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健常児と障害児の交流

私が小学6年生の時、今の私なら「支援学校の方が手厚く支援を受けられたのでは?」と思ってしまうくらいの、ダウン症の女の子が同じクラスにいました。

その子のご両親がどういう考えで地元の小学校を選択したのかはわかりませんが、私はその子が同じクラスにいてくれたお陰で気付いた事や得た物があったので、凄くありがたいなと思っています。

今回は、少し話題になっている、いわゆる障害児のお世話係問題についての話です。


私のクラスにも、その子のお世話係的なポジションになっていた正義感のすごく強い女の子がいました。

基本的にはダウン症の女の子は支援級にいるので、時々そういう役目になる…という感じでしたが、毎度その女の子が担当になっていました。
別に何か話し合いで決まった訳ではありません。
ただただ、いつもその子がその役割でした。

そして、その役割の日、彼女はいつも仲間外れにされます。
嫌がられるとか、あっちいけとかそう言うのでは無く、ただなんとなく誰も近寄らない。
その子も、他の子に近づこうとしない。
ただ黙々とその日はその役割を全うし、次の日には「日常」に戻るんです。

誰もがダウン症の子の事に触れない。関わらない。
関わった子にも関わらない。
嫌じゃないの?も聞かない。
どんな子なの?も聞かない。
なぜやるの?も聞かない。

その光景を不思議に思った空気を読めない私は(笑)、たまたま一緒に帰っている時に
『なんでいつもあの子のお手伝いしてるの?』と聞いてみました。

するとその子は少し考えてから
「だって、誰もやらないから」と答えました。

『じゃあなんでその日は誰もお前と遊ばんの?』

「…男にはわからんかもしれんけど、女って面倒くさいんやで?」

『ふーん。確かにわからんけど。お前も嫌ならやらんかったら良いんちゃうの?』

「嫌じゃないよ。なんで?」

『楽しそうには見えんけど』

「うーん、まぁ楽しくは無いかなー。でも、誰かがやらないとダメだと思うから」


このやり取りは、30年近く経った今でも、かなり鮮明に覚えています。

まさに、社会そのものだと思いませんか?
誰かが淡々と関わる一方で、触れてはいけない、関わってはいけないと臭いものに蓋をする。

今、長男が通っている小学校も、残念ながらこの雰囲気をめちゃくちゃ感じます。
支援級だけが旧校舎の端っこの方。
そもそも、支援級の担任の先生が、普通級の先生方からそういう感じで扱われている空気すらあります。
(支援学校だって、なんか辺鄙な所にありませんか?)


まだ低学年なので「長男君バイバイ!」と言う声がたくさん聞こえますが、恐らくそろそろ「違い」を感じて避け出す子が出てくる頃でしょう。

中には、いじめてくる子もいるかもしれません。

障害児の親となった方の中にも、障害児をいじめてた経験がある方もいるでしょう。
避けていた方もいるでしょう。
嫌悪してた方もいるでしょう。
見て見ぬふりをしてきた方もいるでしょう。

私だってそうです。避けた事が無いだけで、別に障害者と積極的に関わろうと思った事はありません。
でも、臭いものに蓋をする…そんな社会を作っている原因は、間違いなく教育です。


「お世話係」なんて解釈をしてる時点で変なんです。出来ない人がいたら手伝うのが当たり前のはず。困ってたら助けてを求めるのも、それに応じるのも当たり前のはずです。


反対意見はあると思いますが、私は、障害児にとって健常児と関わるメリットは少ないと思っています。

例えば、中学受験する子達しかいないクラスで、全員が出来る問題を自分だけが出来ないという体験をし続けるってどう思いますか?

別に体育でも良いです。
どうですか?自尊心傷付きませんか?


健常児と障害児の交流するメリットは、むしろ健常児側に多いんです。

将来、障害者の「お世話」をしてお金を貰う事になるのは健常者なんですから。

社会福祉に微塵も興味は無いけど、たまたま福祉ビジネスを知り、年商数億の社長になった人を複数知っています。
全く福祉は興味ないけど、社員として一千万プレーヤーになっている管理人もたくさんいます。

極端な話ですが、彼らは障害者に食べさせてもらっています。稼がせてもらっています。
つまり、障害者を知って得をするのは健常者なんです。

でも、それが商売の基本ですよね?
困っている事に対する解決策を提示する。そして報酬が貰える。

障害児と関わる事がボランティア的な発想になっている事が変なんです。
むしろ積極的に関わらせて欲しい!と思うべき事だと思っています。

なのに、障害児の親も担当の先生も『クラスに参加させてもらっている』と捉える方がめちゃくちゃ多い。

もちろん、障害者側が「関わらせてやるよ!」と思えばいいという訳ではありません。

まだ小さな子供同士なら、そんな打算や変な考えはありません。
でも、成長するにつれ、大人の変な雰囲気を感じ取っていくんです。
感じとった結果が、今の社会、ですよね。


多様性という言葉は、そう書いておけば良いみたいな雰囲気があるのであまり好きではありませんが、「自分と違う」を「認めましょう」では無く「当たり前じゃね?」と思えるような教育をして欲しいな、と思います。

多様性を認めよう?
いやいや、多様で当然でしょ(笑)

根底にあるのは「違う」事に対する「恐怖」なんでしょうねー。


二人の障害児の父
すけじろう

開業についての相談・サポート、開業後の営業、書類関係、家探し、全てお手伝いします。
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