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第3話「わたしは火星人。ひとりぼっちの幸福論」

YOJO ZINE第3話 わたしは火星人。ひとりぼっちの幸福論
小説家 土門蘭×お灸堂すきから

WHY YOJO? 健康にすごすのが難しい世の中で。

養生(YOJO)とは読んで字のごとく「生(いのち)を養う」ということです。この養生には食事睡眠などの生活習慣の調整だけではなくて「自分の幸せを自分で定義する力」「自分の機嫌をとる」ことなども含まれると思っています。身近であるがゆえに解像度が低く、家族や恋人同士でも全然違う「健康」という概念について「養生人」とすきからが対談し、その知恵を集めることで自分らしい「健康」や「養生」をみつめるきっかけを作りたいという思いでスタートしました。

第3話のゲストは小説家、土門蘭さん。

今回のゲストはすきからの憧れの人、小説家の土門蘭さんです。WEBで執筆されていた連載を読んでファンになり、共通の友人と2度ほどお酒の席でご一緒した仲で「頭に残る言葉を話す人だな」というのが彼女に対する印象です。この仕事をしていると“強さというのは何かしらの弱さの裏返しである”ということを日々感じます。だから素敵な作品を作る人は何かしらの弱さを抱えているのだろうと思うし、このインタビューもそういった話になるのかなと予想していました。でも実際にお話を聞いて垣間見えたのは土門さんの強さであり、養生人としての姿勢でした。

【プロフィール】
土門 蘭(どもん らん)
1985年広島生。小説家。京都在住。インタビュー記事のライティングやコピーライティングなど行う傍ら、小説・短歌等の文芸作品を執筆する。著書に『100年後あなたもわたしもいない日に』『経営者の孤独。』『戦争と五人の女』。

35歳の再考。書くことと生きること

すきから:最近僕自身、35歳になって、家族の健康とか自分の健康とか、働き方みたいなことを考えるようになったんです。例えば、「経済的に大きくなりすぎずに強くなる」みたいなことが今のテーマだったりするんですけれど。土門さんと僕は、85年生まれの同い年ということで、土門さんは35歳になってみて変わったことって何かありますか?

土門:40歳を意識しだしたということはあります。体力も落ちてきたし、量は書けなくなってきた。感受性も質が変わってきたように感じていて、沢山書くというよりは、じっくり向き合っていく方がいいなと思いはじめています。書くことというのは自分にとってとても大切なことなので、その時間を守らないといけない。そのためには、稼ぎもないといけないし。そこで他にも何かできることはないだろうかと考え、これからの5年間で「教える」という仕事もやってみようと思ったんです。教えることと書くことの2つの軸で、40歳になったら食べれるようになっていたらいいなって。

すきから:体力と感受性の変化は私もものすごく実感します(苦)。書き方をライターさんに教えるんですか?

土門:でも、教えるっていっても「ライターで食べていける人を増やそう」ということをしたいんじゃないんです。それは自分がしたいことではないなと思っていて。

じゃあ、自分にとって文章を書くって一体どういうことなんだろう?それを教えるってなんなんだろう?ってあらためてそこに立ち返ることになりました。

すきから:なるほど…。

土門:YOJOZINE第1話で、ゲストの中村さんも資本主義のお話をされていたかと思うのですが、生きることって、資本主義的なスケールで測りきれることではないよなと思うんです。

私はもともと努力することが好きな人間なのですが、やることなすこと仕事に結びつけようとしてしまうところがあって。それってもしかして、生産至上主義的、資本主義的なのかもしれないなと思うようになりました。

最近のニュースで、三浦春馬さんや竹内結子さんが亡くなったことが、私はとてもショックだったのですが。twitterで竹内さんのことについて「結婚もしていて、子どももいて、才能もあって、あんなに綺麗なのに、なんで死んでしまったんだろう」っていう一文がツイートされているのを見ました。初めは私も同じように感じていたのですが、それと同時に「そもそも命って、合理的で相対的なものだけに依存するものなのだろうか」と思ったんです。命ってもっともっと神秘的なもののはずじゃないか。私たちが思っているよりもずっと複雑なものなのだろうなって。

