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#034女性の名前に「お」は付くのか?

 今回は先日の史料調査でふと思いついたことを。

 先日、史料調査をしていた際にたまたま書状にあたり、中身を読んでいたところ、下記の写真のようなものに出くわしました。

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 写真中央に「おとめ様」と書かれてあります。これを見た際に、そういえば坂本龍馬の姉も「乙女」といったなぁ、などとぼんやり思っていたところ、ふと、この目の前の書状の「おとめ様」は、「お春さん」、「お吉さん」のように名前の頭に付く「お」なのだろう、と。すると「おとめさん」と普段呼ばれており、宗門改帳では「留」あるいは「とめ」「トメ」という正式名称で書かれている女性なのではないか。そう思ったら、今度は、坂本龍馬の姉の「乙女」も、この漢字表記でよく見ますが、もしかしたら名前の最初に付く「お」を外して「とめ」なのではないか、という推測が頭に浮かびました。

 この推測が正しいのかどうかを確認しようと、高知県で学芸員をしている友人に早速問い合わせてみました。問い合わせの内容は、筆者が高知の事情に疎いので、まず1)土佐藩郷士の家に宗門改帳はあるのか、2)坂本龍馬の家、つまり父親・八平の代かあるいは兄・権平の代の宗門改帳など家族の氏名を確認できる資料はあるのか、3)坂本龍馬の姉の名前の表記で「乙女」という漢字表記の初出はいつかなのかは判るか、4)坂本乙女は坂本「トメ」という名前であるという推測は成り立つのか、の4つについて質問してみました。

 すると、早速調べてくれて返事がきました。そこには、1)については、そもそも郷士の宗門改帳というのはない、ということで、関連する2)についても存在しない、とのことでした。3)については、初出は千頭清臣『坂本龍馬』(博文館、大正3年)だそうです。4)の推測については、結論からいうと成り立つとのことでした。どうも名前の前に付く「お」は敬称で、「お〇〇さん」というのは2重の敬称になるそうで、国語的には如何なものかということだそうです。しかし、一般的には先に示した写真のように普通に使われていたようですね。また友人からの情報では、坂本龍馬が姉宛に出している手紙に「乙」「乙姉」「乙大姉」などの表記が出てくるそうなんですが、「乙」の字そのものに「とどめる」「とめる」という意味があるとのこと。つまり「乙」で「とめ」と意味から読ませることが出来るということです。また、坂本龍馬の妻・お龍の証言から、坂本龍馬が姉を「おとめ」と呼んでいたと伝わっています。つまり坂本龍馬は姉を「おとめ」発音し、「とめ姉さん」という意味合いで呼んでいた、ということが判ります。このような資料から、次第に「坂本おとめ」、「坂本乙女」と表記されるようになっていった、と考えられます。

 因みに、江戸時代などの家中心の社会においては、家の継承という意味で女児より男児の出生が喜ばれることがままありました。そこで女児の出生が続くと、もうこれで女の子はおしまい、打ち止め、という意味合いから、「とめ」という名前を付けられるという旧慣がありました。坂本龍馬の姉・乙女も、長男・権平のあとに千鶴、栄、乙女と3人女の子の誕生が続いたので、これで女の子はおしまい、という意味合いもあって「とめ」と名付けられたのかも知れません。

 国立国会図書館のデジタルコレクションに、先に名前の挙がりました千頭清臣『坂本龍馬』がありました。

 本文を確認したところ、確かに24ページ1行目に「乙女」の表記が。しかし、よく見るとふりがながふってあり、「乙女」の漢字表記の横には「とめ」とあります。そうすると、先ほどの「乙」=「とめ」と読めるとしていましたが、「乙女」の「女」が「め」と読むようにここではされているようです。あるいは「女」の字は、「お孝さん」のことを「孝女」と表記するような、接尾詞型の敬称なのかも知れません。どちらにしても、この大正3年の坂本龍馬の伝記では、読みは「とめ」となっており、漢字表記は「乙女」となっていることが確認出来ます。これ以降、坂本龍馬の姉の名は「坂本乙女」という、名前の表記が定着していったのでしょう。

 なかなか女性の名前について調べることがなかったので、高知で研究している友人の協力も得ながら、非常に興味深いことが判ったな、と思って喜んでいたところ、Wikipediaに「坂本乙女」の項目がありました。恐る恐る内容を読んでみると…

「本来の名は留(とめ)で、「乙女(をとめ)」は「お留」への当て字である」との記載が。何だ、もうみんなの知っていることなのか、と新発見でなかったことが少し残念に思いました。しかし、まだ自分の知らないことを知ることが出来たので、非常に楽しい時間が過ごせました。歴史というと、既に決まったこと、という感覚をお持ちの方も多いかと思います。教科書に載っていることだけが歴史ではなく、細かな事象ではありますが、こういう未知なることと出会えることが、歴史学を続けていく楽しみといえるでしょう。こういう些細なところから、これからも楽しみが発見できると思うと、なかなかやめられないですね。

いただいたサポートは、史料調査、資料の収集に充てて、論文執筆などの形で出来るだけ皆さんへ還元していきたいと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。