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柳田知雪『たい焼き屋のベテランバイトは神様です』第五話 憧れのカタチ 前編

<前回までのあらすじ>
 たい焼き屋を営んでいる祖父が入院し、代理店長として店を任された結貴。彼女の頼みの綱であるベテランバイトの和泉さんは、なんと龍神様だった。
 和泉さんへの日頃のお礼としてミニ鳥居をプレゼントした結貴だったが、商売上手の大学生・真昼くんが隣のクレープ屋でバイトしていることを知って…

今までのお話はこちらから!
第一話 大丈夫だって言われたい 前編後編
第二話 我が家が一番? 前編後編
第三話 曲げない流儀
第四話 そこに楽しいはあるか

「俺、ここのバイトなんで!」
 そう言って、真昼くんが指差したのは隣のクレープ屋『ちりめん』さんだった。
 ここ数日、たい焼き屋『こちょう』で分かったこと。それは、この並んだふたつの店の前で悩む人がいることの多さだった。
 何か甘いものが食べたい。そんな時、自分のお腹の空き具合と口が何を求めているのかを、頭の中で議論する。目の前には和のたい焼きと洋のクレープ……と、店頭のメニューのラインナップを見て、その足はどちらかを決める。固唾を飲んで、そんな様子を見守っていた。
 時間帯、年齢層、気候条件などなど、その日ごとに足の向く先はまちまちだ。ただ、若い人ほどクレープ屋に向かう率は高い気がする。その理由は恐らく……
「ちりめんさんのクレープって味はもちろんだけど、見た目もすごく綺麗だよね」
 女の子たちが楽しそうに写真を撮り、そして綺麗に食べていく姿をよく目にする。そのクレープはまるで花束のように、美しく生地が綻び、フルーツたちが彩りを添えていた。こちょうが抱えるSNS映え、という問題では間違いなく圧勝している。
 悔しさを胸の中で圧し潰しつつ呟いた一言に、真昼くんは少年のように晴れ渡るような笑みを浮かべた。
「そうそう! 店長が作ってるんだけど、あれ本当にすごいでしょ!」
 まるで自分のことのように誇らしげに彼は言い放った。その一言に、ふと疑問が浮かぶ。
「真昼くんは作ってないの?」
 目の前の鳥居や、先日見た動物の彫刻たちから彼の器用さは知っている。だからてっきり、あの可愛らしいクレープたちを真昼くんも作っているのだと思ったのだ。
 しかし、そんな私の予想を真昼くんはやんわりと首を振って否定する。
「店長みたいにはまだ全然。でも今、頑張って練習してるからさ!」
「お前も修行中ってわけだな」
 それまで真昼くんが持ってきてくれた鳥居をまじまじと眺めていた和泉さんだったが、突然会話に混じってきたかと思うと、ふんと胸を張った。
「精々頑張れよ! 確かにあのくれぇぷに辿り着くのは簡単じゃねーだろうが、上手くできるようになったら孫に買いに行かせるからな」
「買いに行くのは私なんですね……」
 もらった給料を全てお賽銭箱に入れ、どういう仕組みか分からないが、“信仰”として取り込んでいるらしい。そのため、一切手持ちのお金がない和泉さんが私をパシられることになるのは仕方ないのだが、なぜ真昼くんに対してこんなにも上から目線なのか。
 自分がたい焼きを上手く作れるから? それともやはり、神様目線?
 しかし、そんな和泉さんの態度に全く怯まず、真昼くんはニカッと笑う。
「ありがと! ちゃんと作れるようになったら……」
「真昼くん」
 その時、重低音ハスキーボイスが店の前に響いた。声の主を視線で捉え、思わず息を飲んだ。
 その彼は、和泉さんと同じくらいの身長があるだろうか。しかし、ほっそりとした和泉さんとは違い、全身にがっしりと男性らしい筋肉がついている。じっとこちらを見据える眼光は鋭く、威圧感さえ覚えるほどだった。
 ただ、彼の前面を覆うフリフリのピンク色のエプロンだけが、幻のように彼から浮いた存在となっている。
「店長!」
 真昼くんが元気に応える声に、目を白黒させる。
 て、店長!? まさか、クレープ屋『ちりめん』の!?
