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ワンナイト・モーニング

昨日、珍しく仕事で外に居た。一日中 12月の外気に吹かれていたら、体の芯から冷え切ってしまって、あ、やばい。風邪ひくかも。と、わずかな危機を覚えながら帰路につく。

帰宅してから、熱々のうどんを食べても熱いお湯に浸かっても服を何枚着こんでも、約8時間もの間 冷気にさらされた体から寒気が去ることはない。小学生の頃、クラスに1人は居た「真冬でも半袖・半ズボンの男子」の体は一体どうなってんだ。あの頃の男子に心からの尊敬を。いやはや冷えとは恐ろしい、と学びながら。

23時をまわる前に眠ってしまうことにして、目が覚めたら朝6時だった。
風邪を引く予感も、おぞましい寒気もすっかり消えてくれていた。お布団の中でもぞもぞしながらも目が冴えていることに気づいて、休日だがいつもより早めに起床。12月5日、土曜日。


昨晩はたまたま実家に帰っていた。夕飯では物足りなかったらしい父が頬張る21時の厚切りトースト(バターのせ)を羨望の目で見つめていた「太るの、厳禁」26歳の私は、本日の起床早々、ひとかけの迷いなくせっせとトーストを焼いた。
そりゃもう、こんがりと。たっぷりのバターを惜しみなく載せて。
朝ならなにを食べてもいい。それが太りやすい冬のマイルール。
たっぷり眠って空腹だったから、目の前のお皿はあっという間に空になった。

トーストを食べると思い出す男が居る。
それは「ワンナイト・モーニング」という漫画を愛読していた頃のハナシ。


題名の通り、ありとあらゆる「ワンナイト」を過ごした男女がモーニング(朝食)を食べるまでを綴ったオムニバスなのだけど、出てくる料理はどれもこれも、凝ってはいないし洒落てはいないのに、とにかく美味しそう。
「明日食べられる」むしろ「今、家にありそうなもの」という身近な食事たちを、登場人物たちがとびきり美味しそうに頬張る。たまに切なく、たまにほっこりするラブストーリーとともに。

「女の子が食べる描写」がとにかくいい。美味しそうにごはんを食べる女子は無敵だ!そういった確信を与えてくれる、グルメラブストーリー。

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当時 漫画と同じくワンナイトを経た翌朝の私、隣の男にこの話をする。
そして「トーストを食べたい」と言った。
漫画の序盤で「ハニートースト」が出てくる話があって、私はその話がとても好きだったからだ。

だいぶ前に読んだから話はうろ覚えなのだけど、味気ないトーストを食べながら味気ない人生を送っている(と本人は思っている)男が、ある女に出会った翌朝、はちみつたっぷりのハニートーストを振る舞われる。
いつも食べていたトーストが、はちみつをかけるだけでこんなに甘いものになるなんて。
結局ふたりは結ばれることはないのだけど、男はそれからも時たまハニートーストを焼いて食べる、というお話。

いつもの景色が、だれかが居るだけで別のものになる。それはまさしく恋を象徴するような表現。カンタンには結ばれないという結末も好きで、とても印象に残っている。



朝食にトーストを所望する私に、男は「確かあそこに、喫茶店があったはず。行ったことはないけど。」と告げた。
昨日も着ていた服にもう一度袖を通し(この時、なんか独特の気持ち悪さがある。お泊まりした翌日のソワソワ感をそのまま体感しているみたいな、落ち着きのなさ)、まぶしい朝日の中、ぷらぷらと目的の喫茶店まで歩いた。

男の記憶どおり、確かにそこには喫茶店があって、「行ったこともない」くせに男はすんなり店へ入っていくので、私はおずおずとそれに連れられていく。
細長い敷地のせいで奥行ばかりが広く、肝心の席は少々窮屈な店なのだけど、それもまた味があっていい。なにより陽当たりが抜群で、店に差し込む光がきれいだった。

私たちは入口に一番近い席で隣同士に腰掛け、手作り感満載のメニュー表を広げる。
その喫茶店のトーストはバターとジャムが選べるようになっていて、私はバターを、彼はジャムを頼んだ。
メニューにはオムライスなんかもあって、「俺、オムライス好きなんだよね」と言いつつもトーストを頼んでくれたのは、今思えば私への優しさだったのかもしれない。
硬くてレトロな椅子に腰かけながら、いろんな話をした。
特筆すべきではない、本当に他愛もないこと。いい天気だね、そういえばこないだね、今度あそこでさ・・・。喫茶店は一人客が多いから、会話も自然と小声になっていく。まるで内緒話をしているみたいに。

注文を告げてからものの数分で、店主であろうおばあさんが二人分のトーストを運んでくる。
かすかに湯気を出しているそれ。
斜めにカットされ、3等分にされた歪な形の食パンが愛おしい。
いただきます、と手を合わせてから頬張る。あー、おいしい。
これこれ、これが食べたかった。今食べたいものを今食べられる幸せ。以上はあるけど、以下は絶対にないこの味。
1カット目を食べ終わったところで、隣に座る彼の皿に別の1カットを置いてやると、「それ、やろうと思ってた」という言葉とともに、ジャムのトーストが自分の皿にやってくる、爽やかな幸福感。

私が喫茶店を愛するのは、「家でも食べられるものを食べる」という贅沢さが好きだから。
外食でしか出会えないカタカナ料理とか、お寿司とか、お肉も無論好き。
でも喫茶店に特別なメニューはほとんどない。
自分でも作れる焼きそばとか、オムライスとか、それこそトーストとか、それにお金を払って時間を過ごすということが、むしろ一番の特別のように感じるのだ。
ひとりでそれに浸るのもいい。でも、誰かとそれに浸るのもいい。
たった一度きりの夜をともに過ごした相手でも、これからのふたりがどうなってしまっても、なんとなく美しさに近い思い出になるから。


帰り道、なんとなくふたりで本屋に寄ったら、彼が「あ」と棚を指さした。
そこにはポップとともにでかでかと売り出される「ワンナイト・モーニング」があって、寝ぼけまなこでトーストをかじる女の子が表紙だった。

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私もこんな女の子になりたい。おいしいものをおいしいと言い、おいしいと言いながら体を震わせ、また食べたいと心を躍らせるような。
ワンナイト・モーニングに出てくる女の子は、いろんなものを抱えながらもまっすぐだ。
感情の表現がハッキリしている、積極的な登場人物も多い。
悲しい時はわんわん泣き、会いたい人に会いに行き、それでもって優しさも忘れずに持っている。

あの朝の彼がもしかして「オムライスを我慢して、トーストを注文してくれた」ように、ワンナイトのあとも柔らかい優しさを持っていたい。
またやりたいな。ワンナイト・モーニング。

大好物のマシュマロを買うお金にします。