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子どもの頃のように甘えてみた

今回は自身の円形脱毛の経験についての話し。

少し前に起きたアカデミー賞授賞式での、ウィル・スミスのビンタ事件について、自分がジェイダ(ウィル・スミスの妻で脱毛症の人)だったらどうしてほしかったか、またウィルはどうしたらよかったのか、といろいろと考えたし、日本と米国の世論の違いなどを興味深く読んだ。
しかし、ここではそういった議論について書きたいわけでなく、ただ自分が円形脱毛を発症したときのことを書きたいと思う。

私の場合、治癒までに半年ほどかかったが、円形脱毛した部分には髪が生えてきたし、今のところ再発はしていない。
誤解のないように初めに書いておきたいのだが、だからよかった、というような良いとか悪いとかいう短絡的な話を書きたいのではなく、その経験を通して何があったのかという話だ。

(※ お読みになられる方の中には長期にわたって脱毛症に向き合っていて、辛いお気持ちの真っ只中にいる方もいらっしゃるかと思います。そのお気持ちに寄り添いきれない私個人の話になると思いますが、その点はどうかご容赦くださいませ。)

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一年半前のある夜、お風呂上りに髪を乾かしていた時に、頭頂の分け目近くの地肌の一部が少し赤いことに気が付いた。
昔から時折、顔や体に小さな発疹ができることがあったので、それが今回は頭皮に現れたのかと思い、皮膚科に塗り薬をもらいに行った。

診察してくれた年配の男性医師は、これは発疹ではなく、円形脱毛なので、ほかにも無いか見てみましょう、と猿の蚤探しのように私の頭髪をあちこちかき分けはじめた。
そしてしばらくすると、あぁー、見つけたと、ちょっと残念とも、犯行の証拠をつかんだぜ、ともとれるような口調でつぶやいた。

看護師さんから手渡された手鏡2つを、合わせ鏡のようにして見ると、後頭部に男性医師の太い親指全部より大きな、つるりとした地肌の見える箇所と、その近くにそれより少し小さなやつが見えた。私が初めに見つけた頭頂部のものと合わせて、合計3つ。

人生初めての円形脱毛だった。

理由はこれといって思い当たらないが、ストレスというよりは、更年期のホルモンバランスの乱れからきたものではないかと思う。

電話で母親に円形脱毛のことを話すと、大丈夫、すぐに治るわよと励ましをもらった。
母親が40代で一度、次姉は幼稚園時代に一度経験していたとのこと。円形脱毛症について調べていくと、円形脱毛症には原因遺伝子とやらがあるということを初めて知った。

原因が不明でなんだか不安だったのが、すこし腑に落ちたような気分になったのと、それがこれまで家族の話題に上がったことがなかったということは、そのふたりが再発しなかった、という実例を見て少し励まされた気分になれた。

そして以前に、次姉が幼いころに、とあることでとてもストレスを受けていたと、話には聞いていたが、そんな幼いころに脱毛してしまうほどストレスを受けていたのかと衝撃を受け、母親との電話の最中に一瞬自分の脱毛のことを忘れてしまったほどだった。

病院で飲み薬と塗り薬を処方され、朝晩患部に軟膏を塗ってくださいと言われたが、セミロングで毛量もあるため、どうやっても鏡で見えない後頭部の2か所に塗る作業がとても難しい。

こういうときに一人暮らしは困るのだ、としみじみ実感する。

家の洗面所で左手で手鏡を持ちながら、大きな鏡と合わせ鏡にし、指を動かすと、思った方向と逆のほうに行ってしまう、左右が反対になった鏡の中の後頭部を覗く。
そして患部を見つけたらさっと塗れるように、塗り薬のクリームを右手の人差し指にのせつつ、そのクリームを髪につけないように気を付けながら他の指たちであちこち髪をかき分けて探し、みつけたらさっと塗りこむ、という技を編み出した。