 あの芸術品のように美しいクレープを作っているのがこの店長!?
 人を見かけで判断してはいけません。そんな言葉が脳裏を過るが、しかし、あまりのギャップに脳内で処理ができなかった。
「真昼くん、もうすぐ開店時間なので戻ってきてください。給料減らされたいんですか?」
「あ、そうだった! じゃあまた後でね、支払いもよろしく!」
 ピンと背筋を伸ばしたまま店に戻っていく店長さんを追うように、真昼くんも跳ねるような軽やかさで戻っていった。
「ちりめんの店長さん、初めて見ました」
「丹後な。あいつ、閉店時間とほぼ同時に帰るし、俺ですら久々にちゃんと顔見たよ」
「え、お知り合いなんですか?」
「尭がここに店を開いて、すぐ隣に入ってな。その時、挨拶に来て『若いわりに礼儀を知った男だ!』なんて尭は褒めてたぜ?」
 店同士のご近所付き合いというものがあったことを今知った。もしかすると、私が勝手にライバルと思っていただけで、祖父は案外、商売仲間として仲良くやっていたのだろうか。
「ま、こちょうより行列ができた日は悔しがってたけどな」
「あ、やっぱり負けず嫌い精神はあるんですね」
 小学生くらいの頃、祖父と近所へ釣りに行ったことがある。ビギナーズラックというやつだろうか、なぜか玄人の祖父よりもその日の釣果は私の方が多かったのだ。
「上手なもんだなぁ! これはプロになれるかもしれん!」
 なんて口では言っていたが、祖母によるとやはり悔しかったらしい。翌日、再び釣りに誘われ森の中にある渓流へと祖父に連れられて行った。昨日の釣果が嘘のように私は釣れず、一方ではしゃぐ祖父に負けたくなくて、ひとり別の釣り場所を探しに上流へと進んでいったのだ。負けたくない一心だったため、祖父の姿が見えなくなったことにも気が付かなかった。ずんずんと進んでいき、緑が深まり、いつしか日が落ち始めた時にはっとした。
 自分は今、どこにいるのだろう、と……──
「孫!」
「あ……はいっ!」
「何、ボーっとしてんだよ。俺たちも店開けるぞ」
「そ、そうですね」
 祖父との思い出を反芻しているうちに、いつの間にか準備する手が止まっていた。
 それまでくるくると巡っていたフィルムが突然、ぷちんと途切れてしまい、それから続きを思い出そうとしても、なかなか上手くはいかなかった。
「何か、大事なことを忘れているような……?」
「今は思い出すより、早くこっちを覚えてもらわねーとな」
 そう言って、和泉さんは焼く前の生地がとっぷりと入ったボウルを、ドンと中央のテーブルの上に乗せた。そして、ちゃっきりと呼ばれる生地を焼き型に落としていく円錐形の道具を突き出す。
「いい加減、俺と同等……は無理だろうが、まぁ店先に並べても笑われねーくらいにはたい焼きを焼けるようになってもらわねーとな!」
「よろしくお願いします、師匠!」
 先日SNSで和泉さんと宇迦さんの動画がバスったこともあり、時間帯によっては目が回るような忙しさの日もあった。ずっと会計だけを担当していた私だが、店を回していく上で、誰もが焼く技術を持っていた方が便利なことは間違いない。それともうひとつ。たい焼き屋の代理店長を名乗っておいて、自分では全く焼けない、というのも何だかバツが悪い。
 そんな個人的事情と利便性を和泉さんに伝え、教えを請うことにした。が、実際のところは、あまりにも綺麗な彼の手捌きに見惚れ、自分もやってみたいと思ったことは内緒だ。
 ただ、ひとつ問題があるとすれば……
「だーから! こうカシッカシッ、のトントントン。で、焼き型を合わせる時は、くいっと返してパンッ! 調子よくやるのが大事なんだよ、分かるだろ?」
「いや、全然……」
 和泉さんはものすごく感覚タイプの人だった。呆然とする私に和泉さんは頭を抱え、なぜ分からないとばかりに眉間に皺を寄せる。
