「~しなきゃいけない」って言うの、やめないか?
よく、「~しなければいけない」という言葉を耳にする。あなたも実際に、使ったことはあるだろう。
「宿題をしなければいけない」
「仕事に行かなくてはいけない」
「早起きしなくてはいけない」
しかし私は、真の意味で「~しなければいけない」という言葉が成り立つのは次ような事例だけのように思う。
「あなたは生きている限り『呼吸をしなければいけない』」
これは正しい。呼吸をしなければ死んでしまい、生きていく上では、”呼吸をする”という選択以外に無いからだ。
では、「宿題をしなくてはいけない」というのはどうだろうか。
宿題をしなくてはいけない=「宿題をしろ」と先生に言われている、もしくは宿題をしないと何かしらのデメリットがある。
という意味であろう。この時、仮に宿題をしなかった場合を考えてみる。
宿題をしない⇒先生に怒られる、もしくは成績が下がる。
そして、もう一度真剣に考えてみる。
「自分は本当に宿題をしなければいけない」のか。
....
....
違うはずだ。
「宿題をするという選択もあれば、宿題をしないという選択もある。」
もっと広げれば、「宿題以上に自主勉強ノートを作ってみる」「宿題するのは面倒なので、友達にお願いして写させてもらう」「宿題という制度は自分に合わないので、学校をやめてしまう」など、それを実際に行うかは別にして、探してみれば選択肢は上げつくせないほど出てくるだろう。
大げさではあるが、最初に挙げた呼吸の例のように、
「宿題をしないと死んでしまう」
というレベルで考えている人が多いように思える。
ここで少し、私自身の話を挟む。私は今とある大学に通っている。授業内で、非常に面倒な宿題を出されたとき考える。
「この宿題はやるべきか」と。
教授は「この宿題を来週までにやってきなさい」と言うので「この宿題を来週までにやらなければいけない」と考えるのは、普通であろう。
ここで私は、一旦考える。
「これをしなかった場合、単位を落とす可能性はあるか」
「自分がこの宿題をすることで、どのような知識をつけられるか」
「この宿題をする時間で、他のどのようなことをすることが可能か」
「これをしないことで授業に置いて行かれる可能性はあるか」
この考えのルートを、毎回辿りはするが、結果的に大体の宿題はやることになる。ただ大切なのは、最終的に”自分で「この宿題をやる」ということを選択した事”だ。
こう考えるようになってから、自分は以前より要領が良くなった。
私は「時間」を一番大切にして生きている。時間に対する成長が見込めない課題なら切り捨てるようになった。もちろんそれは何でもかんでも、と言う事でなく、自分の単位取得状況や成績のつけ方、将来のことまで考えながら一つ一つ決断をしている。
これは、何も学校の宿題だけに当てはまらない。
「本当にその仕事を続けなければいけないのか」
「本当に明日は早起きしなくてはいけないのか」
「本当にその人と仲良くしなければいけないのか」
様々な状況で考えられる。人生というのは、選択肢の連続だ。
もう「~しなければいけない」と考えるのは、やめにしよう。この考えで生きていると、ずっと被害者感を負いながら過ごすことになる。
多くの選択肢がある中で「自分で選んでこれをしている」と考えた方が、精神的にも生きていきやすいだろう。また、他の選択肢を見つけるきっかけにもなり、自分の行為にも納得がいく。
あなたも、次に何かを「しなければならない」と感じたとき、一度立ち止まってじっくり考えてみて欲しい。そこには無限の選択肢が存在する事に気付くはずだ。最終的に、それをすることになっても構わない。ただそれを「自分で選んだ」と考えることは非常に大切である。
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