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柳田知雪『たい焼き屋のベテランバイトは神様です』第二話 我が家が一番? 前編

<前回までのあらすじ>
たい焼き屋『こちょう』を営む祖父が入院した。
ベテランバイトの和泉さんがいるから大丈夫、
かと思いきや、和泉さんに自分は”神”だと告げられて…

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それでは、第二話もお楽しみくださいませ!

「聞いてないんだけど……」
「ん? 言ってなかったか?」
 着替えも必要だろうからと入院している祖父の見舞いにやってきた。が、昨日こちょうに顔を出した私からの話を聞いた祖父は悪びれるどころか、むしろすっとぼけるような軽い口調で返してきたのだった。
「和泉さんのこと、もっと説明してほしかったんだけど……」
 詰るような視線を向けるが、それすらも特に効果はないらしい。むしろ、ニカッとまだ元気に残る白い歯を覗かせて笑う。
「まぁ、基本悪いやつではないからな。仲良くしてやってくれ」
「いや、仲良くって……まだ代理店長の話も請けると決めたわけでもないんだけど」
 とは言いつつも、昨日は散々こちょうの手伝いをしてしまった。祖父に文句をつけたのは、その後の出来事についてである。

 ◆◆◆

「じゃあ、今日はお疲れ様でした」
「おう、お疲れ!」
 ここから自宅までは一時間あれば帰れるだろう。しかし、祖父の部屋を借りられることを思い出し、のろのろと椅子から腰を上げる。
 和泉さんは鮮やかな黄色い瞳を薄い水色のサングラスで隠すように覆い、景気よく手を振って見送ってくれた。
 和泉さんに会釈を返して店の裏口から外に出ると、すぐ左側にあるトタンの屋根が付いた階段を上っていく。この建物は一階にテナントが二軒、二階に住居用の賃貸物件が二部屋の計四部屋が備わった、そこそこ年季の入った木造建築だそうだ。
 そんな二階廊下の左側の部屋、こちょうの真上にあたる場所が祖父の家だった。祖母が亡くなってからしばらくして、ちょうど空いたから、と引っ越した。恐らく祖父自身、祖母との思い出が詰まった広い家に一人でいるのが寂しかったのかもしれない。
 そんな祖父から預かった銀色の鍵を『二〇一』と表札のかかった扉の鍵穴に差し込めば、何の抵抗もなくくるりと回る。軽い木の玄関を開くと、中からはどこか懐かしい香りがした。
「意外と整理整頓してるんだ」
「まぁ、尭はああ見えてまめだからなぁ」
「っ……!!??」
 突然、背後から声が聴こえ、思い切り肩を跳ねさせた。慌てて振り返ると、からからと可笑しそうに和泉さんが笑っている。
「驚きすぎだろ。まぁ、突然後ろに神が立ってたら驚くか!」
「ソーデスネ……」
 疲労でうまく回らない思考回路にひとまず受け入れることを選んだが、まだ神様だなんて本気で信じているわけではない。というか、信じられない。小粋に飛ばしてくる和泉さんの神ジョークにも、私はまだついていけていなかった。
「ってか、何で孫がこの部屋の鍵持ってんだよ」
「おじいちゃんが入院している間、自由に使っていいと言われたので……」
 本当は『こちょうの代理店長になる』という交換条件だが、この際黙っておこう。今日は実際に手伝ったのだし、このまま休ませてもらって、入院生活に必要そうなものをまとめて明日持っていけばこちらも楽だ。
「なら、助かった! 店のことはまだしも、家のことはよく分かんねーからさ」
「へ?」
 またしても、私は何か祖父に隠し事をされているのでは、という予感がする。
「あの、和泉さんってご自宅は……?」
「何だよ、それも尭に聞いてねーの? 俺、ここで居候させてもらってんだよ」
「い、居候……!?」
 完全に祖父が一人暮らししている家が空くから、私に滞在が許されたのだとばかり思っていた。しかし、居候がいるとなると話は全く違うのではないだろうか。そもそも、祖父は私と和泉さんがひとつ屋根の下で生活することに、何の躊躇いもないのか?
 神様だから? そんな緩い判定で私と、成人男性の形をした和泉さんとの同居を許すのはちょっとどうかと思う。
「孫ー、風呂沸かしてくれよ。今日はくたくたでさー……」
「いいい、いや、やっぱり私、自分の家に帰りますね!」
「え、ちょっ、おい!」
 和泉さんの呼び止める声が聞こえた気がしたが、それを振り切るように夜の街を駆けていくのだった。

