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柳田知雪『たい焼き屋のベテランバイトは神様です』第一話 大丈夫だって言われたい 後編

〈前回のあらすじ〉
たい焼き屋『こちょう』を営む祖父が入院し、
心配で店の様子を見に来た結貴。
店にはベテランバイトの和泉さんがいるから安心かと思いきや、
和泉さんが突然、たい焼きを四九〇円なんて高額に値上げしてしまって……!?

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「じゃあ、美味しくなかったらタダでいいよ」
「えっ!?」
 和泉さんの提案に私もカナエさんも驚きの声を上げた。カナエさんの曲がっていた腰が、先ほどよりも少し伸びている気さえする。
「その代わり、ちゃんと美味しいって思ったら四九〇円。これでどう?」
 確かに店の前には二人掛けの竹の椅子が置かれており、そこに腰かけて食べていくこともできるが、料金後払いの、しかも満足できなければタダのたい焼き屋なんて聞いたことがない。下手したら食い逃げをされるだけになるのではないだろうか。
 すっかり洗い物の手を止めて、じっと受取口の二人を見つめてしまう。カナエさんは、うーんと考え込み、やがてゆっくりと口を開いた。
「和泉ちゃんがそこまで美味しいって言うなら、ひとつ食べてみようかしら」
「ありがとー! カナエちゃん!」
 和泉さんは出来立てのたい焼きを紙袋に入れて手渡す。店の窓から外を覗くと、曲がった小さな腰でちょこんとカナエさんが椅子に腰かける。そして、受け取ったたい焼きをまじまじと見つめると、やがて頭の方からぱくりと口に含む。
「……」
 商店街の喧騒が、今だけはひどく遠くに聞こえる。じっとカナエさんの反応を待っていると、やがて彼女は顔を上げた。
 カナエさんは蕩けるような笑みを綻ばせ、幸せそうな表情にほわほわと花まで飛んでいるように見える。一口目を堪能し終えると、また一口、続けてまた一口、と一心にたい焼きを食べていく。言葉が無くとも、十分にたい焼きの美味しさが伝わってくるような食べっぷりで、包んでいた紙袋まで一緒に食べてしまうのではないか、という勢いだった。
「ごちそうさま」
 そう言いながら、カナエさんは受取口に再び顔を出すと、和泉さんの手に五百円玉を乗せる。
「う、うそぉ……」
 気付けば驚きの言葉が転がり出ていた。そんな私の呟きを掻き消すように、和泉さんが声を張り上げる。
「ありがとうございまーす! ちなみにお釣りの十円はどうする?」
 どうするも何も、お釣りなんだから返すものだろう。と心の中でツッコミを入れていたが、カナエさんは聞かれることを待っていたかのように、はいはいと頷いた。
「それは和泉ちゃんへのお駄賃よ。お賽銭箱に入れておきなさい」
「カナエちゃーん! ありがとう、大好き!」
 お釣りだったはずの十円玉が、彼が首から下げていた段ボール箱に入れられる。『奉納』と書かれた箱には既視感があったが、ようやくそれが賽銭箱だったと思い至った。なぜお駄賃が賽銭箱行きなのか。和泉さんへのチップのようなものなのだろうか。
 帰り際、もうひとつ四九〇円のたい焼きを買っていったカナエさんが去っていくのを、和泉さんがぶんぶんと長い腕を振って見送っていた。
「まさか二つも売れるなんて……」
「だから言っただろ? 売れる、って。いつもとあんこが違うんだよ。ただ、すげーいい小豆を使ってるから、一二〇円じゃ割に合わなくて尭がいる前では使えなくてさー」
「……」
 言葉が出ないまま和泉さんを見つめていると、店の中に声が飛び込んでくる。
「すみませーん!」
 声にはっとして受取口の方を見れば、いつの間にかわらわらと人だかりができていた。
「さっき、そこでおばあさんが食べてたのと同じやつください!」
 カナエさんは、確かに視線を留めてしまうほど美味しそうに食べていた。それが呼び水になったのか人だかりが生まれ、そこに目を留めた通行人がまた集まりの中に加わっていく。
