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泉谷しげるearly daysの巻その1。

・泉谷しげる「わが奔走」(ロッキング・オン)

 水道橋博士が近いうちに泉谷しげるさんとまたまた対談するということなので、この機会に泉谷さん周辺のミュージシャンの流れについて書いてみようと、色々本を引っ張り出してしまったわけだ。
まー、書いている人の視点もあるし、何分時間も経っているから(50年位前の話だぜ)、ちょこちょこ話が食い違ったり、そうじゃないんじゃないの?という点もあるかもしれないけど、そこは自分で調べてほしいわけです。

 泉谷さん視点によると、渋谷のフォーク喫茶「青い森」に出ていたRCサクセションと古井戸はとにかく強力だった、と。
RCの音楽性には勿論だけど、客いじりというか、「スポーティーに客に毒づく」スタイルに影響を受けたのが泉谷さんだったとも。
古井戸の加奈崎芳太郎さんのヴォーカルと仲井戸麗市さんのギターに惹かれて、「どの誰よりも盛り上がった」という自負を持っていたとか。
泉谷さんは「青い森」のオーディションを受けて合格してからも、RCや古井戸の熱心なファンであり続けたのでした。
 忌野さんの視点だと、泉谷さんはだれよりもうるさい客で、ある日突然ステージに泉谷さんが立っていてビックリしたそうです。

 忌野さんと仲井戸さんの出会いも「青い森」でのことで、バレンタインでもらったチョコを仲井戸さんが忌野さんにあげたことから始まり、お互いの家を行き来するようになったそうです。
二人とも将来一緒に何かをやることを予感していたように、数冊の本のエピソードの中から思ってしまった私です。

 「青い森」に出演していくうちにRC、古井戸、泉谷さんが出演する企画イベント「奇人変人大会」(!)が開かれるようになったとか。

 古井戸のテープをエレックに送った泉谷さんは、自らはプロモーターになるという目標ができたのですが、古井戸のテープに消し忘れた泉谷さんの作品が入っていて、これは誰だ?こっちを出したいとなったんですね。

 それでエレックにいた吉田拓郎さんと泉谷さんが出会ったわけです。
吉田拓郎(よしだたくろう)さんがエレックで発売した作品はシングルが「イメージの詩/マークⅡ」、「青春の詩」にアルバム『青春の詩』、『人間なんて』とライヴ・アルバム『よしだたくろうオン・ステージともだち』など、爆発的に売れました。
そして、泉谷さんのキャラクターを面白がった拓郎さんは、コンサートのゲストとして出演したこともあったようです。
 付け加えますと、拓郎さんとはオフ・コースのデビュー当時、小田和正さんがギターの弦を切って困っていたところ助けてくれたのが拓郎さんで、それ以来拓郎さんに対しては好印象のみだったと伝えられています。

 泉谷さんのプロデューサー感覚は古井戸を売り出そうとした以外にも、九州にツアーで行った際、海援隊に上京を促したということに表れていますね。

・なぎら健壱「日本フォーク私的大全」(ちくま文庫)

 この本のなぎらさんと様々なフォーク・シンガーとのエピソードがとにかく強力。
吉田拓郎さん、井上陽水さん、泉谷しげるさん(海援隊に上京を促したという話はここから)にRCサクセションなどについてかなり詳細に書かれています。なぎらさんしか書き得ない文章というのが何より素晴らしい。
解説は故黒沢進さん。

 拓郎さんと泉谷さんが音楽を続けていく上で重要な出会いがあります。
拓郎さんの代表曲のひとつ「結婚しようよ」と泉谷さんのアルバム『春夏秋冬』を編曲(実質的プロデュース)した加藤和彦さんです。
泉谷さんによると「音をキラキラさせることに関しては抜きん出ていた」とのことです。

 特に泉谷さんに関しては1980年前後の『80のバラッド』や『都会のランナー』、1998年『私には夢がある』など、ところどころで名作と呼ばれる作品をプロデュースしています。
拓郎さんとは「結婚しようよ」で優れた(当時の若手)ミュージシャンとの出会いをコーディネートしたことが一番ではないでしょうか。
加藤さんプロデュースの拓郎さんのアルバム1986年発売『サマルカンド・ブルー』は拓郎さんにとって納得できる作品ではなかったことはちょっと残念ですね。

 一方、RCサクセションはホリプロダクションに入り、ザ・モップスや井上陽水さんとのツアーで全国を回ることになります。
これもまた重要な出会いになりますが、続きはまた明日にでも。お楽しみに。

 ではまたー。

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