優しい【再】
再び、投稿いたします♡
よろしかったら、
読み進めてみてください♪
優しくしよう
優しくなろう
よく言われていて
自分もよく使っている
もちろん大切なことだし
それを伝えていくことも
大切なことと思う
だけど……
私の中には
モヤモヤっとするものを
少しだけ感じている
****
優しくしよう
優しくなろう
誰に向けてるの?
自分?
相手?
どっちも?
万人に?
優しくなろう
優しくしよう
この言葉を
もう少し違う見方をすると
あるべき姿を
求められているメッセージ
のようにも捉えられる……
優しくあろうね!
軽い
優しさの同調圧力……
とまで言わないけれど
優しくなろうと頑張りすぎたり
優しくしようと無理をしたり
優しさの鎧をつけて
動いてしまうようにならないか?
少し心配になることもある……
それは
善い行い、いい人、
あるべき姿を求められ、
そのように
自分を当てはめているような……
そして、気づかぬうちに、
その人の承認欲求を満たすことに
目的がすり替わっていくような……
それを行えば行うほど
そうでない人を見ると
受け入れられなくなるような……
むしろ
優しくなくなっている……
そのように、感じることがあるのです
****
優しい人
優しくしよう
いい人になろう
いいことをする
その言葉に縛られて
自分に課してしまうから
いい人って何?
優しい人って何?
私には
当たり前のことを
当たり前にする
ということにしか思えない
そして
いつでもいい人や
いつでも優しい人に
なる必要はなくて……
必要なときに
必要なことをしていけること
そう思います
***
自分との関係性の間で、
ある人が自分に優しくないかもしれない
ある人は優しくない人ですか?
でも、
そのある人の周りの中には、
その人が優しく接している人もいると思う
ある人は優しい人ですか?
自分にとって優しくない人は
本当に優しくない人なのですか?
どこかには優しいのだと思います
自分とは、うまく合わなかった
それぞれが持ち合わせている
働きのバランスが悪くなっただけだ
それもずっと続くかもしれないが、
何かのタイミングで
また変化していくものかもしれない
一人一人、優しさを向ける方向や範囲は違う
役割や立場があったり
その人のもつ許容範囲だったり
その人が行える能力だったり
その時の状態によっても違う
自分のもつ優しさと
相手のもつ優しさは
量も質も違うものだ
私たちが行うべき優しさとは
その相手の尊厳を認めること
相手がイエスと受け入れることも
相手がノーといって受け取らないことも
その人にはそれを選び主張する権利がある
そして、同じように、
自分にもその同じ権利がある!
自分の尊厳を認めてあげることだ!
****
自分と違うものは
受け入れることが難しい
心が揺さぶられ
戸惑う
自分の身を脅かされると感じ
それぞれが
自分を守る行動をおこなっている
その時に
否定したり
排除したり
殻に閉じこもったり
存在を消すようになることを
簡単にしてしまえる世の中に
変わってきているように思う
個人の尊重、多様性が言われるが
そのコミュニティが全体主義のようになり
排他的になものも見聞きする
そのようなものを感じると
悲しい気持ちになる……
だが、
人はみんな基本的に
優しい
いい人でありたいもの
人に好まれたいもの
だと思う
優しくない人はいない
優しさ向ける所が少し違うだけ
そして、自分も
自分が思う優しさと
相手の思う優しさが少し違うから
戸惑うだけなのだ
自分と違うものを受け入れる
これはとても難しい
だからこそ
違うものを受け入られるということは
とても素晴らしく
とても優しいことなのだ
寛容な心✨
真の優しさと思う
****
優しくしよう
優しくなろう
その言葉は
もちろんいい
けれども
もう少し具体的に!
寛容な心を持とう!
相手の尊厳を認めよう!
相手の背景を想像しよう!
心の目を開こう!
本人が気づき
本人が変わろうとしない限り
変われないものがある
その人のそのあり方を
そのままに
受け止める
自分のできることとは、
その時の自分と相手の状態に気づき
自分を捉え直し動かしていくことだけだ
〜思いつらつら〜
私の考える優しさとは「寛容」
許し許されることで、
力が緩み、心が解かれていく
温かな優しさが心に宿る
2022/02/22 noteより♪
・・お読みいただきありがとうございます・・
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