すきから:それは言われてみると本当におっしゃる通りですね。当たり前のことなのに忘れてしまっているかもしれない。

土門:私は子供の頃、文学に救われてきた人間です。家が貧しかったり、周りとうまくいかなくて、どうして自分はこんなにうまくやれないんだろうって思っていた時に、本を通じて、資本主義的な価値観の外にある世界を知って「あぁここなら私でも息ができる」って感じました。私が描きたいものの本質も、そういった価値観の外側にあります。他人からどう評価され、どの立ち位置にいるかということに関係のない、資本主義の外側の世界を書いていきたいと思うんです。

すきから:ライターで食べていける人を増やすというのに違和感あるっていうのは、資本主義経済に従って、稼ぐために書くということに対しての違和感なんですね。

土門:そこのみで書くことを、自分が本当にしたいのか、ということですね。そもそも「書く」という行為の本質は経済的なものではなく、贈与的なものなのかなと最近思っています。だから私が書いた文章が、今すぐ経済にはまらなくてもいいと思ってもいて。自分が死んだあとにでも、誰かの心を癒すことができたらそれでいい。だから今の時代のニーズに合わせて「売れる」文章だけを書いていくということとは、少し違うんですよね。

私の文章は、ウェブで無料で読める文章も結構たくさんありますけれど、死にたいって思ってた10代の頃の私のように、文章を必要としているような若い人にも届いて欲しいなと祈っています。そういう子たちには、お金のことを心配せずにいっぱい読んでほしい。そうやって資本主義の外で、書きたいものを書き続けるために、今、資本主義の中で何ができるだろうって考えています。個人として書いていくためには、両方必要なんですね。

すきから:お仕事としてこれから「書くことを教える」ということに力を入れていきたいということでしたが、土門さんが書くことを教える立場になった時、書き手の人たちにはどんなことを伝えるんですか?

土門:「誰に届くかわからないけど、他人を気にせずに自分のために書いていい」ということを伝えたいなって思っています。「自分を救うために書いた文章は、必ずいつか『自分のような他人』を救うから」って。

文学の中の”誇りたかき主人公達”が、教えてくれたこと

すきから:土門さんご自身はどんな文章を読んで育ってきたんですか?

土門:10代の頃は純文学を読んでましたね。実は、小さい頃は絵本を憎んでいた子どもでした(笑)。母が韓国出身で、日本語の絵本が読めなかったんです。父もめんどくさがって、あまり読んでくれなかった。だから、保育園の先生を独占して絵本を読んでもらっていたけど、なんだか寂しい気持ちが募っていたんですね。

すきから:なるほど、絵本って読み聞かせありきな部分がありますもんね。擬音語とか擬態語とか、そういうのも多いし。

土門:そうそう。絵本は、読んでもらうというコミュニケーションがあるから完結するものですよね。だから、絵本に対してコンプレックスがあったんでしょうね。少し大きくなって、児童文学を読むようになり、《小公女》と《若草物語》にまず、救われました。小公女は、お金持ちのお家の女の子が主人公なんですが、お父さんが亡くなって貧乏になってしまう。でも、エミリーというお人形と一緒に、誇りを失わずに生きていくんです。若草物語も、裕福だった家庭の娘たちが経済的な豊かさを失いながらも、それぞれに強く美しく生きていくような物語です。

中学に入ってからは、江國香織さんの《きらきらひかる》を読んで感銘を受けました。アルコール依存症の女性とゲイの男性、そしてその恋人3人が登場する小説ですが、社会的にはどこか疎外されている3人が、それでもそれぞれを思い遣って、本当に美しく生きていこうとしている様子を描いた作品です。それから小説をよく読むようになりました。

文学を通して、いろんな生き方を知った。私みたいに疎外感を抱えている人間は一人じゃないんだ、って思えたんです。そんな中でもそれぞれの命を、誇り高く、よく生きようとしていく主人公たちに勇気付けられました。

すきから:自分の生(いのち)を生きる人たちに、文学のなかで出会ってこられたってことなんですね。

資本主義の外側で、火星人として文章を書きはじめた。

すきから:ちなみに、書くことはいつからはじめられたんですか?

