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【原チャリで行こうぜ!】 2001道北編 vol.8 〜通学用スクーターで北海道に向かってしまった件


7日目:2001年8月3日(金)

小雨が降る中、札幌に別れを告げた朝

5:00
起床、というか、1時に横になったので、4時間しか寝てないことになる。
ただ、今日は札幌から苫小牧のフェリーターミナルまで、70km程度走るだけなので、おそらくどうにかなるはず。

ナオフミとたべりつつ、準備を開始した。
いつも思うのだが、奴はかなりのジェントルマンである。
明らかに眠いのに、オレの出発に付き合って、早起きしてくれた。
そして、いろいろ話題をふったりして、出発前のオレを元気づけてくれていた。

ナオフミは来年3月に北海道大学を卒業できるはず?なので、この部屋とはオレも今回がおさらばである。
去年と今年の2回の訪問だけだったけど、とてもお世話になったナオフミの城の写真を撮影した。

彼の部屋は賃貸マンションの一階で、雪が降ると窓のシャッターが開かなくなると言う。
二段ベッド的に高いベッドの下に、勉強机を配置した立体的な部屋であった。

テレビで天気予報を見ると、なんか雨っぽい雰囲気である。
とりあえず、黙々とパッキングをすることにした。
外は小雨である。
今日で大好きな北海道を離れる上、ナオフミともお別れ、さらにあいにくの天気である。
少々ブルーな朝である。

昨年同様、彼の賃貸マンションの前にDioを停めて、荷物をパッキングした。
ナオフミ氏は急にDioにまたがった。
あたかも放浪ライダーな雰囲気?神妙な?面持ちをしてポーズを決めた。
その後、いきなりDioの上でバンザイをしたり、よっぽど楽しそうに朝からDioと戯れていた。

天気が怪しく、大好きな北海道を離れるオレのブルーな気分を察して、Dioにまたがりおちゃらけることにより、オレを精一杯励ましてくれたのだろう。

「そろそろ、行くわ!」
「おう、気をつけてなー」

「また、茅ヶ崎で会おうぜー!」
「茅ヶ崎で乾杯しようぜ!」

オレはDioにまたがり、ガッツポーズをした。

「これからスタートするぜぃ!」

5:30
北大のすぐ北側に位置するナオフミの家から苫小牧港へ向けてスタート。
国道5号線から国道36号線へと進んだ。
札幌のはずれあたりから大変な大雨となった。

大雨と危険なレベルな寒さ

「ああ、かなりの大雨だなぁ」と、ある意味、仕方がない境地に達したのだが、雨がさらにえらいことになってきた。
「こりゃ、ダメだ!」

途中、薬局の軒下で雨宿りしながら、靴にビニールを巻いた。
寒くて仕方ない。
本当に寒くてまともに運転できなくなってきた。

側から見ても、「あの人、ガクガク震えていない?」って言うぐらい、ガクガク震えながら走った。
人は本当に凍えると、口がガクガクして、上の歯と下の歯がガチガチぶつかるぐらいなってしまうことを初めて知った。

国道36号線を南下して、恵庭、千歳を抜けた。
この国道36号線、道民には当たり前だが、相当交通量が多い。
そして、大型の車両が半端ないわけである。

いよいよ、雨がすごいことになってきた。
視界がほとんどない状況である
雨がすごすぎて前が見えない。
さらに悪いことに、ダンプカーが飛ばした水がそのまま、頭の上に飛んできて、そのまま頭からかぶってしまった。

その時に着ていた雨ガッパがびしょびしょになり、さらに運の悪いことに首の辺の隙間から、かなりの水が浸水してきた。
凍えた身体は、危険なレベルに冷え込んでしまった。

オレはその時、とにかく、フェリーに早く乗りこんで風呂に入り、温まりたかったのであった。
逆に、それだけがオレの希望であった。

8:00
セブン苫小牧新開町店、BM誌(バトルマガジンという今は廃刊のドリフト系の雑誌)、ヤキソバ、唐揚げ弁当、カップヤキソバ、ポタージュ、クロワッサン、1926円。

