「我(ガ)」は薄い方が楽。
我(ガ)が無いはありえない。
生きている限り無しにはなれないし、無いとダメ。
でも、我(ガ)は薄い方が楽。
やりたい事、やりたく無い事。
住みたい場所、住みたく無い場所。
好きな人、嫌いな人。
食べたい物、食べたく無い物。
欲しい物、欲しく無い物。
して欲しい事、して欲しく無い事。
良い事、悪い事。
まだまだたくさんあるけれども、これらは全て我(ガ)。
我があるから、喜怒哀楽があり、苛立ち、嫉妬等がある。
我が無い事が望ましい訳じゃ無い。
ただ、薄い方が楽。
野球選手になりたかった人が、野球選手になれた人を羨ましく思ったりするのは我があるから。
しんどいのは未練、嫉妬という我があるから。
「なりたかった」を消化出来ていたら、そんな我は出てこない。
相手が嬉しそうなら「良かったね」があるだけ。
でも、無感情が良いって事じゃ無い。
「伝えたい」という我があるから、書く。
その我が強いと、書く文章に力が入り、伝わりやすくなる(賛同を受けるかは別)反面、伝わらないと苛立つし、悲しい。
でも、薄いとそんな感情湧いてこない。
「伝わった方が自分にとって都合が良い」と言う自覚があれば、湧いてこない。
こういう自覚が、我を薄くする。
我(ガ)は、個性。
偏りなくある人もいる。
全体的に濃い人もいる。
薄めの人もいる。
私のように、濃い部分と薄い部分の差が激しい人もいる。
個性は無くならない。
日本神話に出てくる神様なんて、個性の、我の塊じゃないか。
神様にも無くせないものを、人が無くせる訳がない。
むしろ、無いとダメだと思った方が良い。
でも、薄い方が楽。
薄い方が「良い」では無い。
今日の私は「伝えたい」が薄い。
今日、たまたまこういう話を妻としていて、妻がはじめて「なんか納得した」と言った。
長年一緒にいる妻にさえ、やっと伝わった(と思える)表現が出来たばかり。
何年と
「それってロボットになれって事?」
『違うんだよなぁ』
というのを繰り返して来た。
だから、伝わるなんて思ってないし、伝わって欲しいも普段より断然薄い。
我は薄い方が楽。
他人から見て、魅力的に見えるのは「我が濃い部分」なんだけれども、これも「魅力的に思われたい」という我が無ければ、どっちでもいい。
もちろん「楽な方が良い」も我。
全てが、我。
「我」という漢字が、ゲシュタルト崩壊。
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