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読書日記~牧村憲一「『ヒットソング』の作りかた」編。

 牧村憲一さんといえば連想してしまうアーティストがあまりにも多くて、どう説明したらいいのか考えてしまう私です。
フリッパーズ・ギターや竹内まりやさんのデビューについて尽力された方であるのはもちろん、ここを頻繁に覗くような方々には加藤和彦さんのいわゆるヨーロッパ三部作や六文銭のスタッフだった方と説明すればいいのかな?
個人的にはテイチク・レコード内に設立されたノン・スタンダード・レーベルでのエピソードが印象に残っていますね。

 牧村さんの功績をまとめたのがこの本で、日本のロック、ポップスのある流れの中での重要人物だと言えるはずです。 

・牧村憲一「『ヒットソング』の作りかた」(NHK出版新書)

 牧村さんは六文銭のマネージャーを経て、1973年からONアソシエイツ音楽出版でCM音楽のディレクターとなるわけです。
ちなみにONアソシエイツを創立した大森昭男さんも日本のロック、ポップスの重要人物の一人なので、大森さんについて書かれた本も近いうちに取り上げる予定です。

 ちなみに1973年といえばはっぴいえんどの解散ライヴが行われて、そこではそれぞれのメンバーが新しい方向を指し示しました。
細野晴臣さんと鈴木茂さんはキャラメル・ママを結成しライヴを行い、大瀧詠一さんはココナツ・バンクやシュガー・ベイブのメンバー、シンガーズ・スリーを従えてサイダーのCM曲などを披露し、松本隆さんは新バンドムーンライダーズで出演しています。
このムーンライダーズは現在活動しているムーンライダーズと重複しているメンバーは鈴木博文さんのみで、名付け親である鈴木慶一さんが率いるバンドがアグネス・チャンのサポートをする際にあの名前を使えないか?と松本隆さんや矢野誠さんの了解を取って、ムーンライダーズを名乗ることになったわけです。

 1970年代からCM音楽に日本のロック、ポップスのミュージシャンが頻繁に使われるようになったのは、牧村さんと大森さんの功績が大きいわけなのです。
ただ強調しておきたいのは、CM音楽を担当したミュージシャンの方々が全て順調だったわけではなく、苦難の時期もあってから現在の状況になったことですよ。
この本にはそういった時期にも触れていますから、できればその部分を見逃さないようにすべきです。

 ロフト・セッションズからの竹内まりやさん(『ロフト・セッションズ』で竹内まりやをサポートしたのはムーンライダーズとセンチメンタル・シティ・ロマンスという事実)、(シュガー・ベイブを経ての)大貫妙子さん、加藤和彦さん、忌野清志郎さんに伊武雅刀さんについてのエピソードはかなり興味深いものになってますね。

 この本ではほぼ触れていませんが、ノン・スタンダード・レーベルからデビューしたのはピチカート・ファイヴだったりアーバン・ダンスで、再デビューしたShi-Shonen、YENレーベルから移籍したコシミハルさんと現在ではメチャクチャ強力な顔ぶれなのですが、当時は商業的に成功せずにレーベルは閉鎖されたのでした。

 牧村さんはポリスターで、フリッパーズ・ギター~トラットリア・レーベルを担当したというのがまた素晴らしい。
近年、牧村さんのツイートを拝見すると、かつての仕事をアーカイブすることが重要なことになっていて、今月発売される大瀧詠一さん『乗合馬車』についての予告めいたことがあとがきで触れられていますから、その辺に興味ある方々は是非読み直すべきでしょう。

 今回、牧村さんの本を他にも読み直して、それらについても触れてみたくなってしまいましたから、もう少しお待ちください。

 ではまたー。

 

 

 

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