「イリヤの空、UFOの夏」の話
六月二十四日は、全世界的に、UFOの日である。
1947(昭和22)年の6月24日に、アメリカで初めてUFOが目撃されたから、そういうことになった。
一部の日本人にとってこの日はとても思い出深いものとなっている。「イリヤの空、UFOの夏」というSF小説が、この日から始まったからだ。
話はいわゆるセカイ系SFだ。しばしば「最終兵器彼女」と同じ物語だと指摘されるような、ありふれた内容である。加えて作者も「妖精作戦」に影響を受けたことを公言している。
それなのにこの作品を唯一無二のものとして評価する人間は多い。その理由は彼の特有の文体にある。
テンポや言葉遣いの良さ、そして飛び道具のようであるにもかかわらず的確なキャラクターの心情描写。
ここでは到底説明できないので、一つ作中の文章を引用するに留めておく。もちろんそれで説明できるとも思えないが、脇役の脇役である少女についての文ひとつとってもその輝きの一片は感じ取ることができるだろう。
互いの手が届く距離まで近づいても、中学生はこれという反応を見せない。ひどく落ち込んでいるようでもあるし、何もかもがどうでもいいと思っているようでもある。伊藤日香梨は中学生の反対側に周り込んで、ずうずうしいとおもわれないように少しだけ距離を取って隣に座った。わざわざ反対側に回り込んだのは、こうすれば中学生からは自分の左の横顔が見えるからである。アタシは左の横顔の方が写りがいいのよね、というのは母がカメラを前にするときの口癖で、写りがいいとはどういう意味かと尋ねると、美人に見えるってことよ、という返事が帰ってきた。母親がそうなのだから自分もきっとそうだと伊藤日香梨は思う。
むしろ本当にすごいのは、こんな脇役の心理描写なんかに文字を割きながら、それも世界の構築に欠かせないものだと錯覚させるような部分なのかもしれないが。
秋山瑞人さんの才能は紛うことなきものであるが、そもそもが遅筆(作家人生で完結させた長編は3冊程度であり、投げ出したものも多い)であり、加えてここ10年ほど何も書いていない。にもかかわらず、今もなお多くのファンから新作、あるいは投げ出した話の続刊を望まれている。
けれどさいきん(とは言っても2018年だが)になって、彼がもうかつてのような文章を書く気がないということを仄めかす文章がアップロードされた。
(ちなみにそれまで数年間、何ひとつの音沙汰もなかったがためにこれが生存報告として喜ばれていたりもする)
かと思えば、EGコンバットの続編が出るなんていう話も上がってきた。
どちらにせよ、20年間完結しないままの作品が今も熱望されているような、そんな作家である。本当に魔法のような存在だ。もし気が向いたらどれか一つでも手に取ってみて欲しい。ここからしばらくは夏だから、イリヤをお勧めするけれど。