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分断する「空気」(そして「空気の研究」を読んで感じる危機感)


コロナの影響が広がり続ける中で、たびたび分断をうながされる場面がみられます。

・若者と高齢者
・日本国籍と海外籍
・正規社員と非正規社員
・東京とその他の地域

などなど・・・。つい最近までSDGsだ、ダイバーシティだ、インクルージョンだ、と話していた中での急激な世論変化に悲しいなと思いつつ、一方でそうなってしまう社会構造ってあらためて怖いなと感じます。

なぜそのようなことが起こるのかなーと思っていた時に、ふと思い出したのが「空気の研究」です。今まさに、日本社会全体がそこで書かれている渦中にあるなと感じます。

空気の正体

空気を読む、空気をつくる、などと言いますが、その「空気」とは何なのでしょうか。

書籍の中では「共通の前提=絶対的な支配力を持つ判断の基準」と解説されています。「空気」がつくらえる裏側には、「ダミーの目標」と「裏に隠しておきたい前提」があると言います。

意図的な前提をつくり、都合が悪いことを隠蔽する。なのでダミーの目標に対する達成の成否は一切関係のない、結論ありきの議論になりがちです。

言葉のラベル付けによる支配

言語化に関する書籍を最近よく見かけます。「「言葉にできる」は武器になる。(梅田悟司著)」「言葉ダイエット(橋口幸生著)」「言語化力(三浦 崇宏著)」などなど。いずれも素晴らしい本だなと感じます。

一方で、「言語化」が持つ強い力の証左でもあるなと思っています。

先の書籍の中で、日本人は言葉を現実と捉えがちとだと指摘されています。なので、前提を強化するための「絶対化する言語」で支配されやすい。つまり、支配者側は「意図的な前提(=空気)」を嘘の言葉でラベリングして浸透し、コントロールできるという話です。

空気を生むステップについて、西南戦争を例に紹介されています。

(1) 絶対悪、絶対善の設定(西郷は悪、官軍は正義)
(2) 臨在感的な把握(西郷軍は残虐非道)
(3) 感情移入の絶対化(繰り返しの刷り込み)
(4) 空気が人を支配(西郷軍=怖い)

言葉を通じて空気で人を支配していくメカニズムが解説されています。

「結論」をコントロールしようとすると見抜かれやすく、「前提」を押し付けた方が気付かれないという話があります。上記でいうと(1)の刷り込みのフェーズです。

ここがシレっと行われて、意図した結論に導かれてしまう。「空気」が生み出す無茶や無理を解消するためには、出発点を「解体」しなければいけないのです。

「空気」は分断されたムラで生まれる

そもそも「空気」はどこでつくられるのでしょうか?

それは同じ「空気」を共有する中だけで生まれます。国の上層部だけ、企業の経営幹部だけ、のような。

ムラ社会にはそれぞれの正義が存在します。それぞれに善悪があるので、義を得るためにより高次のお墨付きを得ようとします。

いじめはクラスの空気を探ることから始まるそうです。

「小さく小突く⇒何もまわりから言われないかの確認⇒小さな前提の確認して次の行動へ」。そうやって、加害者は反撃を受ける受けないの境界線を探るそうです。

この初期の段階で例えば担任が放置してしまうと、それは暗に「お墨付きを得た」ことと同じ効果を与えてしまいます。

アクティブにお墨付きをすることなく、何もしないこと、放置することがお墨付きとなることは、ハッとさせられる指摘です。

「空気」の支配を支える3つのメカニズム

臨在感
これは「因果関係の推察」と「感情」が結びついたものです。ポジティブもネガティブも両方ありまして、例えば、神社に参拝して、その結果として何かのご縁を期待するようなものです。

正しいかどうかではなく、「推察」と「感情」が強く結びついてしまうことで、誤った認識が広がり浸透してしまいます。対象を臨在感的に把握することは、「分析」という行為を破壊すると言います。そうならないためにも、言葉と事実を突き合わせることが大事なのです。

感情移入
これは「自分の感情が現実と感じる」こと。書籍の中で例示されていたのがひよこにお湯をあげる話。ひよこを飼っていた人が、寒いだろうからということでお湯を飲ませて死なせてしまう。