土門:子どもの頃から、日記を書いていました。私は日本と韓国のハーフなので、日本にも韓国にも完全に属せないアウトサイダーのように感じていました。いつも疎外されている気がして、自分をやめたいと思っていたので、そんな自分を救うために書いていたんです。

私、小学生の頃、自分のことを火星人だと思っていたんですよ。

すきから:火星人?!

土門:そう。この地球上でうまくやれない自分は、実は火星から来ているスパイなんだと考えるようにしていました。それなら地球でうまくやれないことも説明がつくなって、なかば強制的な思い込みですよね。そして、毎日、母国である火星に地球のことを報告するために日記を書いていたんです。

すきから:それはすごい設定ですね。面白い。

土門:資本主義の外側の世界で書きたいというお話をしましたけれど、私にとって「地球」という星は、資本主義、つまり相対評価のメタファーなのかもしれません。地球では、常に他人からの評価や立ち位置を気にしないといけないと思っていましたから。それに対して「火星」とは、絶対評価のメタファーなんですね。

だからと言って「地球」が悪くて「火星」が良いということではもちろんありません。地球にはインフラが揃っていて他人もいて、努力に応じた報酬や貢献感もある。一方で火星は、自由でありながら孤独です。だから、地球と火星を行き来しながら生きていくことが大事なんですよね。「私は宇宙の中にいて、どこにでもいける!」っていう感覚。人の心も宇宙のようなものなんじゃないかなと思っています。

すきから:自分の居場所が、地球だけではないかもしれないってわかっていることが大事ということですね。行き来して良いんだっていう。

土門:そうそう、それすごく大事。

虚(=形のないもの)が生きやすさを与えてくれる

土門:読み手としても書き手としても、文学に救われてきた身としては、文学部は不要で、文学には意味がないみたいな話があるけれど、そうなったらすごくしんどいなと思います。

すきから:たしかにそういう風潮ってありますね。東洋医学に「虚(きょ)」と「実(じつ)」という考え方があります。簡単に言うと「虚」は足りない状態。「実」は足りている状態。一見すると「実」の方が良さそうですがそれだけに傾くと腫れや発熱など「実」の不調が起こります。両方ともが同じように大事だし、虚と実のバランスって、人によっても状況によっても全然変わるものなんです。

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さらに視点を変えて「実」は、実用的や役に立つこと。「虚」は形のないものや直接的に意味を求めないものと考えてみると。芸術や文学は「虚」に属すものかもしれないですね。必要な「虚」。

あ、そういえば最近、土門さんの短歌の本《100年後あなたもわたしもいない日に》を読ませていただきました。ずっと本棚に眠っていたんですけど、このタイミングだ!と思って。

土門:わ!ありがとうございます。

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《100年後あなたもわたしもいない日に》京都文鳥社

すきから:実は今まで、短歌や詩というものは抽象的でよくわからないと思っていたし、ほとんど触れたことなかったんです。なんとなく「余裕のある人が読むものだ」と思っていました。自分は、真面目な長男タイプというか、実用書ばかり読むようなタイプなので…。

でも、土門さんの短歌を読んで「あ、これ自分にも関係のあることだ」ってはじめて思って。先程の実学とは違うもうひとつの足場を作ってくれる感じがしたんです。

土門:それはすごく嬉しいです。短歌や詩や小説などの文学作品は、心のインフラのようなものになり得るんですよね。

いい文章ってふたつあると思っているんです。ひとつは、自分の心の内を整理してくれるような文章。デザイン的な文章というのでしょうか。「そう、そういうことが言いたかったの!」ってなるようなもの。これは「実」の文章かもしれないです。