寒くて寒くて、震えが止まらず大変である。

やっとのことで、苫小牧のフェリーターミナルに到着。
行きの苫小牧とは、全く違う印象である。

往路のフェリーターミナル出発時間と、復路の到着時間、辺りの明るさが違うので雰囲気が違って見えるのではない。
北の大地の走行、数々のドラマをいろいろくぐり抜けてきたので、自分自信の何かが変わり、違って見えるのであろう。

出港前の平和なひととき

フェリーに乗ってすぐ、びしゃびしゃの雨具等を脱いで、Tシャツ、ハーフパンツといったリラックスできる格好に着替えた。
「フェリーの中は、なんて暖かく平和なんだろう」

着替えが終わりホッとすると、ホールに下りた。
ホールのソファに座り、のんびりと朝ビールと唐揚げ弁当を頂く。
至福のひとときである。

しかし、そういった平和な時間も一瞬である。
出港したら最後、めちゃくちゃ揺れる可能性がある。
オレは船に弱いのである。

ご飯を頂き、お風呂で冷えた身体を温めた。
今朝は雨の中、札幌から苫小牧まで原チャリで凍えながら走ってきた訳で、ただのお湯が温泉に思えた。

そして、オレは二等寝台のベッドに潜り込んだ。
船に弱いオレは、揺れる船の中では眠るしかないのである。

大洗へ向けて出港

9:45
いよいよ出港である。
今回は昨年に引き続き二回目の北海道ツーリング。
苫小牧港とのお別れも二回目である。

疲労が限界を迎えたようだ。
二等寝台のベッドの上で気を失うように眠った。
「さよなら、北海道、今回も本当ありがとう」

どのくらい眠っただろうか?
かなり爆睡したはずだったが、まだ昼過ぎである。

二等寝台のベッドの上で、なんとなくBM誌を開いたが、すぐに気持ちが悪くなってきたので、眠ることにした。

少しウトウトした後、微妙にお腹が空いてきたので、ベッドの上で寝っ転がりながら、セブン-イレブンで購入したクロワッサンを頂いた。
よくわからないのだが、揺れる船の中でも若干しっとりしたこのクロワッサンだけはどうにか食することができたのである。

15:00
さすがにずっとは眠っていられない。
フェリーの揺れが苦手なオレは、眠る、風呂に行く、たまに甲板から外を眺める、ぐらいしかできることがない。

とりあえず、風呂に行くことに。
そして風呂上がりのジュース(160円)を頂く。
ジュースさえ気持ち悪くなる原因である。

やはり、石垣島から与那国島まで渡るフェリーよなくにに乗ってから船は苦手のようだ。

いきなり、館内放送は「いらっしゃーい~♪」というフレーズを繰り返す。
なんでも、このサンフラワー号では”サンフラワー落語会”というのがあるらしい。そして、なんとたった500円のようである。
場所はレストランのようだ。

何度がこの「いらっしゃーい~♪」という案内が流れ、実はちょっと面白そうだと思ったのであった。
館内放送の人も、このフレーズ「いらっしゃーい~♪」が好きで、まんざらでなく楽しいのであろう。

何度も何度も「いらっしゃーい~♪」と、嬉しそうに連呼するのである。
その度に「すまねえ、行きたいけど、行けねぇ」とオレは心の中で返事をするのであった。
情けないことに船酔いのため、ベッドを動くことができず、”サンフラワー落語会”は残念な結果となった。

20:00少し前
フェリーの風呂は20時までである。
さっきも入ったのだが、フェリー内での唯一の娯楽風呂は外せない。
急いで風呂に向かった。

お風呂に入るとホッとして、また横なった。
まだ、20時過ぎなのであるが、かなり早めのお休みなさい!

