我慢・抑圧させないことがメンバーのパフォーマンスを向上させる
今年度も二ヶ月ほどが経過し、多くの企業では4月から入社した新人も仕事を少しずつ覚えて慣れてきた頃だったり、研修を通じてなんとなくわかってきたという人も増えてきたころかもしれません。
中には新しい仕事に違和感を覚えている人もいるでしょう。
「なんか思ってたのと違うぞ」と考えてる人もいるかもしれません。
上司や先輩にそんな思いを打ち明けてもおそらく返ってくるのは、
「まぁ、そういわずに」
「辛抱しろ」
「あきらめるな」
「がんばれ」
というフレーズです。
さらにちょっとブラックな組織であれば
「文句を言うな」
「お前だけじゃない」
「みんながんばっている」
という言葉が加わることも多いと言われています。
また、こうした部下が抱える不平や不満、ストレスに対して上司が発するセリフとして改善できる権限がない領域の課題に対して
「すまんなぁ、それは俺の力でもどうすることもできないわ」
「一応、上に掛け合うだけ掛け合って見るけどダメだったら諦めるしかないなぁ」
と言われることはあるかもしれません。
ですが「諦める」必要なんてありません。少なくとも自分の人生と企業への貢献を天秤にかけたとき、企業への貢献のほうが重いなんてことがあっていいはずがありませんし、そもそも天秤にかけるべきではありません。もっと自分の人生を大切にした方がいいでしょう。
私もよく言われてきたフレーズがありますが、そう言えば私自身は過去部下を持っていた時期でも一度も使ったことがありません。改善できることなら改善してやった方がより部下のパフォーマンスが向上する可能性があるからです。
可能性があるのにしないなんて、勿体ないじゃないですか。
内容にもよりますが、会社として改善検討すべきだと思えば会社に掛け合いましたし、それで会社が事務的に検討しようともしないのならむしろ転職をオススメしたりもしていました。
雇用契約は個人と企業との対等な契約ですからね。
現状の業務に支障をきたすでもなく
内容に妥当性があって
ルールとの乖離があったとしてもルール側を見直す価値がある
場合であればいくらでも改善していけばいいわけですから、それをしようとせず従業員満足度を犠牲にしてまで企業が我を通そうというのであれば、そこで働き続けることで不平や不満を抱え続けさせるのは可哀想です。
もちろん不当な理由もなく、上記条件を満たせないような場合であればそれは却下してもいいと思いますが、まずはそういったことをしっかりと把握すべきなのです。
仮に上司である自分自身がそこまで不平や不満を持っていなかったとしても相談を持ち掛けてきた部下にとっては一大事なことかもしれませんから、あまりにも我慢できないようであれば「がんばれ」とは言いませんし、むしろ強く転職をオススメしました。
精神疾患者や休職者を生み出しても企業に特はありませんし、無理に我慢させ続けてそれが爆発したときに転職サイトなどで言いたい放題言われても企業イメージを損ねかねませんしね。そういう企業にとってダメージとなりかねない将来を見据えても、
従業者に不当な我慢はさせない
というのは至極当然の対処ではないかと思うのです。少なくとも、事務的に「ルールだから」「前例がないから」という理由を言い訳にしてルール側を改善すべきか否かといった思考すら持とうとしない態度をとるべきではありません。
改善できることなら改善してやった方が、より部下のパフォーマンスが向上する可能性があります。口コミなどによってほかの従業員までやる気が上がったり、ひょっとしたら外部の優秀な子を連れてくる可能性があるのにしないなんて勿体ないじゃないですか。
「三日三月三年」
「三日坊主」
「石の上にも三年」
「耐えて努力すれば成果が出る、一人前になれる」という意味で使われることが多い教訓ですし、私自身もいままで「最低5年は…」「何かしら得るものを得てから…」と我慢し続けてきました。
実際4度転職していますが、そのどれもが最低3年以上勤めています。
平均残業時間が100hを超えていたり、何度も死にかけたり、その割にビックリするほど給与が少なかったりしたこともありますが、最低でも3年以上は耐え抜きました。
しかし、これは何の参考にもなりません。
結局、50歳を目前として残ったものの中には「後悔」も含まれています。私は後悔をあまりしない人間ですが、そんな私の数少ない後悔の1つだったりします。確かに、安い賃金や待遇の悪い環境などのなかでも、自分なりに過酷な中でも吸収する姿勢を貫いてきたことで様々な知識やスキルを得ましたし、達観できたものも数多くあります。けれどもそれと引き換えに30~40代はとても灰色の人生だったと、今振り返ってみれば思えるからです(思い出すと吐きそうになるくらいトラウマだった仕事以外、思い出せない年代もあります)。
果たして「三日三月三年」歯を食いしばって努力し続けることは、企業が持続的成長を実現するためにあるべき姿といえるのでしょうか。
社員がいるから、企業は成立します。
部署は臓器、社員は細胞のようなものです。
では、その細胞が疲弊しストレスを溜め、壊死しているような状態で、本当に企業は成立するのでしょうか。私には我慢を強制することが正しいとは思えません。我慢を強いると言うことは、我慢している人にとって何かしら現状に問題があると言うことです。
問題が無ければ、ストレスを溜めません。
自分自身で問題を解決できる裁量や力量があれば、ストレスは溜まりません。
そうした事情のなかで一方的に我慢を強いるだけでは現状が好転することは決してなく、現状改善できない以上は個人が成長することもなく、ひいては企業の成長も限界的となります。
仕事をしていて違和感を覚えたり、苦痛を感じたりしてもたいていのビジネスパーソンは
それは「感じてはいけないこと」
