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土木建築技術者→メディア編集者、そして編集長に。異業種での一年間で得たもの

2018年7月1日にメディア編集者に転身したので、2019年6月30日でちょうど一年です。

それまでは土木建築技術者だったので、全くの異業種から飛び込んだこのメディアの世界。
予想通りに過ごせた日なんて一日たりともありません。
思い返すと本当に奇妙な一年でした。

でも、確かに言えるのは、「幸せだ」ということ。
ただただ幸せを感じながら毎日を過ごせている気がします。

というわけで、この一年を振り返り、編集者という仕事のリアル、異業種への挑戦のリアルを綴っていきます。

編集者という仕事をやってみたい、興味がある人はぜひトライしてほしいし、もし何も夢や目標がない人も候補に入れてくれれば嬉しい。面白い仕事だから。
そして、何か挑戦したい人は、ぜひ1mmからでも前に進んでほしい。やったことなくたって、やりたいことがあるなら挑戦してみてほしい。その一歩が何をもたらすか、僕が一番知っているから。

そんな、誰かの一歩を後押しできるよう、臆せず書いていきます。

2018年7月~9月:わけもわからずただがむしゃらに

2018年7月1日より、編集者としてのキャリアがスタート。
過去に何度かメディア制作に携わっていたのでなんとなく仕事内容は理解していたものの、とはいえその直前までコンクリート構造物の図面を描いたり、作業着を着て建設現場に立っていた人間です。

何が言いたいかというと、最初の3ヵ月はわけもわからず進んでいたということです。
当時の編集長である上司に引っ付いていき、全部の取材に行くものの隣でチョコンと座って話を聞く。ライターさんから上がってきた原稿を「上手いなー」と思いながら読む。そして、イチ社員として関係者とやり取りをして納品まで進める。
「校閲ってなんやねん」「ゲラってなんやねん」「トルツメってなんの呪文や」など、日々呪文を唱えるかのように仕事に取り組んでいました。
わからないなら、わからないなりにがむしゃらに。

入社して3ヵ月。前職時代とは比べ物にならないくらいの楽しさを感じていました。
取材に行くと、心打たれる話を毎回聴くことができる。その話を1本の記事に詰め込んで、読者に届けることができる。そして何より、自分が「やろう」と決意したことが実際にできている。
字面にしたらこれだけですが、社会人になって初めて「仕事が楽しい」と思えた瞬間でした。
(前職のときも多分言っていたのですが、心から言ってはいなかった気がします)

転職相談に乗ってくれた友達に報告がてら会ったとき、「めっちゃ笑うようになったね」と言われたのは今でも覚えています。

(一年前の自分。あんまうまく笑えてないけど…)

2018年10月~12月:「心」が大切だと気づいた

10月になった頃に、「1月から編集長に就任してほしいと思ってるけど、いける?」と社長から打診されたような記憶。
入社したときからそのつもりだったので「Yes」と即答し、就任するまでの準備期間のような3ヵ月となりました。

編集業務が徐々に僕の比重が大きくなり、それを先輩編集者2名から見守ってもらうような形。昔から直らない凡ミスがこの仕事でも頻発し、たびたび迷惑かけてごめんなさい。
とはいえ、編集長になるということで、その日々を楽しみに仕事をより楽しめていた気がします。

この時期、僕にとって大きな出逢いがありました。また、編集者としての考え方が一つ固まった時期でもありました。

会社で、学生が企業へ取材に行くサービスをリリースし、僕がそのPMに任命されたのです。
学生と一緒に取材に行って、記事を書く指導をするのを始めとして、活動に参加を希望する学生一人ひとりとの面談、さらには学生を集めたイベント企画・運営までやりました。
これだけのことをやった等はどうでもよく、その瞬間瞬間に宿る「心」が僕を躍起にさせたのです。

参加を希望する学生はみんないい子たちで、それぞれやりたいことや目標を持っている子たちばかり。
持っていないとしても、それを必死に探そうとして会いに来てくれた子たちが集まってくれました。
4年間しかない学生生活のほんの一部を僕の会社に預けようとしてくれたこと、僕に想いを語ってくれること、そこに僕が大きく「心」を打たれました。

だから、僕は決めました。中途半端な付き合いをするのはやめよう、と。

「インタビューとかライティングとかやってみたいんです!」という学生に対し、「じゃあ、まずやってみようか」と言うのではなく、「なんでやりたいと思ったの?」「それはどういうときに感じたの?」「将来、どういう姿になっていたいの?」「そのためにうちでどんなことをやってみたい?」とやろう思った背景までしっかり聞くようにしたのです。子供のときにどんなことをしていたか等、あまり関係のなさそうなことまでしっかりと。
多分、1時間の面談のうち、40分ぐらいはそういうヒアリングに時間をかけていました。