もうひとつは、「わたしも好きに生きていいんだ。もっと自由でいいんだ!」って思わせてくれるような文章。これは多分、アートに寄ったもので、「虚」の文章。

「虚」って生きやすさを与えてくれることがあるんですよね。短歌って文字数も少ないし、抽象度が高いので、絵画でたとえると解釈の余地が多い抽象画に近いのかもしれません。抽象度が高くて柔らかいので、歯医者さんの型取りのグニャってするやつみたいに、自分の今の心にぴったりとハマってくれる(笑)

すきから:歯医者のぐにゃぐにゃのやつ(笑)

土門:そういう意味で、詩や短歌はそのときの読み手の心にすっとはまりやすいものだと思います。読み手の心を映し出すというか。

すきから:執筆される時には、インタビューと小説だとどんな感覚の差があるんですか?

土門:インタビューの場合は、まず書き手が掲げるテーマがあります。例えば、すきから先生にインタビューするならば、そのテーマがすきから先生にどのように繋がるのかという観点から考える。そして、その次に、そのテーマが社会にどのように繋がるのか、といったことを考えます。書き手、話し手、社会、と三角形でテーマを共有し掘り下げていく感じです。

小説を書く場合は、全然違っていて、もっと身体を使う感じ。自分丸ごとそのテーマのプールに飛び込んでみてめっちゃ泳ぐ、みたいな感覚です。そこに拡がる世界についてとにかく書き記していくと、結果的にその総体がそのテーマについての物語になっていく。

すきから:物語の場合は、土門さんにとってもテーマに浸かって、書いてみないと分からないって感覚なんですね。

土門:そうですね、自分もその一部になってるから。去年《戦争と五人の女》という小説を出して、今新しいものを書いているんですけど。まだ待たないと育たないって感じ。まだ書けないですね。

すきから:わぁ、楽しみ。いつ出版されるとかあるんですか?

土門:一応あるんですけど、締め切りを破り続けている(笑)小説の場合は、なかなかスケジュール通りに進まないですね。

自分を耕して、ひとりぼっちの文章を書く。

土門:最近、好きな文章と嫌いな文章は何かって、ある人に聞かれたんです。そのときちょっと考えたのですが、わたしが嫌いなのは「化粧臭い文章かな」って答えました。

すきから:化粧臭いってどんな感じですか?

土門:承認欲求や自己顕示のために使われている文章ってことですかね。そういうものを感じると、読むのが苦痛になってしまいます。

逆に、好きな文章は「ひとりぼっちの文章」だなと気づいたんです。「あー、この人、火星人なんだな」とか「木星で一人で書いたんだろうな」と思うような文章が好きなんです。誰かの代弁をしたり評価を求めるのでもなく、自分の目で見て、心で感じたことを、自分の星で素直に書いているという文章にすごく癒されます。

すきから:自分で感じるということができても、それを文章にしていく技術ってどうやったら身につくものなんですか?

土門:結局は、自分のことを知るってことなんだと思います。自分の中を掘っていけばそこは自分の星になる。その星で、地面に足をつけて、わかったことを正直に書けばいいってことだと思います。

先日、ライターの皆さんにインタビュー記事の執筆講座を行ったのですが、最初にやっていただいたのは、自分が昔から気になっているキーワードをとにかく書き出してもらうというワークでした。「ずっと気になっていること」とか「本屋さんでつい手を伸ばしてしまうジャンル」とか、とにかくたくさん書いてもらう。自分はどこに興味があり、何を欲しているのかをまず知ってもらう。それがあなたの興味だし、あなたにしか書けないことですよね、ということを知ってもらうための取り組みです。