と思い、無理にでも我慢しようとします。部下が仕事に違和感を覚えて申告してくることは望ましくないと思う上司は多く、部下の申し出を否定して現状改善しようとせず、部下に忍耐を強要してしまうことが非常に多いのです。
しかし、それが間違いの元です。
なぜなら従業員の『違和感』や『抵抗感』にこそ、
仕事の仕方や進め方を改善するためのヒント
があるからです。
むしろ、部下が申し出てきたら決して否定せずに逆に歓迎して、どのやり方が気になるのか、何のプロセスに抵抗感があるのか見極めることが大事だと気づかなくてはなりません。
このように話してしまうと、
「部下よりも経験豊富な上司の方が内容やプロセスを分かっているので、上司が判断して指示すればよい」「部下は甘えて言っているだけなので、それを聞いてしまうとマネジメントができない」
という上司からの反応も多いかも知れません。
しかし、すべてがすべて本当にそうなのでしょうか。きちんと一つひとつの事例に対して吟味したうえで、誰が聞いても同じ結論を見いだせるほど正しい選択をしているのでしょうか。
一昔前に一世風靡した番組「踊る大捜査線」の劇場版で一躍有名なったセリフ。
「事件は会議室で起きてるんじゃない!現場で起きてるんだ!」
この名言に当時共感した人も多かったはず。
中には、自ら口ずさんだ人もいることでしょう。
なぜ、当時、そこまでの共感を得たのか。
その言葉に、真実が含まれているからです。
いつの時代も現場(実務)に一番近い人が一番身近に"問題"や"課題"と触れ合っています。その仕事に直面して手足を動かしているのはその部下本人です。三現主義(または五ゲン主義)を引用するまでもなくこの事実が変わることは絶対にありません。
この問題や課題に対して直に触れあっていない人間に、全く同じ問題意識や課題意識を感じさせるのは非常に困難なはずです。
その"問題"や"課題"に違和感を感じ、申し出てくる部下以上に、現場を離れてすでに最前線での活躍も忘れて久しい上司の言うことの方が常に正しい…と自信を持って言える上司はいったいどのくらい存在しているでしょう。
現に仕事をしている部下が違和感や抵抗感を覚えているのだから、それを直視しないで何がどう解決すると言うのでしょう。
違和感や抵抗感を聞いてその一つひとつを解決し、部下の仕事をしやすい環境を作ってやることこそ、それをふまえたリーダーシップを発揮することができ、部下を巻き込めることを忘れているのではないでしょうか。
もちろん、経験則の差で部下の申し出が他愛のないことだったりするケースもあります。上司が一言二言アドアイスするだけで解決するようなものもあるでしょう。
しかし、どんな内容であっても部下にとっては常に"問題"は"問題"でしかなく、"課題"は"課題"でしかないのです。それを自分の価値観頼みで部下に「我慢させる」と言う形で解決を図ろうとすることは、より部下のパフォーマンスを落とさせるということを確信犯的に行うものであり、道理に合わない判断なのは明白です。
今までの多くの現場、多くの案件で、多くの人の自己都合によって多くの我慢を強要させられてきた私自身の経験をふまえると、違和感や抵抗感を覚えるケースは、
仕事をする際のモチベーションファクター(意欲が高まる要素)と
自分の自然体のモチベーションファクターにギャップがある
ケースがほとんどであったと言えます。
モチベーションファクターを牽引志向と調和志向に分けて考えてみてください。
肉食系と草食系、狩猟型と農耕型と捉えればイメージを持ちやすいかもしれません。
たとえば、周囲の意見をよく聞き、リスクを最小限にしていくことで意欲が高まる調和志向の人が、他の部署の意見は聞かず独自の考えでリスクを怖がらずにチャレンジしなければならなくなったら、おそらくはストレスを覚えて違和感や抵抗感を覚えるのは目に浮かぶでしょう。
私の場合は、
『常により良い方向へ、常に変化し続ける』
『どんな些細なことでも昨日と同じではいられない』
『もっと改善できるところはないか』
『世の中に完璧も100%もあり得ない』
『ゼロから生み出すのは無理でも、既存のモノから本歌取りしてもっと良いものへ』
と言う自身のモチベーションファクターがあり、それに対してたいした理由もなく「変化しない」「行動しない」「足を引っ張る」人や環境は、アクセルを全開でふかしているのに同時にブレーキをベタ踏みされているような状態で、非常に大きな心的負担となります。
そして、仕事と自分のモチベーションファクターにギャップを感じたら、
自分のモチベーションファクターの発揮の仕方を変える
仕事のモチベーションファクターに合致している人と組む
担当する仕事を変える
といった手段を講ずるしかありません。放っておくとメンタルに大きな傷を残し、場合によっては精神疾患にまで発展しかねないからです。それを企業が放置するのももちろんダメですし、社員個人がそれを受容する必要もありません。当然ながら、企業が何一つ環境を変えないくせに、とにかく従業員をその場で拘束し続けようとするのもダメです。
『適材適所』とは、決して能力的な素養と仕事の内容をマッチングさせると言う意味ではなく、"仕事と自分のモチベーションファクターを一致させる"という意味でも同様のことが求められます。
「三日三月三年」と言うのは、モチベーションファクターの不一致によって、
「部下やメンバーに、我慢(ストレス)を強いてはいないか?」
「今の制度や仕組みが社員を傷つけていたりはしないか?」
を見極めるために適切な期間として設けられているのだと考えましょう。
最短三日となりますが「たった三日で…」なんて思わないほうがいいかもしれませんよ。なぜなら
という言葉が残されているように、たった三日あれば何か変化を感じ取ることが可能なものは存在するのですから。
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