短編:【思考する時、人は上を向く】
いつ誰に聞いたのか。
何かで観たのか。
『上を見れば果てしない。下を見たらキリがない』
たしか上を目指して自分なりに今を頑張れ、そんな言葉だったか。下を見て努力を怠るなという戒めだったような、そんな格言だった気もする。
近頃の鯉のぼりは、屋根より高いことはあまりない。川沿いで大量に吊るしていることもあるが、風が強い日にはくるくると紐に絡まってしまい、あまり美しくない。外国人観光客は珍しい光景だと必死に写真を撮っていたが、個人的にはどう撮影しても風情が感じられず、またそのメッセージ性もない単なる展示には興味が湧かなかった。
「必要か?こんな無駄な行事…」
昨晩、仲間と飲みすぎて、ズキズキする頭を抱えたまま、朝イチのオーディションに向かう。朝イチと言いながら10時から。小さな制作会社の会議室で開かれたその選考会場には、私以外にすでに3名、私を含め4名、同じ時刻に集められているようだ。各々がオーディションシートなる紙に必要事項を記入している最中だった。いつも行うこの儀式にも疑問があった。事前にメールで送られる資料によって、役者の詳細がわかっているのだからオーディション当日、わざわざ現場で書かされる用紙からわかることと言えば、本人の文字が汚く乱暴だと言うことくらいだろうか。事務所からは「マイナーな商業映画のちょい役で、セリフがアリやナシやというレベルだから、まあ気楽に行って欲しい。人数合せだから…」という、非常に戦意を削ぐ内容の連絡が入っていた。
「人数合せって…」
私以外の参加者も、特に何かを準備している様子もなく、記入を終えた人はスマホでゲームをしながら待っていたりと慣れたものだった。私もとりあえずオーディションシートに記入する。所属事務所、名前、年齢…一通り書き終えて、スマホで時間を確認すると9時55分。少しでも酔い覚ましにと持って来たペットボトルの水を飲んで待つ。隣に座る男性は、文庫本を読んでいた。恐縮しつつ声をかけてみる。
「あの…事務所から、どんなオーディションだか聞いています?」
「あ、いえ。私は劇団に所属なんですけど…」
そう言って、書き終えたオーディションシートを見せてくれた。
「エキストラに毛の生えた程度みたいだから、まあ適当に宜しく、と言われて来まして…」
「そうですか。同じような感じですね…」
ふたり静かに笑ってしまう。想像以上に緩い募集であることは理解できた。
「なんかオーディションって、お見合いみたいですよね。先方は我々の顔や経歴がわかっているけど、会って話をしないと決まらないみたいな…」
面白いことを考える人だと感心させられる。
「まぁお見合いだとしたら何度断られたことか…」
「私もです、立ち直れないくらいですよ」
その気持ちが昨夜の深酒に関係するのだが。
「ではお待たせ致しました。オーディションを始めます。4名一緒にお入りください」
時間通り10時になると制作進行の方だろうか、若い男性から部屋に入るように指示がある。待合室から考えると、その倍程度の会議室に通された。椅子が4脚。対面した所に男性2名、女性1名。明らかに監督であろう人物が右側、真ん中にプロデューサー的な男性、左側にパソコンを打つ女性という布陣である。そして呼びに来た制作の方だろう。後ろにある三脚に立てられた家庭用カメラを回し始まる。
「それでは…」
声を出したのは、右側でパソコンをいじる女性であった。
「所属とお名前、自己PRをお願いします」
右の方から、と手をかざして促した。順番に所属と名前、簡単な出演歴などをアピールする。困ってしまうのが、何の映画でどんな役かもわからない場合の自己PRである。何を言えば良いのか皆目見当もつかない。4名一巡目が終わろうとしていた。その間中、女性はこちらを見ることもなくパソコンを打っていた。プロデューサー風の男性は興味あるような表情でずっと一人ひとりを見ており、最初に監督風と感じた人物はデスクにある紙に何かを書いているようだった。
「ありがとうございます。今回お願いしたい役柄は、ラーメン屋の店主です。もともとサラリーマンで営業をしていて、人員削減でラーメン屋で働いて3年で店主という設定になります。そんな人物像をそれぞれ即興で演じて頂けますか?」
女性は私がお客をやりますので、と一切こちらを見ることなく進行している。先程と同じように、右の方からと手をかざす。
「へい!らっしゃい!」
一番右の先程本を読んでいた劇団員の男性は、立ち上がりすぐに麺の湯切りをしてみせる。
「お客さん、1名さん?すぐ片しますから、少々お待ち下さい!」
彼の前にカウンター席が見える。繁盛店。しかしカウンターの中には自分しかいない店なのだろうか。
「オススメは何ですか?」
