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【超解説】 「バットマン」はコスプレした太宰治

映画は映像を使った表現方法なので、当然ながら小説を原作にしたものが多い。作り手は文字を読んで育ってきたからだ。そこでよく引用される小説が「白鯨」と「闇の奥」だというnoteは既に書いた。というのも、20世紀以前にアメリカで優れた文学はほとんど生まれていない。ピューリタンの強い影響を受けて建国された国なので、今日の印象からすると意外かもしれないが、もともとアメリカの本流はいわゆる”お堅い”国だったのだ。道徳や倫理に関して融通が利かず、「ハックルベリー・フィンの冒険」は全米の各地で”無教養”だと禁書にされたほどだ。
ところが、口語体でアメリカ社会を批判する「ハックルベリー・フィンの冒険」は、若者を中心に受けた。いつでも世を変えるのは若者である。これ以来、アメリカには”ハック”のような語り手がたくさん生まれ、小説あるいは映画に大きな影響を与えた。つまり、世の中で大きな顔をしている価値観や、大人たちが”こうあるべきだ”と捉えている姿勢に従わない主人公である。これがアンチヒーローと後に呼ばれることになる。
つまり、大雑把に言っても、厳密に言っても、バットマンはヒーローである。ゴッサム・シティで富豪として暮らしつつ、悪党をやっつける生活を送っているブルース・ウェインは、あくまでも善良な市民であり、大人や子供が助けを求めてくる男だ。言うなれば”陰キャのアンパンマン”である。しかしこれだけではストーリーが広がらない上に大人が楽しめないので、とにかくブッとんだ敵役すなわちジョーカーの役割が大きくなる。
では、ジョーカーはアンチヒーローかというと、それも適切ではない。以前のnoteで記したように、ジョーカーは言わば”キマッてるばいきんマン”であり、バットマンありきの存在である。価値観や道徳などから超越した、善悪の彼岸だ。「バットマン」シリーズはジョーカーがいなければ、チート性能のコスプレ野郎がただ悪党を殴っているだけの話になってしまう。また、ジョーカーはバットマンがいなければ一夜にしてゴッサム・シティを支配して一件落着である。この両者の関係は、コインに表と裏が同時に存在することと同じだ。
さて、ロバート・パティンソンを主演にしてバットマンシリーズは再びリブートしたが、2022年の「THE BATMANーザ・バットマンー」を観ても、とにかく画面よりもブルースの性格の方が暗い。これは幼い頃に両親を殺された経験があるという設定よりも、本人の生まれ持っての気質だろう。そのくせ富豪で社会的地位が高いのだから、バットマンというより太宰治マンである。
ところで、今回のリブートによってキャットウーマンはゾーイ・クラヴィッツが演じているが、とにかく”小さい”という印象が残った。調べてみると155cmほどである。これまで映画でキャットウーマンを演じたミシェル・ファイファー(171cm)、アン・ハサウェイ(173cm)、ハル・ベリー(165cm)たちの印象が残っているので、しばらく慣れそうにない。背の低い女に”配慮”した配役なのだろうか。僕はキャットウーマンに関しては融通が利かず保守的でお堅い男なので”背が高くないとヤダ!”と申し上げておきたい。

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