Sumiko Urayama

Sumiko Urayama

最近の記事

娘の自由を尊重する思いと、コントロールしたくなる思いと。

中学生の娘にかける言葉を、間違え続けた朝だった。 とても悲しい顔で、睨まれた。 それは初めて見る娘の顔だった。 その日は朝から 娘から相談事があった。 私は私なりに感じたことを伝え 最後に、こう付け加えたんだった。 「でも最後はあなたが自分で決めることだよ」 いつもだったら、ここで終わってた。 いつもだったら。 でもその朝は、そうはいかなかった。 娘は下を向いたまま、こう続けたのだ。 「ママはさ、本当はさ ママの言う通りにしてほしいんでしょ」 私の喉がキュッ

    • 活動を休止したことで得たもの

      「しばらく活動を止めよう」 こう思い、活動休止を決めたのは、今年の春のこと。 ちょうど「私のことのはLABO」という ライティング講座の新規募集をしている最中だった。 あれから約半年たった今 平日は派遣社員として朝9時〜午後6時まで働いている。 ありがたいことに完全在宅のお仕事なので ずっと、家にいる。永遠に、家にいる(笑) そして同時進行で、クロハテリハさん主催の 「ブランド発掘プロジェクト」に参加している。 活動を止めようと思った理由活動を止めようと思った理由、

      • なんでもないことを、歌っているから

        数日前、旦那さんからこんなLINEが来た。 「この曲のサビで、なんか子供たちのこと考えちゃう」 そんな言葉の下に Apple Musicのリンクが貼られていた。 それは「茜色の夕日」という名前の曲だった。 私も聴いてみた。 泣いた。 1番だけ、歌詞を抜粋してみる。 ============== 茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すことがありました 晴れた心の日曜日の朝 誰もいない道 歩いたこと 茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました 君がただ横で笑っ

        • 【私の英語を育む土壌を作る30DAYS】

          こんにちは!SUMIKOです。 このたび「私の英語を育む土壌を作る30DAYS」を 開講することになりました! ✔️ 英語に対する苦手意識を払拭できない ✔️ どうにもこうにも英語を話す自分をイメージできない ✔️ どれだけ英語を学んでも、身についた感覚がない ✔️ モチベーションの保ち方が分からない 上記のどれか1つでも当てはまる方は このままもう少し読み進めていただくといいかもしれません。 私たちは英語を学ぶ機会に とてもとても恵まれているのに たくさんたくさん

        娘の自由を尊重する思いと、コントロールしたくなる思いと。

          緩・エネルギー革命

          選択に迷ったら 「緩む」方を選ぶことにした。 2022年。 「緩」が私の羅針盤だ。 そして私は今年を エネルギー革命の年にすることにした。 自分を奮い立たせて エネルギーを注ぎ足して 生きていくのではなく 私の中に生まれるエネルギーで 生きていくという在り方。 振り返れば2011年。 私は脱原発に大きく共感し 国の在り方に不満を抱いていた。 NO NUKES。 それは、地球にもともとないものを エネルギー源にするのではなく、 地球に循環する再生可能エネルギー

          緩・エネルギー革命

          わたしの価値に

          「自分が 自分であること それ以外の価値を 自分に与えるのをやめる」 そんな言葉が降りてきた。 大抵、そんな言葉は 台所にいる時にフワッと舞い降りてくる。 母であるわたし。 妻であるわたし。 英語を話すわたし。 翻訳セラピーをするわたし。 ゴミを拾うわたし。 ごはん作るわたし。 こんなわたし。 あんなわたし。 どんなわたし。 こんなわたし。 どれが欠けたとしても どれが足されたとしても わたしの価値は、なんにも変わらない。 わたしはずっと、わたしであること以上

          わたしの価値に

          ミッドナイト・スワン

          映画「ミッドナイト・スワン」への思いが 止まらない。 この作品を見たのは1回だけなのだけど (2回目を見る覚悟がまだ持てない) 渋谷慶一郎さんによるサウンド・トラックは 幾度となく聴いていて 聴くたびに、涙が溢れてしまうのは 私の心の原風景に瞬時に 移動させられてしまうからだと思う。 その人が見てきた景色は やっぱりどうしたって その人にしか、分からないんだと思う。 誰もが、その人にしか分からない 人生を歩んでいる。 だからこそ 生まれてきた全ての存在が どうしたっ

          ミッドナイト・スワン

          あなたはもっともっと、自由になる。

          私たちは日々、いろいろなことを感じている。 喜び、悲しみ、怒り、感謝、感動、焦り、無力感、楽しみ、ワクワク感、高揚感、満ち足りた思い、寂しさ、やっぱり1人じゃない、好き好き、、、 とかいろいろ。 いろいろを感じて、心を震わせている。 その心の震えを、形にするのが、私は好きだ。 もっと言うと、その震えを言葉にするのが、私は好きだ。 と書きながら泣けてくるくらい、私は言葉という「在り方」が好き。 いや、マジで好き。 人によっては、 絵で表現したりさ。 音楽で表現し