 会社に入ったばかりの頃、上司によくこういう顔をされたな、と小さな棘が胸に刺さる感覚を思い出していた。それでも、今までほど心がへこたれないのは和泉さんと生活するうちに、精神力とでも言うべきものが鍛えられたのだろうか。それとも、弱りきっていた心が少しずつ回復してきた証だろうか。
 どちらにしても、この心の軽さはありがたい。
「すみません、もう一度和泉さんが焼いてるところ見せてもらってもいいですか?」
 和泉さんには申し訳ないが、説明があまりにも分かりづらいので、もはや見て覚えるしかない。
「しょーがねーな。しっかり目かっぽじって見てろよ」
「目はかっぽじったら見えなくなるのでは……?」
 和泉さんが調理を始めると、まるで曲が流れ出したように軽快な音が響き始める。ちゃっきりで生地を落としていく音、あんさしとスケッパーの擦れる音、ふつふつと生地の表面が焼けていく香ばしい音と、焼き型が重なりあう少し緊張感のある金属音。蓋代わりになった焼き型が開く瞬間は、まるでオーケストラのシンバルが鳴り響くようだった。
 そうしてカーテンコールで現れるたい焼きたちは、自慢げに輝かんばかりの焼けた鱗を見せつけてくる。ほんのりと香るあんこの香ばしさには、スタンディングオベーションする他なかった。
「ざっとこんな感じだ」
 本人の口から説明を聞くより、何百倍も勉強になる。
 なんて本音は言えずに、何度も縦に首を振る。
「ありがとうございます! もう一度、チャレンジさせてもらってもいいですか?」
「今度は、あんこ焦がすなよ」
「はい!」


 店の裏にある階段の下。一日中、日の差さないその小さな路地裏には、ひっそりと隠されるように和泉さんのお社が壁に埋め込まれている。そんなお社の前にしゃがみ込んで、肺に溜まった息を思い切り吐き出した。
「今日も合格もらえなかった……」
 尻尾の先が黒く焦げたたい焼きを一口頬張る。まずくはないが、和泉さんの作るたい焼きと比べたら、この焦げから生まれる雑味が明らかに質を落としていた。
 原因は分かっている。落とす生地の量が均一じゃなかったり、焼き型を合わせる時に勢いが足りなかったり……そんな細かなエトセトラが詰まって、あんこが生地からはみ出して、他の部分よりも早く焦げてしまうのだ。
「はぁ……」
 聞こえてきた重たい溜息。階段の方を見れば、その隙間から見覚えのある姿が目に入った。
「丹後さん……?」
 呼びかけてしまってからはっとする。彼と私の間にほとんど面識はない。名前も和泉さんから聞いただけで、自己紹介をされたわけではないのに、不審に思われてしまっただろうか。
 そんな頭の中をぐるぐると思考が回り続けて硬直する私に、いかつい身体で彼は折り目正しくお辞儀してくれる。
「お疲れ様です」
「あ、えと……お疲れ様です」
 ものすごくビジネス的な対応は、まさに大人の振る舞いだった。そこでようやく、自分が言うべきことがぐしゃぐしゃになった思考の中から浮かび上がってくる。
「ご挨拶が遅れてすみません。祖父に代わり、こちょうの代理店長をしております、今川結貴です」
「祖父、ということは……お孫さんでしたか。では、二〇一号室に最近住まわれているのも?」
 二〇一号室と相変わらずの重低音ボイスで囁きながら階段の上を指差す。確かに同じ建物内の店で働いていれば、この階段から降りてくる私を見ることもあるだろう。しかし、二〇一号室、と部屋番号も当てられてしまい、つい警戒してしまう。
「あぁ、急にプライベートなことをすみません。私、二〇二号室に住んでいるので」
「えっ」
 居候を始める前、和泉さんが散らかしまくった二〇一号室に上がったことがある。その時、和泉さんと言い合いになり思わず大きな声を出してしまい、隣から壁ドンをされたことがあった。
「す、すみませんでした……! うるさくしてしまって!」
「いえ、ここは木造で壁も薄いですし。あと、あなたが来る前からそれなりに賑やかなお隣さんだとは知っていたので」
「賑やか……」
 これは嫌味? それとも素?
