見出し画像

祝サブスク解禁!ザ・ルースターズ〜Let‘s Steady Again

 日本のロックファンの多くが望んでいた(はずの、違ったらごめんなさい)ザ・ルースターズの楽曲がサブスク解禁されました。
ここまで至る道のりを考えたら、メチャクチャありがたい知らせなわけですよ。
まー、それはともかくザ・ルースターズについて思いつくことを書いていきたいと考えてます。
じゃ、行ってみよー。

・サンハウス、シーナ&ロケッツ、ルースターズ周辺の(私所有の一部)CDコレクション

 ザ・ルースターズがデビューするきっかけのひとつは雑誌「ロック・ステディ」主催のオーディション「ステディ・ロック・ファンクション」にエントリーして、入賞したことを挙げられます。
「ロック・ステディ」は私が調べている雑誌「ミュージックステディ」の前身に当たる雑誌ですね。
「ステディ・ロック・ファンクション」はどうやら1回のみの開催だったようですが、このコンテストにはザ・ルースターズの他にザ・モッズ(naoto_motonagaさんのご指摘で、ライヴ自体には出演していないことを誌面で確認しました、コンテストには入賞していますが)、フィルムス、ホット・ランディングが出場しています。
ザ・モッズやフィルムスについてはご存知の方が多いと思いますので、説明しませんが、ホット・ランディングについては説明が必要ですよね。
ホット・ランディングはムーンライダーズの弟分という位置付けがありまして、白井良明さんがムーンライダーズ加入前にお手並み拝見ということで加入したことが知られていますね。
その縁で、ナイアガラレーベルがコロムビア時代の大滝詠一さんに紹介され、サポートをメンバーの中から担当することになります。
多羅尾伴内楽團や『ナイアガラ・カレンダー』などに光永巌さんや上田雅人(メリー上田名義もあり、後にライオンメリーを名乗る)さんが参加しています。
その後、ホット・ランディングはテクノ・ニューウェイブに接近していき、オーディション出場後しばらくしてメトロファルス結成に至るわけなんですねー。

 「ミュージック・ステディ」新生号の特集は「ロックンロールの時代」という記事でして、石井聰亙監督や山田辰夫さんといった映画「狂い咲きサンダーロード・関係者のインタビューが掲載されたり、3号には「爆裂都市」出演のザ・ルースターズとザ・ロッカーズのメンバーのインタビューが掲載されているんですね。
つまり所謂めんたいロックのバンドについて創刊号から取り上げていた上に、サ・モッズとサ・ルースターズに関しては新譜がリリースされる度にインタビューが掲載されています。
メンバーの脱退や加入についてもニュース欄で知ったことが多かった記憶があります。 

 ザ・ルースターズ以外にもミュージック・ステディのもう一つの柱、ムーンライダーズの関連の記事を含めた形でまとめておりますので、興味ある方は覗いてやってください。
しかも、「ミュージック・ステディ」の創刊編集長である市川清師さんは現在でも大江慎也さんやルースターズのメンバー周辺など、それこそ「ステディ・ロック・ファンクション」に出場したバンドについての記事を書き続けています。
そのことに敬意を表して、「Let‘s Steady Again」としたわけなんですよ。ハイ。

 しかし、ザ・ルースターズの作品がサブスク解禁されなかった理由やメンバー及び(ほとんどの)関係者に正当な利益がもたらされなかった事実についてここでは具体的に触れませんが、存在したことには触れるべきでしょうね。

 水道橋博士、ザ・ルースターズと服をて、三又又三さんとのザ・ルースターズ話をしたのを見て胸熱になったこともこの記事を書く一因になったことを強調して終わります。

 ではまたー。

 

この記事が参加している募集

思い出の曲

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?