 私の家はヤムヤミーが提供してくれている社宅だ。1Kのリビングは七畳、駅近で近所にスーパーもコンビニもあるというなかなかの好立地。ついでに言うと、会社も二駅隣にあるので歩いていこうと思えば余裕の距離である。
 だからこそ、こんな時間に歩きたくはなかった。駅の改札から出た時、雑踏からはっきりと聞き慣れた声が届く。
「今川さん?」
 恐る恐る顔を向ければ、会社帰りなのかスーツ姿の佐久間くんがコンビニ袋を提げていた。ヤムヤミーへの同期入社である彼も、私と同じ社宅のマンションに住んでいるのだ。
「どうしたの? こんな時間に」
「祖父が、怪我して入院することになったから……いろいろと手伝いに」
「え、大変だね。休職中なのが幸か不幸かって感じ?」
「……」
 彼のはっきりとした言葉に、ぐっと身を縮こまらせてしまう。顔は笑っているが、彼がどういう真意でその言葉を口にしているのか分からなかった。
 佐久間くんは人当たりも良く、入社した時からすぐに人と打ち解けて、まさになるべくして営業職に配属された人だと思う。同じく営業職に配属された私とは最初から成績も雲泥の差で、彼に向ける周囲の期待も高まったが、その有能さゆえに私が抜けたしわ寄せが彼にいっていると誰かから聞いた。
 仕方ないとは分かりつつ、同じマンションへとふたり並んで歩いていく。早くマンションに着いて欲しいと願いながらも、隣を歩く佐久間くんとの会話を切り上げることもできなかった。
「今川さん、いつ戻ってくるの?」
「一年の休職期間をもらってるから……あと十か月くらい、かな」
「えーそんなに? 俺としては明日にでも戻ってきて欲しいくらいだよ。もう、全然仕事が終わらなくてさ」
 こういう時、何と返せばいいのだろうか。謝るのも、同意するのも違う気がして、ただ相槌を打ってしまう。
 ふいに、あと十か月したらあの生活に戻らなければならないのか、と絶望の針が胃をじくじくと突き刺してくるようだった。
「あれ?」
 ふいに佐久間くんが顔を寄せる。
「え、何?」
 突然、縮まった距離に驚いていると、彼はお腹を手の平で抑えるようにして笑った。
「いや、俺ものすごく腹減ってるみたい。今川さんから美味しそうな匂いがするなぁ、と思って」
「あぁ、たい焼きの匂いかも……」
 そこまで言ってはっとする。給料をもらっていないとは言え、休職中にたい焼き屋を手伝っていました、というのはあまりいい印象を持たれないかもしれない。しかし、佐久間くんはそんなことも気にせず、合点がいったようで嬉しそうに声を上げた。
「たい焼き! それだ、その匂い! でも、ただ食べただけでこんなに匂い付かないよね?」
 佐久間くんの指摘の鋭さに、ひゅんと心臓が縮み上がる。
「祖父がたい焼き屋やってて、代わりに店に行ったからかも」
「へぇ、おじいちゃんがたい焼き屋って、なんかいいなぁ」
 そんな会話をしている間に、どうにかマンションへと辿り着く。密かにほっとしながら、エレベーターで別々の階に別れる彼を見送った。
 正直、ここで暮らしているとものすごく肩身が狭い。朝、出社していく知り合いの姿を見つけてしまうと、自分だけどんどん世界から置いていかれているような気持ちになってくる。一日中部屋に居座ると、どこか部屋の空気は冷ややかに感じられた。そして、買い物に出ようとすると今みたいに誰かと鉢合わせてしまうのだった。
 だからこそ、祖父が家を貸してくれるという交換条件はひどく魅力的だった。しかし、そこに和泉さんと言う先客がいるのなら、借りることは躊躇われる。
 だとすれば、やはり私に代理店長は無理だった。