 分からないけれど、できるだけ声は響かせないようにしようと決意した瞬間だった。
 しかし、そこで会話のキャッチボールも終わってしまい無言の間が流れる。先ほどの溜息の重さは気になるものの、隣で働いているとは言え、赤の他人である私が口を出すことではないだろう。
 ただ、こちらから話を切り上げる勇気もなく、そしてなぜか彼もこちらをじっと見つめたまま動こうとしなかった。
 彼が動かない理由を探ろうと階段の隙間越しに彼をこっそり観察していたその時、きゅうぅ、と可愛らしい音が鳴る。
「……失礼」
「もしかして、お腹空いてます?」
 ピンクの可愛らしいエプロンといい、お腹の虫の可憐さといい、丹後さんはギャップが尽きることがない。
「あの、良かったらたい焼き食べますか? 私の失敗作なんですけど、いっぱいあって……あ、でも食べられないほどじゃないんですけど!」
 そう言って、紙袋に個包装されたたい焼きが入ったビニール袋を掲げる。すると、またじっと彼に見つめられるだけの間が続いて、静かに頷かれた。
 階段と壁の隙間をようやく通り抜けてきた丹後さんと、横並びに壁にもたれる。袋の中からたい焼きをひとつ取り出すと、彼はたい焼きをまじまじと見つめた。
「尻尾の方が焦げたりして、ちょっと不格好なんですけど……焦げたところ以外は、ちゃんとこちょうの味なので。袋に入れていたので、多少しんなりしてますが……」
「ありがとうございます」
 短く言い切り、彼はぱくりと尻尾からかぶりついた。焦げなんて気にせず、ぱくぱくと四口ほどで平らげてしまう。そんな食べっぷりに、密かに心が浮き上がらせてしまった。
 失敗しても和泉さんは怒らないし、次だな! と励ましてくれる。しかし、こうして客に出せないたい焼きを量産してしまうのが情けなく、自分の夕食となってしまうのも何だか切なかった。それを、初めて人に食べてもらえたことが何だかすごく、嬉しい。
「和泉さんが本当にお上手すぎるので、その味を期待しているお客さんに出すにはあと一歩というところですが……美味しいたい焼きだと思います」
「あ、ありがとうございます……!」
 まさか、褒め言葉までもらえるとは思わず、熱いものが込み上げてきそうになる。ぐっと歯を噛みしめながら、その奔流をどうにか胸のうちに抑えた。
「あの、よければもうひとついかがですか?」
「いただいます。最近、忙しい時間の合間によく練習されてますよね」
「ご存知だったんですか?」
「和泉さんの声が賑やかなので。独特の指導をするな、とつい耳を傾けていました」
 丹後さんの『賑やか』はやはり嫌味なのかもしれない。と、確信に近付いてしまった気がした。
「説明の仕方はあれですけど、でも、ずっと熱心に教えてくれて本当にありがたいなって。和泉さんには言ってないんですけど、あんな風に焼けるようになったら、また少し自信が持てるかもって……勝手に憧れてるんです」
 そこまで言って、はっと我に返る。
「ごめんなさい! つい自分の話ばかりしてしまって!」
「いえ……真昼くんにも、あなたのようなチャレンジ精神があればいいのに、と私もつい考えこんでしまいました」
「え?」
 今の言葉は、まるで真昼くんにチャレンジ精神がない、と嘆くようだった。


後編もお楽しみに!

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