物を売ること、自分の手柄だと思っていた事。
今日は展示会初日でした。
個人的に、とても良い1日でした。
お客様との出会い、人の流れ、お店で過ごす心地よい時間。
豊かな時間と、豊かなお金の流れ。
ここで生み出される服を気に入って買って下さるということ。
試着してとても喜んでもらえた瞬間。
生地の良さを一緒に感じ取ってもらえた瞬間。
今日久しぶりにお店に立って過ごして思ったのは、
「自分が売った」みたいな感覚が無くなったなぁということ。
東京でデザイナーをしていた頃、セールの時は店頭に立つ事がありました。
一緒にお仕事していた他の方がどうだったか分かりませんが、
個人的には
「私が売った」「誰が売った」「今日一番売ったのは誰だった」
みたいなことに一番興味がありました。
上司や店長さんにもそれをよく言われたし、みんなの意識の先だったし、
みんなのモチベーションだった。
商品 ⇒ 自分 ⇒ お客さん
という感じ。
デザイナーをしていても、
これはヒット商品で、自分がデザインした。
とか
誰の業績で、誰の売り上げで、誰の責任で、誰が偉くて、誰が仕事できなくて、誰が一番で。。。
でもここにいると
石徹白洋品店という場所で、
みんなによって作られたものが
必然的な出会いと流れによって
服、お金、情報、エネルギーの交換が行われて行く。
矢印は一方通行ではないし、循環しかない。
◯
勿論エネルギーの循環は、
一方通行というのはありえないし、
東京で仕事をしていた時からそうだったはずだけど、
私がそれに気付き、
体感できるようになったという意味です。
「誰がやった」「自分がやった」
これって3次元的な感覚なんだって。
個人セッションでアカシックリーディングしている時は
「自分」という感覚が無くなるからよく体験しているけど
アパレルで働いていた私は、物を買ってもらう時に「売る」みたいなスイッチが入るんです。
わたしが売らなきゃ
という、過去の自分の
がっつきスイッチ
そういうの無くなったな〜楽ちんだな〜いい感じだなぁ〜
と、思う今日この頃です。
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