初めは、鏡を持つ手も髪をかき分ける手も足りないし、自分で見えないところにどうやってクリーム塗るんだよ!って、なかなか思い通りに塗れないことにイライラし、そして鏡の前で四苦八苦しているこんな滑稽な姿を少し切なく感じながら、何日もそれを繰り返していくと、そんな面倒なことでも簡単に上手にできるようになり、そんな自分ってすごい、という小さな自信と自賛に変わった。

早く治すためにも、薬は朝晩毎日かかさず塗りたい。

そんな日々の中、遠距離恋愛中の彼が私を訪ねてやってきて、数日泊まっていった。だからといってカッコ悪い朝晩のルーティンを誤魔化すわけにもいかない。

もちろん、円形脱毛のことは電話で話していたのだが、実際にそれを見せるのはその時が初めてだった。

もともと、私の右半身の大きな赤アザを見せているので、いまさら円形脱毛を隠したりしなくても大丈夫、という気持ちはあったのだが、やはり少し気持ちがざわついたのは否めない。


彼はこの私を見ても大丈夫なのか。

もしかしたらどんどん進行して、もっと髪が無くなっていくかもしれない。

どこまでなら彼も大丈夫なんだろうか、私を見る目が変わるのだろうか、

など不安になった。でも不安を隠すよりも、その不安と向き合う決心をして、後頭部のそれを見せるついでに、薬を塗るのを手伝ってくれないかと彼に頼んだ。

しかし私の心配や不安は杞憂に終わり、彼はただただミッションを正確に遂行するため、慎重な手つきで後頭部のそれを探し、優しく薬を塗ってくれた。薬のクリームは少しひんやりしていたけど、彼の指は温かかった。

どれだけ自分のこころの傷口に塩を塗りこみたいのかわからないが、念のため、この私の状況についての感想を彼に率直に聞いてみた。すると、まあ思った以上に大きいけど、そのうちなおるだろ、と全然気にしてない。

私の為に泣いてくれとか、見た目がさらに悪くなるかもしれないことをもっと真剣に心配してくれ、とは思っていなかったが、あまりにあっさりしたものだったので、拍子抜けだった。

私の髪が好きと言っていつも撫でてた割に、こんなことが起こっても変わり身が早いんだな、とまたひとつ、カップルのステージを一段上がれた気分になった。

✳︎

田舎の両親の家に帰省した時には、お風呂を上がって髪を乾かした後、こたつでくつろいでいる父のもとに行き、塗り薬を塗るのを手伝ってほしいとお願いした。

父は微かにだが嬉しそうな声音で、おお、どれどれ、と言って私の後頭部の指差すあたりを、少し乾燥して固くなった指でかき分けて、脱毛箇所を見つけると、こんどははっきりと嬉しそうな声で、ここだぁ、と言いながら軟膏を塗ってくれた。

遠く離れた街で人に頼ることなく、すました顔してひとりで生きているような娘が、病気の箇所を晒して自分を頼ってくれたのが嬉しかったのかもしれない。

年老いた父親に、助けてもらう、ということがまだ経験できてよかった。

本当はこういうことは母親に頼むのではないことではないだろうか。幼い頃怪我をして、泣きついたり、手当てをしてもらうのは母親だった。

でも私はいまは、この数年、心臓や肺の機能が衰えどんどんと目に見えて弱っていき、好きだった登山にも長い散歩にも行けなくなった父親にしてもらいたかったのだ。

甘えるというのも、一種の親孝行なのではないかと思う。

だんだんと確実に年老いていく親は、そのうち私たち子どもが面倒を見るようになってくるだろう。

でもそれまで、もう少しだけ昔の子ども頃のように甘えさせてもらい、助けてもらうことができた。


私はどんなであっても愛されているんだなぁ、と後頭部のつるんとした地肌に父や、彼氏の指を感じ、そのたびにうつむいたせいで顔にかかる髪の陰ですこしニヤけた。

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