8日目:2001年8月4日(土)

長い眠りからの目覚め、素敵な夫婦との出会い

5:00
目覚めである。

乗船後ほとんど横になっていたにも関わらず、相当眠いのである。
冷静に考えると、連日連夜北海道をバイクで走り続け、一晩以外は全て野宿(キャンプやバス停泊)、しかも大型バイクでなく、50ccの買い物用スクーターである。
フラフラなのも当然である。

何となく二等寝台の朝の雰囲気というタイトル?で写真を撮った。
通路を挟みその左右に二段ベッドが並び、合計8人が1つの部屋に眠ることができる構造である。
ただ、各ベッドにはカーテンがあるので、これを締めてしまえば一応プライベート空間?な感じである。
そして、その二等寝台は低価格なチケットなわけで、エンジンに近いのか分からないが、比較的機械音というかグワーんという振動も伝わってきたりする場合もあり、熟睡は困難であった。

5:30
ふと、オレはコーヒー+パン+玉子の朝食(400円)をゲットした。
記憶が定かでないのだが、レストラン付近でテイクアウト的な感じに販売されtいたのを入手した気がする。

フロントの前のソファに座り、このシンプルな朝食を頂いた。
なぜか、めちゃくちゃうまかった。
フェリーに乗船してから、まともな食事をすることができなかったからであろう。
もう、大洗港のすぐそばまで来ている。
そのため、ほとんど揺れもなく、船が苦手なオレも朝食をゆっくり楽しむことができるのである。

のんびり朝食を食べていると、甲板からおっちゃんが入ってきた。
「外は暑いよ!」って、奥さんに報告している。
すかさず、オレも「暑いですか?」と聞いてみた。
おっちゃんは笑顔でうなずいた。
こんな感じで会話が始まるのである。

2人はレンタカーを利用して、道東方面を回ってきたようだ。
おっちゃん、おばちゃんはオレに旅のいろいろな話をしてくれた。
”熊の湯”に入った話や知床近くの道の駅でウニがうまかった話など。
楽しかった思い出を語る二人の目はキラキラ輝いていた。
それはまるで少年少女のようであった。
「なんて素敵は夫婦であろうか?」

「お兄さんは、ライダーさんですか?」と聞かれた。
「そうっすねぇ、多分ライダーだと思います」なんて、はっきりしない返事をした。
「ライダーと言っても、50ccのスクーターでして…」と苦笑い。
「うん、それは、ライダーだね!それも普通のライダーよりすごいなあ」とおっちゃん、おばちゃんは優しい笑顔だった。

しばし、3人で旅の思いでを語り合った。
とても、ゆったりとした平和な時間であった。

荷物を持って、フェリーの車両置場に降りて、いよいよ出発の準備である。

6:00
大洗港入港。
Dioのメータは3270kmである。

大洗のフェリーターミナル前にて一枚記念撮影をした。
大洗(茨城県)について、第一印象。
「とにかく暑い、暑すぎる…」

それでは、自宅に向けて出発!
「安全に、走り切るぜぇ!」

関東地方はかなりの灼熱状態

大洗港から県道2号線を経由して、国道51号線に入った。
今日は千葉県市川市まで走る予定である。

昨日は札幌から苫小牧まで走ったのでが、給油していないのでガソリンが心配であった。
ちょうど、スタンドが現れた。

6:41
JOMO大洗インターSS、水戸市東前町、4.19リッター、リッター95円、418円。
オレは思い出したように空気圧調整を始めた。
家に帰るまでがツーリングである。
ツーリングのラストにおいてもメンテナンスは抜かりなくである。

国道51号線を北西に走り、国道6号と合流した。
あとは、国道6号線を千葉県まで南下すればよい。

「暑い、暑すぎる、余裕で30度以上だ!」
「体感35度?っていうことは向こうは15度くらいだったので、差は20度?」

涼しい北海道の気候に慣れたオレは、灼熱の関東地方の気温に適応できなかった。
目の前がクラクラしてきた。
明らかにフラフラ状態である。

8:50
国道6号線を茨城町に入ったところにある”はにわの里”という休憩所で一休みすることに。
とりあえず自動販売機のジュースを1本頂く。
日陰でのんびりしたところ、元気復活である。

”はにわの里”の駐車場では、なぜかパトカーが取調べをしていた。
何かあったのかな?

