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【まいにち短編】#6 記憶は彼方に

「あれ、夏帆?久しぶり!」

地元の本屋で買い物をしていると、突然声をかけられた。
1年ぶりの帰省だし、小さな街だからこういうことは珍しくはない。
しかし、声をかけてきた彼女の顔を見ても、「久しぶり」と言われる所以が思い当たらなかった。

誰だっけ。全然まったくこれっぽっちも思い出せない。
名前が一致しているあたり、私を私だと認識して声をかけてきているだろうから
知り合いか、友人かなのは確かだろう。

「う、うん!久しぶりだね。元気だった?」
とりあえず、話をしてみよう。思い出すことがあるかもしれない。

「まあ、ずっと地元にいるしねー、大して変わったこともないよ。そっちは?東京だっけ?」
「うん。大学そっちのけで、ずっとバイトしてるよ」
「ふふっ。夏帆らしいね」

私が東京の大学に進学したことを知っている…ということは、
高校が一緒だった子なのだろうか。しかし、10年20年どころではなくほんの2年前のことすら思い出せないとは…。

「そういえば、菜月。彼氏と同棲するんだって?こっちまで噂回ってきたよ!あの菜月がねー、びっくりしちゃった」

菜月…、なつき…、ナツキ…、NATSUKI…。彼女はいったい誰の話をしているのだろう。

「へ、へー。そうなんだー。ははは…」
「えっ、知らなかったの?あんなに仲良かったのに。
まあ、大学も2年になると、どんどん疎遠にもなってくよねー。私もみんなとあんまり連絡取ってないし。
去年の年末に集まったのが最後かなー。」

彼女が話を進める間、小さい頭を巡らせてみたが、”菜月”さんに関わる記憶はどうにも思い出せなかった。
もちろん名前がわからない、目の前にいる彼女のこともだ。

「そっかー。こっちも同じ感じかな。帰省したもの1年ぶりだしねー。」
「あれ?今年の春に帰ってきてなかったっけ?この前たまたま愛理に会った時に言ってたような気がするんだけど…」

最後に帰省したのは確かに去年の夏だ。
いよいよもって、怖くなってきた。私はおかしくなってしまったのだろうか。
しかし、紛れもなくここは地元で、昨日実家に帰ってきたときに両親とも一年ぶりだという話をしたし、
彼女の口から出てきた”愛理”という人物は、私の高校の頃の親友で、地元の友達の中では頻繁に連絡を取っている。

虚構と現実がまぜこぜになっている世界にでも来てしまったのだろうか?
目の前にいる彼女に気づかれないように腕をつねってみると、痛みが走ったのでどうやら夢ではないらしい。

「いや、1年ぶりだよー。愛理が勘違いしているんじゃないかな?」
「あーそうかもねー。愛理って、ちょっと抜けてるとこあるし」

確かに、愛理は抜けているところがあった。
やはり私が目の前の彼女のことと、”菜月"さんのことを思い出せないだけ、なのだろう。

私は思い出すのに必死だったし、彼女も何を話していいかわからないのだろう。
ちょっと間が空いてしまった。会話をしたいけれども、何が共通点がわからないので、下手に話も降ることができない。
もう無理だ。お手上げだ。しょうがない、正直にいこう。それがきっと誠意だ。

「あの……、本当に申し訳ないのだけれども…」
「ん?」
「えっと…」
「何、どうしたの。夏帆らしくもない」

私らしい、とはなんだろう。彼女は私の何を知っているのだろう。
彼女のことを、私は何も知らないのに。

「あの、ごめんなさい。私、あなたのことが思い出せなくって…」「……………。」

返答が返ってこない。ちらっと、彼女の顔を見て後悔をした。顔を見たことに。正直に言ってしまったことに。

彼女は、とてもとても、傷ついた顔で、悲しそうな顔で私を凝視していた。

「そ…、そっか…。そう、だよね…。あはは、ごめんね…」

それだけ言って、彼女は走ってどこかに行ってしまった。


彼女のことは、愛理にでも聞けばきっと思い出すのだろう。
でも、ここですぐに彼女のことを、彼女と過ごしたであろう時間を忘れてしまっていた事実に変わりはない。

私は、とんでもない酷いことをしてしまったんだろう。いや、現在進行形でしてしまっているのだ。
彼女にとって、私との時間は、記憶は、きっとかけがいのないものだったのだろう。
でも私は忘れてしまった。気づかないうちに記憶を取捨選択をして、そして捨ててしまった。

他にも忘れて、捨ててしまったことはきっとたくさんあるのだろう。
現に、菜月という人物のことも、捨ててしまったようだ。

もし、過去に戻れるのなら…という考えをして、すぐにやめた。
もしものことなんてしてもしょうがない。

きっと、今日のこともすぐに私は忘れてしまうのだろう。

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