「四九〇円のたい焼きとか、どんなのか気になるー!」
「絶対、美味しいよね!」
 普通ならあり得ないと切り捨てそうなところを、カナエさんのおかげか好印象と期待とともに受け入れてくれているようだった。呆然としていた私の背を和泉さんがぽんと叩く。
「ほら、まず列整理しねーと周りの店にも迷惑だから。孫、やってこい」
「わ、私ですか!?」
「しょうがねーだろ。こんだけ客来たら、会計と作るのだけでも手一杯なんだよ」
「でも……」
 目の前に広がる人々の視線が、ふいに自分に集中したような錯覚を覚えて胃が鉛でも飲んだように重くなる。向かってくるざわめきが、関係ないはずの上司の怒鳴り声にぐにゃりと形を変えて、襲い掛かる。唇が震え、しゃがみこみそうになったその時だった。
 パンッと乾いた音が辺りに響く。
 水を打ったような静けさとは、まさに今みたいなことを言うのだと思った。そろそろと視線を上げると、どうやら和泉さんが手を打った音だったらしい。先ほどまでの圧が嘘のように消え、途端に息がしやすくなった気がする。
「すみませーん! 今からこの人が列整理と注文を伺うので、少々お待ちいただけますでしょうかー?」
 和泉さんが外に集まるお客さんに向かって声を上げる。すると、その掛け声のおかげか、お客さん同士で来た順を確かめながら緩やかに列を作り始めた。
「ほら、これでやりやすくなったろ?」
 そう言いながら、和泉さんはニッと口端を引き上げて、私にメモ帳とボールペンを手渡す。
「大丈夫だって。間違ったって死にゃしねーから」
「は、はい」
 大丈夫。私はずっと、誰かにそう言ってもらいたかったのかもしれない。苦手なりに頑張って、でもやっぱり失敗して。大人になって転んでも、誰も助けてはくれない。自分で起き上がらなくては。そう分かっていても、誰かに大丈夫、と手を差し伸べてほしかった。
 彼に促され、私は店の裏の扉から外に出た。もうほとんど出来上がった列に近付いていき、先頭のお客さんからたい焼きの個数を確認していく。メモ紙に個数と番号を書いた紙を和泉さんに、同じ内容を記したメモ紙をお客さんに渡す。
 それを繰り返しながら、いつしか和泉さんが焼くことに専念できるよう、会計と受け渡しも私が担うようになっていった。自分がそれまで何をくよくよしていたのか分からなくなるくらい、お客さんはひっきりなしであったし、気付けばすっかり閉店時間を迎えていたのだった。
「つ、疲れた……」
 ぐったりと店内の丸椅子に腰かける私を、和泉さんはケラケラと笑う。
「いやぁ、儲かった儲かった! 孫もよくやった! おかげで完売だ!」
「それはどうも……」
 和泉さんを監視するどころか、これでは逆に私が都合よく使われているだけではなかろうか。しかし、この疲労感に勝る達成感は悪くない。
「これ便利だったな。尭はこんなのやってなかった」
「え? あぁ、整理番号ですよ。文化祭で屋台をやった時、会計するのに使って便利だったのを思い出したので……」
 和泉さんが私の書いたメモ紙の束をパラパラと指で弾く。おかげでメモ帳はほとんど使いきってしまったので、明日にでも買い出しにいかなければならない。
 そこまで考えて、自然と明日もここに来ることを考えている自分にはっとした。そんな私にダメ押しするように、和泉さんが声を上げる。
「やるなぁ、孫! これは明日も手伝ってもらわねーと」
「え……」
「さすがに忙しい時は、一人で店回すのつれーからな。尭がしばらくいないんじゃ、俺が頼れるのはお前だけだし」
 それは、彼にとっては何気ない、そしてそれほど大した意味も持たない言葉だったのかもしれない。
 けれどあの日、転んで涙を流し、カラカラに乾いた心には彼の言葉は清流のように染み渡っていく。乾いて冷え切っていたはずの胸がじわりと熱を生み、つんと鼻の奥を刺激する。目の前の和泉さんの姿が霞んだ瞬間、顔を俯ければぽたぽたとエプロンの上に涙が落ちていった。
「え、は!? 孫、どうした!? おおお、おい泣くな! つ、疲れたよな、うん! そうだ、たい焼きまだ残ってるぞ? 食うか?」
「はい……」
