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しょげた人間にかけたい言葉のお薬たち

私はよく、しょげる。人間誰しもしょげる時はあるし、生きてりゃ嫌なことがあるのもしょうがない。

でも、しょげている時はそんなあっけらかんとした思考は脳みそに出てきてくれなくて、光の見えない深い心の底に潜り込んでいってしまう。

でもでも、光は見えないだけで、あるんだってこと、健やかな私は知っている。これは、しょげた私に、この世界には光もあることを伝えるための言葉の薬たち。私以外の方に効き目があるかは保証しかねます。



世界は、ずっとずっと広い

くよくよと、すごすごと思い悩む私は、往々にして視野が狭くなっている。目の前30cmくらいのことしか見えなくなっていて、一寸先も闇なので、ちょうど全く光は見えない。どういうわけか、光が見えていた頃のことも忘れてしまっている。

どうかそんな時は、どうにか頑張って遠くを見てみてほしい。家にある好きやきらきらを眺めるとか、本がたくさんある場所で文字を浴びるとか、旅に行って大きな自然に包んでもらうとか。

世界はとてつもなく大きくて広い。私の知らないことが、まだ見ぬ世界が、いくらでもある。私はちっぽけだ。私の悩みはちっぽけだ。大きな世界においては、取るに足らない出来事だ。

そして私の過去には、大切にしてきた日々がある。未来には、実現したい穏やかな暮らしがある。今の目の前ばかりに囚われすぎないで、目線を外してみると、見えるものって変わってくるかもしれない。


あんたの人生はあんたが生きろ

メンタルダウン2024休職エディションをやり抜く間に学んだこと。私の人生は、私以外の他の誰も生きてくれない。逆に、私は他人の人生なんかを生きる必要もさらさらない。

私は、私以外の物事に気を取られすぎる性質がある。おそらく今あんたがねじねじと悩んでいることは、あんたの人生にとってさほど重要ではない、外に置いておいて良い物事。あんたがあんたの人生で大切にしたいことは、きっともっと別にある。

あんたがあんたの人生で大切にしたいと思っていることだけを大切にすればええがな。他のことは別にいいやって思ってええがな。大切にしたいものは、多すぎなくてええがなええがな。


適当でいいんだってさ

いやだよね〜。適当になんてやりたくないよね〜。やるからには本気 (マジ) になって、とことんやり尽くしたいんだよね〜。分かる、分かるよ、私ってそうだからさ。

でも、いつもどこかで、ラフに軽やかに生きている人への憧れは持っていた。次の授業で使う道具を几帳面に机に並べる自分がちょっと嫌だった。適当に大雑把に、大きな口を開けて笑って生きている人間って、私よりずっと良い人生を送っていくんだろうなって、なんとなく思っていたよね。

たぶん私は、元来クソ真面目で、ちゃんときちんとできちゃう人間なので、ちょっとくらい手抜いて適当にやっても、それがちょうど良い塩梅だったりするんじゃないか。何かの本で読んだんだけど、適当に生きたって別にいいんだってさ。


それ、今考えなくてもよくね?

わかった、あんたが思い悩み悩み悩んでいることは分かったから、一旦置いとこう。思考の端っこの後で考えるBOXにでも入れて、一旦忘れよう。そんなに思考を揉み続けたら、果汁が出尽くしたぐちゃぐちゃのみかんみたいになっちゃうから、もみすぎもみすぎ、一旦手を離して。

ほんで後で、健やかになってからまた考えよう。もしかしたら健やかになったら、あれ、考えなくてよかったや、ってなるかもしれないし、考える必要があるんだとしたら、健やかな状態で考えた方が絶対に良い解決策が思い浮かぶ。

考えても考えてもぐるぐるとグレーな渦から抜けられない時は、一旦置いておいても大丈夫だから、あったかいもん飲んで、甘いもん食べて、信頼できる人に話したりして、ちょっとでも健やかになることをまずは優先しよう。置いといたって損しないから。


どっしり構えてみるとか

ネガティブケイパビリティといって、分からない状態を受け入れるっていう概念がある。分からなくて定まっていなくてふわふわしている状態ってすごく不安で居心地が悪いけど、それを受け入れられると楽になることは私にとって多い気がしている。

わざわざ未来から不安を取り寄せなくても良い。この世はどうなるか分からないことだらけで、全てを気にしていたらキリがないし、大事な今を楽しめなくなってしまう。

だから、どうにかなる、どうにでもなれ、の気持ちでどっしり構えることも時には必要。どうなるかは分かんないけど、息してればなんだって通り過ぎてゆくし、僕らは乗り越えてゆくんだし。


構わないから その姿で 生きるべきなんだよ

私は基本、あんまり他人のことを信用しないが、藤原基央の口から出る言葉については信用している。藤くんが言うからきっとそうなんだろうと思って生きている。

この一節は、BUMP OF CHICKEN「ギルド」の歌詞。普段強い口調は使わない藤くんが、生きる"べき"という表現をしているのだから、そりゃあもうその通り、絶対に確実に、生きるべきってことなんだろう。

BUMPの声を聞け。ライブで藤くんがくれた言葉を思い出せ。あのキラキラしていた空間を、勇気をくれた音を、めいっぱい振りあげた拳を。今のあなたには味方が一人もいないかもしれないけど、音楽はいつだって変わらずそこにある。


どうせいつか終わる旅を 僕と一緒に歌おう

こちらも同じく、BUMP OF CHICKEN「HAPPY」より。大きな諦めと小さな希望の、温かいうた。この世界を歩く勇気をあなたにくれるので、おふとんから動けなくなった時は聴くと良い。

なんにもないということは何かがあったということで、絶望があるということは喜びもあるということで、痛みは洗い流されても消えちゃいやしないということ。

救いはないけれど、大切にしたいものはあるんじゃないか。

なんか食おうぜ そんで行こうぜ

***

私は2024年の頭から適応障害により休職している。そして、そろそろ復職しようと思っている。正直、全然、お外怖いようお仕事怖いよう状態だが、そろそろお金も欲しいし、これ以上休むと余計に社会復帰がしんどくなってしまう気もしている。

未来の私へ、なんかしんどくなったら、ここへ戻っておいでよ。過去の私が残した言葉たちと、一緒に戦う人たちの文章を摂取できるからさ。

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