なぜそこまでしたかと言うと、「その子の人生にプラスになるようなことを提供したい」と思ったからです。
「この活動に参加してよかったです!」と言ってもらいたいからです。
学生にとっては単なるスキルアップの場では、僕にとってはただの労働力ではあってはならない、と。
目の前にいる学生の心に向き合って、輝かしい将来を想像して、それをちゃんとイメージできる状態でないと、ただ仕事を任せてはならないし、ただ付き合いをしてはならないと感じたためでした。

この半年で約50人の学生と話しましたが、全員と一人ずつ話しています。
同じぐらい話を聞いています。遠方の学生であっても、オンラインで同じ時間をかけて。
だからかわかりませんが、「飲みに行きたいです!」とたまに言ってくれたり、遠方で会ったことがなくても東京に来るときは連絡をくれたり。

この時期があったおかげで、僕は「目の前の人の現在、過去をちゃんと知って、お互いに未来を想像できる付き合いをしよう」という価値観が生まれたような気がします。
出逢いは、出逢うための努力ではなく、離れないための努力のほうが大切だと学ばせてくれました。

(企画・運営した初の学生交流会。主催者めっちゃ端っこやけど…)

2019年1月~3月:編集者としてぶち当たった壁と、乗り越えた「自分」

というわけで、編集者になって半年で編集長に就任しました。
土木→メディアでもだいぶ驚かれるのに、半年で編集長になったというともっと驚かれます。今この話をしても、会った人ほぼ全員にびっくりされます。

就任した直後は充実感に満たされていたのですが、そんなものは束の間。
分厚い壁が突如襲ってきたのです。
この話はほとんど誰にもしたことがなく、ここが一番書きたいことかもしれません。
新しい挑戦をする人に必ず訪れる壁で、それをぶち破るには「自分」が必要であるということを。

編集長に就任した=上司が退任した、ということ。
つまり、僕がすべてを取り仕切る、ということです。

とはいえ、当時メディア歴半年のひよっこ。わからないこともまだまだ多く、上司の配慮で色んなものを残して引き継いでくれたのでした。
元々、メディアには凄腕のライターさんやカメラマンさんが集まっており、いつも高品質の原稿や写真が上がってくるのを楽しみに待つ日々。
また、僕が取材現場に行かなくても取材ができるようにライターさんを育ててくれていたり、原稿の構成指示も特に必要ないような料金体系にしてくれたり。
要するに、僕が特に何もしなくても記事が完成するような体制を作ってくれていたのです。

もちろん、その方針には全面同意で、「めっちゃええやん」としばらく進めていました。
僕一人でも特に滞ることなく、お客様に納品できる。それも質が担保された納品物を。
会社にとってはそれが一番の価値で、僕にとっても余計な負荷がかからないので、チャレンジしたいことにチャレンジできる。
これは良好な状態である。しばらくはそう思っていました。そう、しばらくは。

編集長になってしばらく経った2月末ごろ、あることに気が付きました。
仕事をしている感がない」ということに。
なぜそう感じたのかを、ひも解いてみることにしました。

取材が決まったときは、基本的にライターさんにインタビューからやってもらい、僕は隣で客観視するという構図。そして、当時は原稿の内容は基本的にお任せしていました。なので、「こんな流れで書いてください」という構成指示も特にすることなく、全部お任せで進めていました。
確かにすごく楽でいいものが作れるのですが、原稿を見ていて何かもどかしい気持ちがあったのです。

結論を言うと、「今目の前で起こっていることすべてに、僕の意志がなかった」ということ。
つまりは、「自分の仕事をしていなかった」ということです。
僕の意志がなかったので、原稿を見ても特にフィードバックすることもなかったし、お客さんへ原稿の意図を説明することもできていなかった。だから、納品した記事に対しても愛着を持つことができなかった。
もうおわかりですよね。僕がいてもいなくても変わらない状態だったということです。

これに気付いた瞬間、本当にきつかったです。
仕事量が多いことでも、それを相談できる人がいなかったことでもなく、そこに自分がいなかったことが。
編集長になったにもかかわらず、『編集者・角田』はどこにもいない。
存在意義がない事実を突きつけられたようでした。

だから、それ以降はあることを決めました。
「自分が納得するまで納品しない」ということを。
たとえ自分に負荷がかかっても、ライターさんやカメラマンさん、お客様に迷惑をかけたとしても。

僕は編集者だ。僕がメディアの編集長だ。僕がメディアを背負ってるんだ」と言い聞かせて、少しばかりの修行期間に設定することにしました。

取材案件が立て込んだとしても全て現場に行き、ライターさんカメラマンさんと「こんな風な記事にしたいですね」とやり取りしたり、構成指示もすべて行うようにしました。
「こんなことを伝えたいです。なぜなら読者はこんな人で、こんなことを求めているから」と構成案を作った意図まで添えて。
文字起こしにすべて目を通し、使いたいエピソードをピックアップして構成案を作るのは意外に時間がかかるので正直きつかったですが、そのおかげで一つ壁を乗り越えた気がします。
納品された原稿を見ても自分のイメージとのすり合わせが早くできるし、お客様にも意図を説明できる。そして、納品されたら「こんな風に喜んでほしいな」と想像することができる。
それが現実になったら、これほど嬉しいことはありません。