ホッとしたところでトイレも済まし、再度スタートである。
国道6号線を南下して、やっと千葉県に入った。

大アクシデントからの生還

国道6号線から千葉の県道57号線に入った所で、”大アクシデント”が発生。
実際のところ、大きな車に轢かれそうになった訳である。

オレは県道57号線を普通に直進走行していた。
そこに、ありえないタイミングで、4WDの大きな車が入り込み、進行方向を完全に塞いでしまった。
その車との車間距離はほぼゼロである。

眼の前に大きな車体が立ちはだかっているのである。
あまりにも急で何が起こったか分からなかった。
危機一髪で、どうにか急ブレーキ。
「間に合った…」
旅の最後で廃車、大怪我、三途の川になるところであった。

4WDのドライバーの兄さん、まさに寝ぼけていたようであった。
居眠り運転をしていたようだ。
兄さん、眠りから覚めたようで?驚いた顔して、オレに頭を何度も下げて謝っていた。

「ま、轢かれないで良かった」と、つられてオレも頭を下げ、軽く手を上げた。
「生きてて良かった」

その後も、心臓のバクバクは簡単には収まらなかった。
だからこそ、残りの道中、かなり慎重にアクセルを握った。

ここは北海道ではない、都会である。
都会の道は都会の道として、交通量が多く、乱暴な運転、飛び出し、信号や交差点も多い。
「のんびりと、安全運転で行こう!」

無事にゴール

11:00
千葉県市川市の自宅に無事にたどり着いた。
Dioのメータは3443kmである。

本当にいろいろあったが、どうにか家までたどり着いたのである。
さすがにフラフラである。

Dioの荷物を降ろし、床の上に全て並べた。
昨年からのツーリング後の、恒例の荷物チェックである。
そして、2000年、2001年で収集したホクレンのフラッグを並べて、記念撮影。
その荷物の横に寝転び、手を伸ばして、ツーリング直後のオレと荷物たちという構図で写真を撮った。

「無事走りきったぜぃ!!」
感無量である。

ツーリング成功を祝って、苫小牧で乗船前に購入したカップ焼きそばを頂いた。
ただのカップ焼きそばがやけに美味しかった記憶がある。
それはおそらく、無事にツーリングを終えた達成感に起因するものであろう。

今回のツーリングでは、1561kmを走りきったことになる。
いや、本当によくやった。
お休みなさい。
オレはツーリングをやり遂げた達成感を感じながら、ベッドに横になった。
「本当にいい旅だった」

再スタート思考日:2001年8月7日(火)

なぜかまた走りたくなり、落ち着かない夜

土曜日に家に戻り、日曜日もごろごろして、ツーリングの疲れを癒やした。
本当にたくさん眠りまくり、元気復活である。

そして、月曜日の朝からまた東京での仕事を再開し、日常に戻った。
いや、日常に戻ったはずであった。

しかし、ツーリングを終えたのになんか落ち着かないのである。
仕事をしながら、北海道のどこまでも続く道を走るシーンがエンドレスに頭に浮かんでは消えの状況である。

そして、火曜日もそのツーリング終わった症候群が収まる気配がない。
「一体、オレはどうなってしまったのか?」

会社から家に戻って、S13シルビアのエンジンをかけ、なぜか本屋に向かっていた。
その本屋までの途中、このモヤモヤした気分の原因を突き止めた。

オレの心の奥底の欲求はこういう状態であった。
ツーリングから戻ったばかりなのに、「ツーリング行きてぇ!」という気分が全開な状況であるようだ。

本屋に入店すると、オレは何かに呼ばれるように”車・バイクのコーナー”に近づいていった。
たくさんの車やバイクの本が並んでいる。
ふと、「加曽利さんの”50ccバイク日本一周2万キロ”が読みてぇ」と思い、探してみたのだが、見つけることはできなかった。
しかし、本棚に同じく加曽利さんの”日本一周バイク旅4万キロ〈上巻〉”を発見した。
ちょっと読んでみると、なんか面白そうだったので、購入し家路についた。

家で先程購入した”日本一周バイク旅4万キロ〈上巻〉”をゆっくり読み始めると、
気分が高まってきた。
「ああ、また走りたい!」

9日目:2001年8月8日(水)

