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イギリス素描#3(ベトナムトランジット

南風越えな

カエサル手繰る

発着場


19:30、VN303便は定刻通りにホーチミン・タンソンニャット国際空港に到着した。私にとって約八年ぶり、2カ国目の海外である。1度目は17才のときに修学旅行で行ったオーストラリアだが、あの時の記憶はほとんど残っていない。私は昔から興味のないものに対して、とことん覚えが悪く、悲しい哉、生涯一度きりしかない初海外という特別な体験すらその中に包括されてしまっていたのである。だが、今回のはまるで違っていた。学校行事とは違い、自ら望んだ行動であるが故に、好奇心は青天井であり決して忘れることはないだろう。行動とは決心が伴って初めて完成する。言うなれば、この越南国への一歩こそ、私にとって初めての異邦なのである。


空港内は恐ろしいほど静かだった。時間のせいであろうか、アナウンスもなければ、スタッフも少なかった。照明を消している廊下もところどころ目立ち、入国審査は淡々と無言で行われていた。私の脳内を一瞬よぎったのは、ここのソファなら最高の眠りが手に入れられるという誘惑だった。トランジットの時間は11時間40分あった。今、空港の外に出れば、この快適な空間に戻ることはできない。もっと言えば、ロンドン行きVN51便出発時刻7:10の約2時間前になるまで、私は問答無用で屋外で待たなければならなくなるのである。
寝るか、進むか。石臼のように思いリュックを背負いながら、私は機内で読んでいた岩波から出ている『ギリシア・ローマ名言集』に書かれていた、かの有名な文句を思い出した。

賽は投げられた

iacta alea est.

ユリウス・カエサルの言葉だった。始めてしまったことは、後戻りできないという状況で使われる言わずと知れた常套句だ。カエサルとは、共和性ローマ末期に活躍した政治家で、ガリア(現在のフランス)を平定しローマに帰国する際、自軍の武装を解除しなかったために反逆者とみなされたものの、他の政治家を蹴散らし、実力で黙らせてしまったという最強の男である。
だがこの文句、編者によれば、実際にカエサルが放っていたのは、むしろこっちであったらしいのだ。

賽を投げてしまえ

iacta alea esto.

どうやら元々ギリシア語で書かれていた原典をラテン語に翻訳する際、末尾の"o"の字を追加してしまったらしいのだ。つまり、我々が知っているフレーズは誤訳だったのである。奇しくも、背に腹変えられぬ状況で勝利したというドラマ性に心打たれ、この言葉は世界中に流布していったわけなのだ。もしも正確に翻訳されていたのならこの言葉は歴史に淘汰されてかもしれない。
だが、両者を今一度吟味したとき、私はむしろ前者よりも後者に含まれている、運命に身を任せるというニュアンスの強さに心惹かれた。とっとと始めて、身を委ねてしまえ、その後のことは後で考えればいいだろう。という彼の本来の考え方に大物の美学を感じたのだ。11時間がなんだというのだ、夜の治安がなんだというのだ。疲れがなんだというのだ。出てしまえ。向かってしまえ。賽を投げてしまえ。カエサルが時空を超え、立ち止まる私を捲し立てていた。こうなってからは早かった。私は一目散に、入国審査を済ませ、荷物を預けて外に飛び出していた。生暖かい南風を身体に浴び、私を送り出したカエサルの視線を背中に感じながら、行動によって自己が規定されるというフランス人の考えた実存的な思考も、実はカエサルに源流があるかもしれないなどと、たわいもないことを考えて先の句を思い付く。季語は南風。発着場はターミナルと読ませたい。
ただし、この土地は、クラクションの大騒音がまるで肥えた蝿のごとき喧しいベトナムであり、第二次世界大戦後、世界中の、とりけフランスの若者を魅了した甘美な哲学など、お門違いも甚だしいに決まっているのであった。

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