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日記

もし、世界中の、すべての時代の、これまで生きてきた人々が日記をつけていたとしたら。それがすべて残っていたならば。どれほど意味のある、興味深い資料になっていただろうと思う。

そこには、時代時代の文化、思想も反映されており、つなげれば詳細な人間の歴史書となる。何を思い、どんな行動をとったのか。どんなものを好み、食べ、何を手に入れたのか。夢中になっていたことは何か。生きるために何をしたか。何を望んでいたか。それは、膨大な人間の移りゆく記録。

日記は自分のために書くものかもしれないが、ひとつひとつの日記には本人も意識していないであろう、ほかの誰か、後の誰かに必要な事柄が記されていると思う(人には見せたくないもの。それが日記なんだと思うが)。

そう考えると、日記ってすごい。毎日書く日記はすごい。
後から自身で読み返しても、その時々の自分の状態や考えを知ることができる。新たな発見もあるだろう。

ところで、私は今、日記を書いていない。

手元には、子どもの頃書いていた日記の類も残っていない。大掃除の度に、一冊また一冊と処分してしまった。唯一、産後の1年弱、乳児の記録として母乳をのんだ時間、寝た時間などをメモ書きのように残したものはある。記録ついでに、そこには自分の体調や育児に対する辛さや不安、夕飯のメニューなんかも書いていたと思う。しかし、6年経った今も怖くてそのノートを開くことができない。赤ちゃんを可愛いと思えなかった時期のこと。どんな言葉を綴っていたのか怖くて見られないのだ。

日記について書いていたら思わぬところに飛んでしまった。
見返すことが出来ない日記は私にとってどんな意味があるのだろう。自分のことになると何も分からなくなる。当時の私は日々、記録を付けることで気持ちを保っていた部分もあったかもしれない。

うん、やっぱり日記は書き留める、という行為がいちばん大切なように思う。


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