そうやってまずは自分自身の問いを見出してから、社会の問いと結びつける。そうすると、主観と客観を行き来した強い文章になるように思います。

すきから:自分の中の問いが、社会の課題にどう結びつくかみたいな順番なんですね。社会課題から考えることをやってしまいがちだけれど。

土門:クライアントワークとか、そうなりますよね。でも、まずは自分の中の問い。自分の思いから繋げて、それが社会にどう繋がるのか考えようという姿勢が大事だと思っています。

すきから:自分のことを知るというのが意外と難しいのかもしれない。第1回目に中村さんとお話した時に「資本主義優位の世の中の場合、実は組織に向いてないような人が流されて資本主義に組み込まれてしまうことが問題」だという話が出たんです。自分の居場所を自分で知ることから始めるというのはとても大事なことですね。

問題は、解決しようとしなければ「ただの状態」。

土門:健康について考えた時、自分のウィークポイントは心だなと思います。わたしは基本的に身体は健康で、健康診断にも引っかかったことはありません。でも、7年前に鬱病にかかってしまったことがあったんです。幸い周囲の協力もあって半年ぐらいで復調しましたが、今でもたまに鬱っぽくなることがある。全ての欲がなくなって、生きたくなくなってしまう。

私はこの春からフリーランスになったのですが、ちょうどコロナが直撃して仕事やお金のことでずいぶん悩みました。自分は社会から必要とされていないのではないか……とか、ネガティブに考えてしまうようになって、「また鬱になったらどうしよう」と危機感を覚えたんです。でもそれと同時に、「自分の心と向き合ういい機会なのかも」と思いました。それで定期的にカウンセリングを受けることにしたのですが、するとこれまで蓋をしてきた心の問題が次々と出てきたんですね(笑)。どう解決すべきかなぁと途方に暮れるくらいでした。

その時にカウンセラーさんが、「土門さん、”問題”というものは、解決しようとしなければ”問題”ではなくなるんですよ」って言ってくださったんです。その言葉にすごくハッとしました。


すきから:なるほど、解決する気がないなら、問題ではなく、ただの状況なわけですね。

土門:そう、その状況をただ受け入れること。良いとか悪いとかって判断をしないこと。その状況の中だと、絶対的な自分が出来上がっていくんです。課題解決とか悪いところを治すって考え方は、相対的なものじゃないですか。

すきから:すごい名言ですね。世の中解決しなくていい課題というのも実はたくさんありますし。いやあ本当にそうだ。

土門:”孤独”ってもしかして、そういう状態なのかもしれないなと思ったんです。善悪ではなくて、ただあるという状態。”孤立”っていうのは相対的な概念だと思うんですけど、”孤独”は絶対的。そういう風に物事を見るようになってから、すごく楽になりました。

波が凪の日もあれば、大荒れの日もある。波を落ち着かせようとか思わないこと。「あー荒れてんな。そりゃまぁ、海だもんね」って。

すきから:”孤独”という言葉は、土門さんを象徴するキーワードにも思えています。その孤独は、ポジティブな感じがする。僕も大好きな土門さんのインタビューシリーズ《経営者の孤独》とか。インタビューなんだけど、すごく土門さんって感じがします。

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《経営者の孤独。》ポプラ社

土門:読んでくださってありがとうございます。確かに《経営者の孤独》はインタビュー記事の書き方としては特殊で、書き手の主観を積極的に交えさせながら書きました。あの連載から教えてもらったことが、時間をかけてやっと今、体感的に理解できているように思います。

キティちゃんは、私なりの宗教。

土門:カウンセリングの中でね、”マザーリング”っていう手法を教えてもらったんですけど、知ってます?

すきから:はじめて聞きました。どんな手法なんですか?