 翌日。
 近くの文房具屋でメモ帳を買い、再びこちょうを訪れていた。まだ開店前の店の窓はカーテンで閉ざされ、中に和泉さんがいる様子もない。祖父の着替えを取りに、二階へ続く階段を上っていけば昨日と変わらぬ廊下が伸びている。
 二〇一号室の扉にあるインターホンを鳴らすと、中からガッタンバッタンとおもちゃ箱をひっくり返すような音が聞こえてくる。戸惑いながらも閉じられたままの玄関を見つめていると、次の瞬間、勢いよく扉が開かれた。
「孫っ! 助けてくれ!」
「げっ!?」
 昨日と同じ部屋とは思えぬほどに部屋は荒れ放題であった。床に物が散乱し、おまけにガタガタと音を立てて揺れる洗濯機から、石鹸や花を思わせる洗剤の香りと共に泡が溢れ出してきている。
「泥棒にでも入られたんですか!?」
「いいから、早くこのカラクリをどうにかしてくれ!」
 洗濯機をカラクリと呼ぶ和泉さんは半泣き状態だった。てんやわんやになりながらも、どうにか泡製造機と化した洗濯機を宥める。
 洗剤の香りが部屋中に充満した家の中に上がらせてもらえば、リビングもまた足の踏み場がなかった。適当に物を避けて作ったスペースに和泉さんは胡坐をかき、それに倣うように私も小さなスペースに腰を下ろす。
「はー助かった! ありがとな、孫!」
 ほっとしたように朗らかな笑みを浮かべる和泉さんに対し、すでに疲労困憊になりながら部屋を見渡した。
「あの……昨日の今日でどうしてこんなことに?」
「普通に飯作ろうとしたらキッチンはああなって、風呂入ろうとしたらリビングはこうなって、今朝洗濯しようとしたらさっきみたいに……」
「なりませんよ、普通!」
 思わず私が叫んだ瞬間、ドンッ、と壁が揺れた。先ほどから騒がしくしていた自覚は多少あったが、ついに隣の住民からの騒音の苦情が来てしまった。見えないだろうと思いつつも、壁に向かって会釈して、改まって和泉さんへと小声で尋ねる。
「まさか、今まで全部おじいちゃんにやってもらってたんですか?」
「あぁ、最初は手伝えって言われてたんだけど、俺が手伝うと仕事が倍以上になるから何もするな、って言われてさ」
「はぁ……」
 溜息のような相槌しか出ない私に、和泉さんは開き直ったように言葉を続ける。
「身の回りのこととかしたことねーんだよ。昔から面倒見てくれるやつはいたし」
「貴族みたいですね……」
「神様だからな」
 眩暈がしそうになったが、祖父の家をめちゃくちゃにされて放置するわけにはいかない。もしや祖父は、男女がひとつ屋根の下というリスクよりも、家が荒れることを恐れたのかもしれない。
「神様なら神社がお家みたいなものじゃないんですか? そっちに帰ればいいのに」
「まぁそうなんだけどさ。お前、俺以外に神や妖を見たことあるか?」
「え? ない、ですけど……」
「じゃあ、何で俺のことは見えてると思う?」
 言われてみれば、霊感も何もない私がなぜ普通に見えているのだろう。今まで神社にお参りに行っても、和泉さんのような人を見たことはない。こちょうに来るお客さんだって、みんな普通に和泉さんと接していた。
 昨日は疲れてそんなことを考える余裕もなかったが、和泉さんが本当に神だと仮定するならば、不思議なことである。
 首を傾げるままの私に、和泉さんは細長い腕を横に広げてみせた。
「今は人らしく見えるように術を使ってるんだよ。だが、神社に帰るには術を解かなきゃならない。で、神社から出るためにはまた術を使わなきゃならない。これがなかなか面倒でな」
「つまり、和泉さんがものぐさだから、ここに居候してるってことですか?」
「楽して何が悪い」
 堂々と言い切る彼に、もはや言葉を返す気力もなくなってきた。しかし、同時にわずかな希望を覚える。
 和泉さんがちゃんと帰れば、この家に私一人で住むことができるのでは?
 この部屋が借りられるのなら、祖父の願い通り代理店長をやってもいい。もしそうなれば、和泉さんにこの部屋を荒らされることもなくなるし、一石二鳥だ。
「この家にいてもこんなに散らかすようじゃ、どっちみち快適じゃないですよね? おじいちゃんの入院中は神社に帰った方が……」
「孫が代わりに住めばいいだろ。尭だって良いって言ってんだし」
「それ、遠回しに世話しろって言ってます……?」
「光栄だろ?」
「……」
「何だよ、その明らかに不満そうな顔は」
 これも神ジョークなのだろうか。しかし、せっかく見つけた希望を、ここでみすみす逃すわけにはいかない。
「神社って、つまり和泉さん専用に作られたお社ですよね? こんな1Kのアパートより絶対に住み心地いいんですから、術のひとつやふたつ使えばいいじゃないですか」
「お前、知らねーだろ。神社がどんなのか」
「それは……」
「いいじゃねーか。事情は知らねーけど、お前もここに住みたいんだろ? で、俺は世話してくれる相手ができる。持ちつ持たれつってやつだな!」
 あくまでも、彼はこの家から出て行くつもりはないらしい。和泉さんからすれば、私は世話係以上でも以下でもなく、男女の形をしているだけで同じ場所で寝泊まりすることに何ら意味は持たないらしい。
 でも、なぜ私が彼の世話まで? 確かに、社宅から抜け出せるならそれに越したことはないけれど……。
「その話は一旦保留で……おじいちゃんの着替えを病院に持っていかないと」
 ひとまず話題を変えると、和泉さんは素っ気なくも下着やら寝間着が入っている箪笥を教えてくれたのだった。

 ◆◆◆

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