朝の森には、人生が詰まっていた
人生の終わりを感じながら生きるって
どんな感じなのだろう。
人生の終わりを感じながら歩く森は
どんな風に映るのだろう。
人生の終わりを感じながら
今、私はどう生きよう。
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我が家の近くには、森がある。
朝になると、近所のご老人たちがそれぞれに集まり
木漏れ日の下を、泳ぐように歩いている。
昨日は、息子の幼稚園がお休みだったので
久しぶりに朝の森に出かけた。
季節は秋。ドングリの拾い時だ。
牛乳パックで作ったカゴを
首からぶら下げて、私たちは出発した。
森に着く頃になると
ご老人たちとの遭遇率も上がり
息子が「こんにちはー!」と声をかける。
彼は、そういうタイプの人間だ。
話しかけたい人には、自分からどんどん話しかける。
そんな彼のおかげで、
たまたま出会った方々との会話が始まる。
「いちばん、いい時期ね」
息子と私を見て、とある奥様が呟いた。
「そうですね。本当に」
私は返した。
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奥様は、80代。
毎朝、森を散歩していらっしゃるそう。
奥様は、暮らしについて
お話をしてくださった。
祈るような気持ちで
私は耳を傾けた。
奥様はもちろん
ご老人の空気を纏っていらっしゃるのだけど
その目の透明感が
4歳になる息子と全く変わらなくて。
少女時代の奥様が、そこにいた。
いた。確かにいた。
そう、確かに、いるのだけど。
それでも
順当に行けば、私よりも先に、
奥様はこの世を、去られるのだろう。
人生の終わりを感じながら生きるって
どんな感じなのだろう。
人生の終わりを感じながら歩く森は
どんな風に映るのだろう。
人生の終わりを感じながら
今、私はどう生きよう。
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強く風が吹くと、ドングリが
コツンと地に落ちてくる。
「頭に落ちてきたら、痛いでしょうね」
と、奥様と笑い合った。
朝の森は、とっても人生が詰まっていた。
それぞれの人に、目が眩むほどの、人生がある。
それを伝え合うことの素晴らしさ。
今日も1日、私を生きよう。
奥様、今日も森にいらっしゃるかな。
お元気でいらっしゃいますように。
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