後まで目を通してもらえれば、嬉しいです。

『本当の自分』という幻想

皆さんは、学校や職場での自分、親の前での自分、恋人の前での自分は、全て完璧に同じ人格であると自信を持って答えることができますか?

この現代社会では、場面に応じたキャラを演じ分けているが、その核となる「本当の自分」があるという考え方が一般的です。なので、私たちはウラ・オモテのある人間をあまり良しとせず、ありのままの自分でいる人を理想としています。

ですが、私たちの実感と照らし合わせてみると、全ての人に受け入れられるような人格など存在しないように思われます。またキャラを演じ分けるというのも、はっきりと意識的に行っているのではなく、その場に応じて無意識的にそのキャラが出てしまうといった方が正しいかもしれません。

首尾一貫した「本当の自分」があるという考え方は、明治頃に西洋から輸入されてきた「個人(individual)」という概念によって生じたものであると考えられています。今では当たり前となっている「個人」という概念ですが、一神教であるキリスト教や論理学に由来した西洋独特の考え方で、輸入されてきた当初は、日本人にはよくわからないものだったそうです。「個人」を表す「individual」の語源は「不可分」、つまり「(これ以上)分けられないもの」という意味があり、「個人」という概念は、社会のような何か大きな抽象的な存在と対比させてものごとを考える際には、非常に有効です。

ところが、私たちの普段の対人関係に注目するなら、この分けられない「本当の自分」という概念は、大雑把で、硬直的で、実感から乖離しているように感じられます。

人間が首尾一貫した分けられない存在だとすると、実際に色々な顔を持つ人がいるという事実と矛盾することになります。それを解消するには、「本当の自分」は一つだけで、あとは表面的に使い分けられた仮面に過ぎないと、価値の序列をつけることになります。しかし、著者はこの解決の仕方は間違っていると考えます。その理由をいくつか挙げてみます。

一つは、コミュニケーションを仮面同士の化かし合いに貶めてしまう。

二つは、他者と共に生きることが、「ニセモノの自分」を生きることと感じられてしまう。

三つは、実際に他者と接する中で現れる人格(仮面)には実体があるが、「本当の自分」には実体がない。

対人関係においては大雑把な『個人』という単位の弊害に対して、著者は『分人主義』という新しい考え方を用いて、解決の方法を考えていきます。

『分人主義』とは

端的に説明すると、『分人主義』という考え方は、人間の基本単位を「個人」からさらに小さい「分人」へと考え直すことです。「分人」というのは、対人関係ごとの様々な自分のことです。親との分人、恋人との分人、友人との分人と、それぞれの分人は必ずしも同じものではありません。全ての間違いの元は、唯一無二の「本当の自分」という幻想であって、たった一つの「本当の自分」など存在せず、対人関係ごとに見せる複数の顔が、全て「本当の自分」であると捉え直すことで、より柔軟に人間関係を考えることができます。

以下では、「分人主義」を用いることで、ものごとをどのように捉え直すことができるのかを具体的に説明していきます。

【『分人』という単位で捉え直す①】嫌いな相手

人間誰しも、嫌いな人間や合わない人間がいると思います。自分に非がないと感じられる場合は、余計嫌いだと思ってしまうかもしれません。けれども分人というのは、相手との相互の関係によって、ゆっくりと育まれていきます。そのことを考えると、相手が全て悪いように見えても、半分は自分のせいでもあるという風に見つめ直すことができます。たとえそう出来たとしても、嫌いな人が嫌いだということが変わることはないと思いますが、少し相手との向き合い方が変わるかもしれません。

【『分人』という単位で捉え直す②】生きづらさ

人生の中でどん底の気分を味わって、生きる希望を見失うといった経験をされた人がいるかもしれません。人間というのは、自分を肯定できなければ、生きていくことが困難に感じられます。実際に丸ごと自分を全て肯定できる人はほとんどいないと思いますが、親友といる時の自分、恋人といる時の自分、または何か好きなことをしている時の自分は好きだと言うことはできるかもしれない。そういった自分が好きだと思える小さな「分人」を足がかりにすることで、そこから少しずつでも生きる活力を得ることができます。

【『分人』という単位で捉え直す③】恋愛

恋愛についても「分人主義」は別の視点を与えてくれます。従来の「個人主義」的な恋愛観は、一対一の個人同士が、互いに恋をし、愛するというものです。それを「分人主義」で捉え直すとすれば、愛とは「その相手といる時の自分の分人が好き」という状態、つまりは他者を経由した自己肯定の状態と見ることができます。ある人と長く一緒にいたいと思ったり、ある人とは会いたくないと思ったりするのは、相手のことが好きだったり、嫌いだったりするというよりかは、相手といる時の自分(分人)が好きか、嫌いかということが大きいのかもしれません。そこから愛とは、相手の存在によって自分自身を好きになれて、自分の存在によって相手が自らを好きになれることだと定義付けすることもできます。

このように「分人主義」で様々なことを捉え直すと、世界をまた違って視点で見ることができます。

本書はこんな人にオススメ

・対人関係に悩んでいる人

・アイデンティティに苦しんでいる人

・漠然と生きづらいと感じている人

まとめ

いかがだったでしょうか?

小説の書評とは違って、他人の考えを自分の言葉で伝えるというのは、結構難しいですね。正直学んだことの半分も伝えられていない気がします。

この記事では、本書のエッセンスとなる部分だけをまとめたので、紹介できていない面白い内容も多いのですが、この記事を読んで「分人主義」という考え方に興味を持ってもらえれば、嬉しいです。

個人的には本書は是非何らかの著者の作品と一緒に楽しんでもらいたいなと考えています。なぜなら、本書で書かれているような著者の思想は、小説を書くことに向き合いながら育まれていったものだからです。実際に何らかの著者の作品を読むことで、より深く『分人主義』という思想に親しみやすくなります。作品でいうと、『空白を満たしなさい』『ドーン』あたりがお勧めです。本書を読む前でも読んだ後でも良いので、是非手に取ってみてもらえたらなと思います。

砂肝でした。

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