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#051江戸時代から明治時代にかけての宗教施設のイメージとは?

 前回、「宗教および宗教施設と地域社会のかかわりについて考えてみる。」というタイトルで書きましたが、割合と制度的な話に終始したので、今回は具体的なイメージを持てる内容で書いてみたいと思います。
 江戸時代、地域に所在した神社、仏閣は現在よりも多く、明治時代以降に収斂されていき、現在のような数に落ち着いています。今回は大阪を例として、先達て献呈いただいた『新版八尾市史 近代・現代資料編』(八尾市、2021年3月)に掲載されている史料を例として見ていきましょう。
 まず、若江郡柏村新田に所在していた教専寺についてみていきましょう。教専寺は浄土真宗の寺院で、現在の区分でいうと真宗大谷派に属する寺院でした。その教専寺が明治維新に際して廃寺になったということです。史料(P458)を見ると「御一新之際自然廃寺之姿ニ相成居候処、自今ニ至リ大ニ該寺復旧情願之者相増シ、境内地并ニ建物等之寄附人モ有之、永世保方(ママ)存之見込モ相立候儀ニ付、今般寺院明細帳更正ニ際シ復旧被成下度、」とあります。つまり、明治維新に際して自然と廃寺となっていたけれども、今に至って地域住民から復旧の願いが増えてきており、境内地や建物についての寄附人もあるので今後の永続的な保存の見込みも立ったので、寺院明細帳の更正に当たってこの機会に復活させたい、ということが書かれています。
 これを見て、現在のわれわれの感覚からすると、住職がいるのにそう簡単に寺院って無くなってしまうのか?という疑念が湧き上がってくるかと思います。実は江戸時代当時の寺院の多くは無住、つまり住職がいない寺が多かったという事実があります。また、今回の柏村新田は「新田(しんでん)」とあるように、江戸時代の途中で新たに開墾された農地であり、そのためほぼ定住している地域住民がいなかったと言える耕作地に特化した場所でした。そのために、新田に設置された寺院にも常駐の住職を設置する必要がなかった、という他とは異なる特殊な理由も補助的なものとしてありました。それゆえに必要に応じて設置も廃止も自由が利く、という面があり、幕末から明治維新のころにかけては非常な不況の時代でしたので、村による寺の運営資金の融通が利きにくくなっていったのでしょう、経費節減のために自然と廃寺状態になっていたのだろう、ということが、この史料から読み取れます。

 また次に神社の例を挙げておきたいと思います。こちらは高安郡楽音寺村に所在する熊野神社についての史料(P460)です。「一、当村氏神熊野神社、是迄神官無御座候ニ付産子一同痛心罷在候、就而者書面貴島喜平司義者平常敬神之志深ク行跡モ宜舖至テ正直ノ者ニ付、当社神官被仰付度産子一同懇願ニ付、御採用被下度奉願上候、以上」という記載の願書を氏子(史料の本文中では「産子(うぶこ)」と記載)一同が当時の管轄である堺県に提出しています。こちらも神官が江戸時代からずっといなかった神社であったと書かれており、氏子一同が心を痛めているので、地域住民の一人を神職として宛がうので許可してほしいという内容の願書になっています。

 このように江戸時代の寺院や神社は、現在のわれわれのイメージと異なって、意外と住職、神職がいない場所であったということがこれらの史料からも判るでしょう。恒常的に住職や神職がいる寺院、神社は単独でも経営が成り立つような、それなりに大きな寺院、神社のみであり、必要に応じて、人がいない寺院や神社は、地域で基幹となる寺院、神社から人を派遣してもらって、葬儀や祭礼などを執り行っていたのです。
 ということは、現在我々が思っている寺院や神社の賑わっているイメージとはかけ離れており、普段は敷地内に誰もいない、意外とうらさびれたイメージになるかと思います。このイメージにもっとも身近で接することが出来るのは、おそらく時代劇の映像作品、ドラマの必殺シリーズではないかと個人的には思います。

 急にフィクションの、とっぴな話になったとお思いになる方も居られるでしょう。必殺シリーズ自体は、多少は実在の人物が登場するものの、基本的にはフィクションの時代劇です。しかし、シリーズを通じて長く見てみると、やはり時代劇ですのでそこはかとなく時代考証の領分というのが見え隠れするところに出くわします。その該当する部分について、今から紹介してみたいと思います。必殺シリーズのうち、初期から中期ごろの作品では、殺し屋たちの元締めとして商人などがおり、その屋敷などで殺害の打合せや報酬の分配などを行っています。例えば、緒形拳主演の「必殺仕掛人」では音羽屋というリーダー格の人物がおり、その屋敷で話し合いの場が持たれたりしていますし、また、藤田まこと主演の「新必殺仕置人」では、火野正平演じる絵草子屋の店の地下が彼らのアジトとして描かれています。一方で、シリーズ後半になると、藤田まこと演じる中村主水がリーダー格となるということもあり、皆で集まる場所を一同心の分際の中村主水が個人で提供出来ないという不都合が生じてきます。そのため、打ち合わせをする場所が、お堂や神社などの建築物の中として描かれることが増えてきます。これは江戸時代の当時、住職や神職が常駐していない場所では、あまり人が集わないということがあり、秘密の会合をするにはうってつけの場所であったという認識が時代考証をされる方にあったためであろう、と言えると思います。こういうフィクションの時代劇にも時代考証の担当者がいるので、そこはかとなく当時の雰囲気というのを知ることが出来る、といえます。

 このように、寺院や神社のすべてに共通ではないにしても、江戸時代の当時には少し寂しい場所が寺院や神社であったという印象が持たれていた、現在とわれわれの持つイメージと異なるイメージが存在していた、といえるでしょう。このようなことを少し念頭に置いていただけると、引用した二つの史料の意味合いが判りやすくなるのではないか、というように思え、より豊かな地域史像というのが提示できるのではないか、とも思えてきます。

 

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