仕事後、いきなりのツーリング再開

会社の帰り、都営新宿線に乗っていたところ、この数日間の心のモヤモヤを解決することができる明確な手法が浮かんだ。
「今夜、また走ればいいだけじゃん!」

今年の道北ツーリングは、実家のある神奈川県の寒川町スタートであった。
土曜日に一応ツーリングはフィナーレを迎えたのだが、そのゴールはスタート地とは異なる千葉県市川市の自宅である。
モヤモヤの原因はそこにあった。

オレはツーリングを始めた寒川町まで、ゴールしてなかったのである。
「今夜こそ、道北ツーリングを完了させるべ!」

ツーリングの流れから見ると、土曜日に市川市の自宅に戻り、日曜日に家で休息をとり、月曜日、火曜日とツーリングを中断して出社して、今夜ツーリングを再開して、感動の?フィナーレとする形である。

さて、方向性が決まったら、心は穏やかである。
帰宅後、実家に連絡、バイクの準備して、すごい勢いで道北ツーリングを再開してしまった。

19:30
市川市の自宅をスタート。

まずは、給油である。
ライダーは自分のバイクのタンクと目的地を勘案しながら、ガソリンの残量を常に気を配るのである。
そういった行動を当たり前のように今やっている理由は、4日前までは道北ツーリングをしていたからである。
一気にツーリング中のライダーに戻ったわけである。

19:48
昭和シェル、市川八幡、403円、3.8リッター、リッター101円、おっと若干高いかも。

千葉、東京の国道を抜けて、神奈川県の国道1号線に入った。
藤沢市の石名坂にある高い煙突が見えたら右折である。

あとは実家までのいつものルートであり、のんびりと夏の夜の心地よい風を感じながら道北ツーリングの最後のライディングを楽しんだ。

道北ツーリングの本当のゴール

22:30
寒川の実家に到着。
これが本当のゴールだ。
「Dioよ、良く走ってくれた!」

「マコトよくやったね!」と両親も嬉しそうである。

ゴールの記念撮影をした。

Dioのメータは3509kmである。

今回の道北ツーリング、トータル1627km。
去年の道東編よりは短いけど、一週間本当に密度の濃い旅であった。

土曜日、市川市の自宅にゴールした時と異なり、今夜のゴールは本当に長いツーリングを無事にやり遂げたという達成感が大きかった。
そして、2001年の夏ツーリングというドラマが幕を閉じた。

「いやー、本当に良い旅だった」

走り終えて…

今回のツーリングは、道北にスポットを当て北海道を走り回った。

特に印象的なのが、夜の雨の苫小牧港に到着後、そのまま留萌方面に走った日のことである。

雨の夜の大平原をとにかく突っ走った。
どこまでも真っ暗であり、走る車もほとんどいない。
聞こえるのは雨音と風の音、虫の声だけである。
そんなシーンの中、オレはひたすら走り続けた。
そこには、地平線の向こうから、何か恐ろしい魔物やってきて、襲われそうな雰囲気さえ感じられるようであった。

北の大地の夜道は、それだけスケールがでかく、本当の漆黒であった。

また、どこまでも青空が広がるサロベツ原野を走り抜けたのも印象的である。

旅の途中、多くの人に励まされたり、出会ったライダーと熱く語ったりと。

こうやって人は成長していくんだなぁとしみじみ思った。
今回の旅を通して、自分の内に秘める”熱い思い”を再確認したようだ。

「また走るぜ!日本とは言わず、どこまでも!」
やはり、自分は生涯旅人なんだと思った。

※ このストーリーは、ほぼノンフィクションです。一部走行等に関する描写に関して、物語展開上のフィクションを含む場合があります。実際の道路状況に合わせて、交通ルールを守り、安全運転を心がけましょう。また、現代と時代背景が異なるため、一部現代の感覚など異なる箇所があるかもしれません。ご了承いただけると幸いです。

※トップの写真は、ツーリングマップル北海道2001に掲載された写真です。カメラマンの小原さんから特別な許可を得て使用しております。



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