 細長い体で盛大に慌てふためく和泉さんは、保温ケースから取り出したたい焼きをそのまま私に差し出した。
 自分でも情緒が安定しないがゆえに、ひとまず彼の申し出に頷き返したものの、久しぶりに解れてやわやわになった心のままでは、たい焼きを食べる余裕もない。さすがに焼き上がりから時間が経って、少しカサついたたい焼きを掴んだまま止まらない涙を垂れ流していた。
「間違いなく旨いぞ! なんたって俺の親友、しかも神様が選んだ小豆だからな」
「神様……?」
 和泉さんなりの冗談だろうか。確かに、あんこが違うのだと忙しくなる前に聞いていた気がするが、神様とは誇張するための形容詞みたいなものだろうか。
「ほら、ぱくっといけ! 冷めちまうぞ」
 私の泣いてる理由が彼に伝わっているとは思えないが、何とか励まそうとしてくれている優しさは感じられる。彼の優しさに温まった体は、少しずつたい焼きを受け入れる準備を整え、そうしてゆっくりと一口、たい焼きを口に含んだ。
「ん……っ!?」
 正直、私はつぶあんよりこしあん派だ。でも、そんな私を黙らせてしまうくらい、このあんこの上品な甘さとほくほくとした豆の触感、そして時間が経ってもなお、パリッとした皮の塩みがちょうどいい。甘さの奥にはコクがあって、気付けばすぐにもう一口と食べ進めていた。カナエさんが夢中になって食べていたのも分かる。
「ははっ、旨いだろ!」
「これは確かに、四九〇円出しても食べたい味です」
「だろ! 宇迦(うか)が持ってくる食べ物はどれも旨ーんだ」
「さっき言ってた親友の神様ですか? 名前も本当の神様みたいですね」
「みたいじゃなくて、本当に神様なんだよ」
「え……?」
 至極真面目な顔をして、和泉さんは私を見つめる。むしろ、私の方こそ「何冗談言ってるんだ」と問い詰められているような、そんな沈黙が流れた。
「もしかしてお前、尭から聞いてねーのか?」
「聞くって、何をですか?」
 ぽかん、とする私の言葉が本気だと伝わったのか、和泉さんは徐々に顔を引きつらせる。不格好な笑みを浮かべながら、細長い指先で自身の頭を気まずそうに掻いていた。
「まぁ、ここで働いてもらうなら言うしかねーよな。うん……」
「そんなにもったいぶって、何なんですか?」
 段々じれったくなって尋ねると、彼はふーと長く息を吐き出して私に向き直る。
「俺、神様なんだわ」
「は?」
 俺が神、そんなどこかのダークヒーローが言いそうな言葉を言われても反応に困る。営業でユーモアがないと散々罵られた私に、粋な返答なんて無理だ。
 だがしかし、彼の首から下がった賽銭箱を見て再び違和感を覚える。筆箱のような大きさで、それほど頑丈そうな作りとも思えない手作り感満載の段ボールの賽銭箱。今日、たい焼きを売りながら、彼はなんだかんだとちゃっかりお釣りの十円玉をお駄賃としてその箱の中に納めていた。
 しかし、彼がいくら動こうと箱の中から小銭がぶつかり合うような音も、それらしい重みもそこからは感じられない。彼が箱から小銭を取り出している様子もなかったのに、では入れた小銭たちはどこへ行ってしまったのだろうか。
「いや、そんなのあり得ないし……」
「もうここまで言ったら信じてもらうしかねーんだよ。ほら」
 彼がサングラスをぐいと頭の上に持っていく。初めてきちんと直視した彼の眼は、精巧にカットを施されたシトリンのように黄色に煌めき、人ならざる異様な気配を放つ。
「これで、少しは信じられっか?」
 異常に美味しい小豆をくれる神様の友達、お金の消えるお賽銭箱、そしてこの宝石のような瞳。
 おじいちゃんの入院から、たい焼き屋の手伝いで疲れ切った頭は、彼の言葉を否定できるほどの理由が何も思いつかない。そして、ふとこの混乱に終止符を打つ方法を思いついた。
「そう、ですね。はい……」
 認めてしまえば楽になる。強い流れには逆らわず、ただ流される方が、楽なのだ。

 でもおじいちゃん、やっぱり私に代理店長は無理だと思います。



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