自分(この場合は飼い主)の感覚だけで良かれと思って親切をする。ただ、それは自分の正しいは相手の正しいという前提に立っているもので、自己と対象を区別できていません。盲目的な正義を振りかざすような現象の背景にあるものです。

絶対化
絶対化とは言葉のまま100:0で物事を固定することです。反対は相対化ですが、多くの物事が相対的なのに、それを絶対化すると嘘になります。健康食も過食になれば害になるように、ほとんどのことには成立に条件があります。

絶対化はその条件を無視します。つまり必ず嘘を含みます。それは「空気」をつくるためには都合がよいものです。「空気」を支配するためには、都合の悪いことには目をむかせないようにするのが一番だからです。

では「空気」にどのように対処すれば?

「空気」を打破するためには4つの起点があると述べられています。

まず「空気」は「絶対化」することから始まるので、「相対化してとらえる」こと。「AなのでBである」という前提に対して、「本当に現状はAなのか?選択肢はBしかないのか?」を問うということです。あるはずの成立条件が隠されて絶対化されてないか。それを見抜くことが大切です。

そして、「閉鎖された劇場の破壊」。要はクラスや部活などの限られたムラ社会の中でおこなわれるものなので、外の光を取り込むか、あるいは自分が勇気を持って外に出るか。

3つめは「空気を断ち切る思考の自由」です。過去の延長からはなれて自由に発想する。「しがらみのない第三者だったらどうする?思考」と言えます。例に上がっていたのはインテルのアンディ・グローブ氏の考え方です。「僕がお払い箱になって、取締役会が新しいCEOをつれてきたら、その人は何をするか?」と問うていたそうです。

4つめにあげられていたのは流れに対抗する「ファンダメンタリズム(根本主義)」。前提を変えたり、抜け出したりできない場合、その前提の中でどうするか?それは、集団の最も変えられない原点をもとに対抗するということです。企業で言えば、ミッションに立ち返って考える、みたいな話ですね。

共通するのは多様性(Diversity & Inclusion)

書籍の中で、「日本しか知らないということは、日本を知らないということだ」という一節がでてきます。企業に置き換えれば、「自社しか知らないということは、自社のことを知らないということ」。

「空気」は「前提」だからこそ、同じ「前提」を持たない存在の大切さは言うまでもありませんし、他を知り、比較検討し、共通点や相違点を知ることが自己理解につながるという話もスッと馴染みます。

日本(日本人)の特性として異文化を水に溶かして取り込むという話が出てきます。過去から、外来の文化を骨抜きにして自分たちのものにしてきました。

例えば、鈴木正三は仏教すなわち農業と言い、それにより農民は救われました。しかし、本来的な仏教の形はそこではなくなりました。理想的な部分だけ取り込み他は捨てる、古来からの翻訳創造文化なのです。

ともすれば本質を失った形骸化、意図が翻った導入、その都合のよい解釈に基づく前提づくり(「空気」づくり)になりかねません。

その意味でも多様な文化を持つ人たちを、ありのままに認めていくことは、日本にとってはこれまでの「水に溶かして取り込む」ことと一線を画するものになるのだと思います。

今、感じる危機感

危機感というのは、今の「コロナに対して」、あるいは「それに対する様々な動向に関する直接的な物事」についてではありません。

僕は企業人事なので、組織を見る時のことをつい考えてしまします。

危機感というのは、過去から変わらずあり続ける「空気」のメカニズムは今なお健在であり、そこに捉われる思考も、変わっていないということです。それが、いま目の前で繰り広げられる日々のニュースの中でまざまざと浮かび上がっています。

社会の縮図である企業の中においても当然、組織の意思決定に至るプロセスは「空気」に支配されている。そういう意味で、「空気」を打破するための越境者=多様性を多く取り込んでいくことはやはり必然であり、必須であると強く感じます。

特に日系大手企業が同様に陥っている「Homogeneity(同質性)」は、今後の企業存続における最大のイシューになると考えています。

心配の本質の学びは深い

当然、こんなところで書ききれるわけはないのですが、どの部分を切り取っても学びが深い書籍です。

・AppleのThink differentの話
・日本をとりまく「何かの力」
・忠と孝
・空気と水では未来を描けない話

などなど、なるほどなーと思うことが全てのページにあるように感じますので、多くの方にお読みいただきたいなと率直に思います。

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