女性が下を向いたまま声を出す。食券ではない申告制なのか。
「ウチは味噌が売りです!」
「じゃあ味噌。それと…生ビール1杯ください」
なんだかストーリーが続いている。
「ハイ!生ビール一丁!」
あ、奥にもうひとりいる設定なのか…。
「ハイ!お疲れ様です!営業の方ですか?」
「え?あ、ハイ…」
「スーツ着ているから…」
パソコン女性はスーツなど来ていない。パーカーでメガネをかけ、ずっと下のモニターを見ている。叩きの台本など用意されていないし、打合せしたワケでもない。
「そうなんです。隣町の担当となったんですが、なかなか上手く行かなくて…」
「でもちゃんと気を使って、隣町まで来てからビールを飲んでいるのは偉いですね!営業担当の町で飲んでいたら、誰に見られているかわからないから…」
「あ…詳しいですね」
「まあ、私も元々営業の仕事をしていましたから…」
「ハイ!カットです。ありがとうございます」
何を見たのだろう。台本もない即興劇なのに自然の流れで「営業をしていた人間」を引き出していた。こういう時に困ってしまう。数名が一緒にオーディションを受ける時に、最初の参加者がある程度の正解を導いてしまうと、実力の無い人間は、それを手本に真似てしまう傾向にある。案の定次に演じたゲームの彼は、同じような芝居をしていた。さて私はどうしようか。少し斜め上を見て思考を巡らす。
「では4番目の方」
「ハイ…」
私は立ち上がらなかった。足を組み新聞を読んでいる芝居をする。黙っているとパソコン女性がしびれを切らす。
「あの…いいですか?」
「いらっしゃい。どうぞ」
ガラガラの店内。どこでもどうぞ、と手をかざす。
「あの…ラーメン…」
カウンターからグラスを出す芝居。
「…」
黙々と無口で芝居をする。
「ハイ…ありがとうございます…今の芝居はどういう狙いが…?」
パソコン女性がはじめて顔を上げて私の顔を見ている。睨んでいると言っても良い。
「ハイ。彼は元々営業マンだったのですが、リストラされています。何故なら営業のくせに無愛想だったのです。人の気持ちを考えて率先して言葉をかけたりしない。そんな男のラーメン屋を演じてみました」
真ん中に座るプロデューサー風の男は「なるほど!」と笑っている。
「イイじゃないですか!」
右手の監督風男性も初めて声を出す。
「ありがとうございます」
「では後日、結果をお知らせ致します。宜しくお願い致します」
女性がそう言うと、後ろでカメラを回していた男性が控室の方へ誘導する。部屋を出るタイミングで男性に聞いてみた。
「すいません、いまの3名…」
「あ、女性は脚本です。とは言え自主映画に毛が生えたような作品ですので、彼女も出演者です。今回で3本目かな?女優兼任ですね」
「ハハ…なるほど」
下ばかり向いて無愛想にタイピングはしていたが、なるほど確かに魅力的な女性だったように思える。
「奥の男性は、今回の監督です。彼女の脚本を尊重していて、サポート的にアドバイスして頂いています。なにせ予算が無いので…」
「そうですか。真ん中がプロデューサー?」
「ん〜彼も出演者です。主演では無いですが、プロデューサー兼任ですけど…オーディションなんてやれる予算も無いのですが、いまある台本で、どなたがハマるのか知りたかった、というのが本音でしょうね…」
「そういうことですか…」
「細かい設定はまだお伝えできませんが、ラーメン屋が主役です。というか、今日の皆さんを見て、インスピレーションもらって、細かい設定が変わるかも知れませんけれど…」
彼はそう言って笑っていた。控室では、今度は女性が3名待っていた。我々と同様にオーディションシートを記入している。
10時からのオーディションは30分で終わっていた。建物を出ると外は心地の良い風が吹いていた。見上げると鯉のぼりが揺れていた。
「みんな必死に泳いでいるんだよ…」
役者だけじゃない。脚本も、監督も。画きたい世界観の中で、何がリアルで伝わるのか。予算があるとかメジャーだとか、そこは一切関係ない。もらった言葉とヒントで表現できることを互い必死に考え、ぶつけ合い、答え合わせをする作業。それが創作するということなのだから。
後日郵送された台本の、ラーメン屋役は私では無かった。舞台は変わらないが、そもそもラーメン屋が主役では無くなっていた。そこに集う様々な客の人間ドラマ・群像劇に変わったようで、私の名前も、本を読んでいた劇団員の彼の名前も書いてあった。
「なるほど」
オーディションシートを見ていたおかげで彼の名前を覚えていた。すべての儀式は無駄では無いと、はじめて実感することとなった。
「つづく」 作:スエナガ
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