土門:すきからさんもそういうタイプかもしれないけど、努力家って父性が強いそうなんです。父性というのは、例えば落ち込んだ時にも「努力しろ!へこたれるな!」と自分を鼓舞してくるような感情で必要な要素なんですけど。でも、そうやって嫌だとか疲れたとかいう気持ちを理性でなんとかしようとしているうちに、気持ちが消化不良になってしまうんですって。

マザーリングっていうのはその名の通り母性。自分に対して母性を向けることだそうです。不安な時に自分を鼓舞したりせずに「不安だよねー」って認めるだけ。自分でまず自分の気持ちを認めてあげること。眠れない時に「眠らなきゃ」じゃなくて「眠れないね、辛いね」って寄り添うだけ。でも、そんなことして意味あるのか?って思うじゃないですか。

すきから:はい、ちょっと思いました。(笑)

土門:そもそも、意味を求めるのは父性の働きなんですよ。

すきから:なるほど(笑)

土門:わたし真面目なので愚直にマザーリングを続けていたんですが、何かあった時のリカバリが早くなった気がしたんです。これまで、自分で自分の気持ちを不完全燃焼にさせてたんだなということがよくわかりました。

すきから:何か不安やしんどさがある時に、外との問題がうまく行ってない以前に、そもそも自分とうまくいってなかったみたいな感じですね。

土門:そうそう。因果関係を抜きにして、状態に寄り添うとすごく癒されるっていうのが気づきでした。自分で自分のめっちゃ優しいお母さんになるような感覚。肯定も否定もしない。父性がなさすぎるとだめ人間になっちゃうけど(笑)そういう自分なりの母性と父性のバランスを見つけるのってとっても大事なことなんです。

すきから:マザーリング、やってみます。

土門:ぜひ。誰からも評価されなくたって自分は自分だっていう感覚を手に入れてから、最近ひとつの変化がありました。それは、実は自分は可愛いものがめちゃくちゃ好きで、サンリオが好きだということに気づいたことです。

すきから:サンリオ?

土門:息子のお友達の女の子が持ってるマイメログッズとか、可愛いなーと前から思って見てはいたんですけどね、自分には似合わないと思っていたし、単なるノスタルジーとして片付けていたんです。でも本当は、自分もそれをいまだに好きだし欲しがっていたんですよね。その事実を自分に許したというか。それでサンリオショップに行ってみたらもう!可愛すぎて目眩がしちゃって。

すきから:すごい効果ですね(笑)

土門:3つくらい買って帰ったらすごい満たされました。もう、すごい可愛いすごい可愛いすごい可愛い…ってひたすら可愛いだけ。キティちゃんと過ごす時間には、人間関係にあるような相互作用がないじゃないですか。キティちゃんから私は評価されない。でも、私はキティちゃんを愛でている。すると、自我がどんどん薄くなっていくことに気がついたんです。無私の状態ですよね。

キティちゃんは、私なりの宗教なのかもしれないなと思いました。キティちゃんという圧倒的に「善いもの」と向き合うことで、自分も浄化されていくような。

わたしの場合はキティちゃんだけれど、社会的な評価や立場を逸した状態の自分でいられる、心の拠り所があることってすごく大事なことなんじゃないかと思ったんですよね。キティちゃんに向き合いながら、「私という存在はやっぱりひとりだし、孤独だわ。そして、それは寂しくないことなんだな」って思いました。

すきから:絶対的な居場所や拠り所があるっていうのはいいですね。

土門:すきからさんは、ありますか?

すきから:絶対的な居場所………仕事場ですかね?…いや、それは恰好つけすぎかな(笑)。でもお灸ひねってる時には、無私の状態ですね。ひたすらもぐさを燃やしています。

土門:いいですね。状態や物事が存在するだけ。否定も肯定もしない。文章を書くときもそうでありたいなって思います。そういう状態でものを書いていくことって、圧倒的な肯定だと思うんです。文学の役割はそういうことを通していろんな生命、生き方を全肯定していくことだと思っています。

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話し手:土門蘭
聞き手:すきから
編集:篠田栞
イラスト:篠田彩音



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お灸とデザインの人。お灸治療院のお灸堂、お灸と養生のブランドSUERUの代表をしています。みのたけにあった養生ってどうすりゃいいの?という課題に向き合う毎日です。