この経験から、何か新しいことに挑戦しようとする人にはこう伝えたい。

自分を見失ったとしても、その答えは自分の中にあるよ」と。

(初めて書籍の編集をしたときの写真。書籍の編集って大変ですね)

2019年4月~6月:メディアはチーム戦である

4月に新卒入社の後輩ができ、二人体制の編集部となりました。
文字通り、寒い冬に待ち望んでいた春のようでした。

入社した初日からいろんな議論を交わし、「ああでもないこうでもない」と言いながら一本一本の記事に向き合う毎日です。
一人で悶々と考えていたことが爆発したかのように、僕の思考を全て聞かせているので後輩は少々めんどくさそうですが、そうやって力を借りながら編集部として動けていることに幸せを感じています。個人としてではなく編集部として。

また、新たな試みとして、ライターさんやカメラマンさんなどのパートナー―さんとも接する機会も増やしました。
交流会を催して取材現場ではできないような話をしたり、6月からは勉強会を始めたりしています。

いずれも僕が言い出しっぺなのですが、これらの試みの理由は「メディアはチーム戦である」という想いです。
野球に育てられた僕は、チームの持つ力を一番理解しているから。

確かに、取材が決まったら会社は発注者となり、パートナーさんは受注者となります。
パートナーさんからの納品物に対し、会社は報酬を支払います。
そうやって1本の記事ができ、仕事が成立する。それは紛れもない事実です。

しかし、取材現場に行き一番パートナーさんと会っている僕は、それだけの関係で終わらせたくないと強く感じました。
受注者ではなくパートナーさんであり、そしてメディアに集いし仲間なのです。
みんな、一緒にメディアを作り上げてくれる仲間で、一緒に夢を見てくれる仲間です。

だから、お互いのことをもっと知って想いを共有したいし、互いに有する技術は持ち寄ってみんなでもっと良いメディアにしていきたい。
発注者と受注者なんて壁は取っ払いたいし、スキルは奪われるものではなくお互いに高め合っていくものだから。

ライターさんやカメラマンさん、デザイナーさんなどは世の中にたくさんいる(らしい)し、メディアも乱立している。
その中で何かのきっかけで参画してくれて、一緒に作り上げてくれる人との結束力を高めていきたいと思い、今は動いています。
そこに「できるかできないか」なんて価値基準はありません。

ただ、「僕の自慢のメディアには自慢の仲間がいる」ということを、真に思いたいから。

だから、メディアはチーム戦です。
常に主語はWeです。
2019年7月から迎える2年目のメディア生活においても、そのスタンスはかわりません。

(初のライター勉強会の写真。僕が持っているPCには「Story is 〇〇.」の文字。意味不明ですよね)

2019年7月~:挑戦者に全力伴走する編集長に

というわけで、奇妙で濃密な1年間が終わり、2年目に突入します。
1年前に今の姿は全く想像していませんでした。目の前で起こったこと全てに感謝です。

この一年を踏まえ、今一番思っていることは、「挑戦する人に全力で伴走したい」ということです。
なぜなら、一年前の何もなかった自分に挑戦する場を与えてくれたおかげで、今ここに立っているからです。挑戦した結果、想像以上の幸せを感じて生きられているからです。

編集者やライター、カメラマンなどは参入障壁の低い職業で、まずは趣味からでも始められるものでもあります。
「ライターをやってみたいんです」とか「編集やってみたいんです」と言う人に少しずつ出会うようになってきており、その障壁の低さを実感しているところです。

そんな人に対し、僕は声を大にして言いたい。
メディアは夢あるぞ」と。
編集者、ライターは素敵な職業だぞ」と。

それは、この一年間の僕が証明してきたことだし、それを伝えることが勇気になるなら、臆せず発信していきたいと思います。
一年前まで図面を描いたり建設現場でヘルメットをかぶっていた僕が、今は編集長としてメディアを背負っている。
自慢に聞こえるかもしれませんが紛れもない事実で、「挑戦する人には必ずチャンスがある」ということの裏付けにもなるのです。

とはいえ僕もまだ2年目に突入したところなので、ひよっこの一人です。
スマホの画面越しに見る他のメディアの完成度や、表現力の高さに打ちひしがれることだってよくあります。
だから、全力で伴走しつつ僕も全力で次のステージに行けるよう走っていきます。

この1年間で関わってくれた方々、ありがとうございました。
引き続きみなさんの力をお借りしながら、「まだまだ、夢見ていい世界だぞ」と言えるような2年目を過ごしていきます。

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