          あなたはもっともっと、自由になる。

          英語人格と自己肯定感

          自分が思っていること、 考えていること、 それらを、日本語だけでなく、英語で話すこと。 それはまるで 同じ事柄を、別の人格で もう1回、経験しているような感覚だ。 例えば 日本語:今日はいい日だったなぁ。 英語:I had a wonderful day today. 同じことを、同じ人(私)が言っているのに 全くもって、別の人格が 同じ1日を経験したかのように感じる。 「第2の言語を持つのは 第2の魂を持つことである」 認知科学者レラ・ボロディツキーが TED

          英語人格と自己肯定感

          朝の森には、人生が詰まっていた

          人生の終わりを感じながら生きるって どんな感じなのだろう。 人生の終わりを感じながら歩く森は どんな風に映るのだろう。 人生の終わりを感じながら 今、私はどう生きよう。 ==== 我が家の近くには、森がある。 朝になると、近所のご老人たちがそれぞれに集まり 木漏れ日の下を、泳ぐように歩いている。 昨日は、息子の幼稚園がお休みだったので 久しぶりに朝の森に出かけた。 季節は秋。ドングリの拾い時だ。 牛乳パックで作ったカゴを 首からぶら下げて、私たちは出発した。

          朝の森には、人生が詰まっていた

          正しさよりも大切なこと

          実家に住む母は 恐らく断捨離をしているのだろう。 最近、私の子供の頃の品々が 宅急便で届く。 捨てるに捨てられなくて 私の方に送ってくるみたいだ。 先日は、私がアメリカに滞在していた時の物たちが 続々と届いた。 その中に、中2で1ヶ月間ホームステイした時の日記が 入っていた。 それを読んで気づいたことがあって。 それは 私はアメリカ滞在中に 英語を直されたことがない。 少なくとも、その記憶がないのだ。 そして自分が正しい英語を話しているかどうか 気にしたことも、

          正しさよりも大切なこと

          それぞれの出会いと、それぞれのプロジェクト

          私には娘と息子がいる。 2人は同じ母親(私)に育てられているけれど まったく違う個性を持っている。 そして私と娘、私と息子 それぞれの関係が、本当にそれぞれのものだ。 それぞれの間にしか生まれない学びや喜び 悲しみとか、いろいろ。 そういうものがあるなぁと、すごく思う。 ==== うまく人間関係を築くことができなかった出会いも 今までにあった。 もう会うことはないかもしれない、 そんな方々のことを 時々、思い出すことがあるけれど 本当に、それぞれの方々と私との間

          それぞれの出会いと、それぞれのプロジェクト

          ここではない、どこか#2

          ここ最近、朝と晩に必ず ご先祖様と神様にお話をしている。 神棚に手を合わせて ・今、ここに生きていることは、皆様のおかげだということ。 ・今日1日、大切に生きていくこと。 この2つを、必ず宣言させていただいている。 そして、家にも話しかけている。 寝る前に 「今日も1日ありがとうございましたー!!!」 と声をかける。子供達も一緒に。 ==== 最近、娘との会話の流れで おじいちゃん(私の父)が赤ちゃんだった頃は まだ戦争中で ひいおばあちゃん(私の祖母)

          ここではない、どこか#2

          ここではない、どこか

          高校時代、アメリカに1年留学した。 渡米して2週間くらいかな。 それくらい経った頃、こう思ったのを覚えている。 「え、本当に、アメリカって、あるんだ・・・。 で、みんな、本当に英語話してるんだ・・・。 本当に本当に、みんな本当に、話してるんだ・・・。 セリフじゃなかったんだ・・・」 「そりゃそうだろ!!」 ってツッコミたくなりますが(笑) 当時の私は心のどこかで 信じていなかったみたい。 日本以外の場所が確かにあって そこでは誰かが 本当に、生きているということを。

          ここではない、どこか

          心いっぱい、私でいよう

          今日もクライアントさんの お役に立てるよう 心いっぱい、私でいよう 今朝、そんな言葉が急に思い浮かんで 咄嗟にインスタグラムのストーリーにアップした。 思った以上の、反響があった。 最近、すごく思う。 誰かのお役に立てることは 私の人生の大きな喜びだ。 そして「私だからできる」ことこそが いっちばん「誰かの役に立つ」のだなと 思い知らされている。 理想論でも、なんでもなかった。 それにこれが一番 効率的な在り方なんじゃないだろうかとさえ 思うようになってきた。

          心いっぱい、私でいよう

          答えが見つからない時にやること

          それは、その答えを 見つけようとすることをやめて 「どんな人生を送りたいんだっけ?」と 自分に問いかけることだと思う。 主人との関係がうまくいっていなかった時期 毎日毎日、悲しい言葉しか頭の中に浮かんでこなくて 毎日毎日、悲しい言葉ばっかり主人に浴びせていた時 ふと 「もう、こんなのは嫌だ。 私はどんな人生を送りたいんだったっけ?」 と自分に問いかけた。 すると 自分からこんな返答がきた。 「ありがとう、で生きる人生」 ・・・ その日からとにかく 主人に

          答えが見つからない時にやること