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アンパンマン作者から学ぶ「満員電車から降りない」生き方

日本で知らない人はおそらくいないであろう不朽の名作「アンパンマン」。ぼくも小さい頃親しんだアニメだ。もうじき3歳になる姪っ子も「アンパンマン!アンパンマン!」と夢中になっている。

ある日古本屋さんで本を物色しているとき、「やなせたかし」という著書をみて「あ、アンパンマンの作者だ。本出してるんだ。読んでみようかな」と中身もろくに見ずにかごに放り投げたのがこの本との出会い。

2011年に出版された本で、当時すでに92歳。「あれだけ有名なアンパンマンをつくった人なんだから、さぞ才能に満ちあふれていた人生なのだろう」と勝手な先入観で読み進めたものの、これがまた全然想像していない人生だったことに驚いた。

戦争を体験して本当の正義とはなにかを考えた

著者のやなせたかしさんは、幼少期に父を病気でなくし、弟を戦争でなくしている。絵筆を持つ代わりに銃を持ち、やなせさん自身も戦地へ。毎日ひもじい思いをして、野草をむしったり魚を捕まえて食べながらなんとか生きながらえたそう。

お互いに「自分が正しい」と考えて衝突する戦争を経験したやなせさんの脳裏には「何が本当の正義なのか」と日々自問自答。たどり着いた答えは「ひもじい思いをしている人に手を差し伸べることは、絶対的な正義だ」ということ。

困った人には手を差し伸べる、飢え死にしそうな人には食べ物を分け与える。これは覆らない正義だ。

そんな思いが、自分の顔をちぎって食べさせる心優しいアンパンマンを誕生させることに繋がった。

「人生、一寸先は光」

戦争が終わり、仕事をはじめても、漫画家として大成はせず、むしろ漫画以外の仕事を多方面から頼まれるようになる。それでも受けた仕事は断らず、ひとつひとつに向き合ってこなしていく。当時はまるで「便利屋」のようだったと語っている。

他の漫画家が売れていく中、自分だけ取り残されている感覚を持っていたやなせさんは当時のことを「絶望の中にいた」と言う。先輩や同期のみならず、後から入ってきた新人たちも花形作家として次々と飛び立っていくのを見て、敗北感と焦燥感にかられていたと。

それでも一人の先輩から「人生、一寸先は光だ」と言われて、漫画を書き続ける日々が続く。「描き続けていれば、いつか陽が射し込んでくる」と信じて。その間、たくさんの運命的な出会いを重ね、漫画以外の仕事もこなしているうちに、60歳を過ぎてようやくアンパンマンが注目を浴びて世に出るようになった。

満員電車から降りなかった

やなせさんは自分の人生をこう振り返っている。

僕は、人生というのは、満員電車じゃないかと思うのです。我慢して乗っていると、次々と人が降りていって、いつの間にか席が空いて座れる。これは、誰もが一度は経験することでしょう。僕が売れない、モテない、しがない漫画家としてそれでも生き延びてこれたのは、満員電車から降りなかったからです。(中略)ぎゅうぎゅう詰めの満員電車は嫌だ、もう耐えられないと降りてしまったら、それでおしまい。降りないでそこにいることです。「継続は力なり」と言いますが、あきらめないで、一つのことを思いを込めてやり続けていると、ちゃんと席が空いて出番はやってくるのです。(本著P218〜)

絶望の隣は希望です!

所感:「継続は力なり」を体現した人

ぼくの好きな言葉で「やりたい人、10000人、はじめるひと、100人、つづける人、1人。」というのがある。それに似ていると思った。

ぼくはどちらかというと「石の上にも三年」とか「初志貫徹」とか、そういう言葉はただの縛りで無理してまでやる必要はないと思っている。
それでもやなせさんのように「今は闇の中にいてもいつか陽が射す」と信じる力が、いまのアンパンマンをつくっているのだと思う。

そしてさらに、やなせさんの出会いの引きや運の強さ、謙虚さが読んでいくうちにひしひしと伝わってくる。誠実に、愚直に生きているやなせさんだからこその境地なのだろう。

思いを込めて、信念を持つ。あとは満員電車から降りない。

60歳以降に花が開き、その後92歳を迎えても現役で仕事をこなしているやなせさんの生き様に、とても心が動かされた一冊だった。


娘のオムツ代とバナナ代にさせていただきます。