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【超解説】 ウホッ やらないか 「グレート・ギャツビー」

「秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず」とは世阿弥が風姿花伝のなかで述べたことだが、これは”芸の道とは秘め事があればこそ素晴らしくなる”ということが本意だ。秘めていることすら悟られてはならないーー。
洋の東西を問わず、ベスト小説ランキング100のような一覧に必ず掲げられる一作が「グレート・ギャツビー」(F・スコット・フィッツジェラルド)だ。”ジャズ・エイジの傑作”や”アメリカ文学の金字塔”などと称賛され、この列島では村上春樹が”最も影響を受けた作品”として自ら翻訳も手がけている。つまり大したことのない作品だと分かる。あらすじを以下に紹介する。

アメリカの片田舎で育ち、イェール大学を卒業してニューヨークの証券会社に勤める30歳目前のニックが語る。隣の家が大邸宅で、禁酒法なのに夜な夜な豪勢なパーティ三昧。ある日、ニックはそのパーティに招かれたものの、館の主、ジェイ・ギャツビーの素性について誰も知らない。ニックはやがてギャツビーと親しくなり、実はギャツビーが長年恋焦がれている女は、ニックの友人の妻デイジーだと知る。ニックが世話役となってギャツビーとデイジーの恋が盛り上がる。その後、ギャツビーとデイジーの乗る車が女を轢き殺す。ギャツビーは「デイジーが運転していたが俺が責任をとる」と言い、デイジーの旦那は「運転していたのはギャツビーだ」と被害者の旦那に語る。大邸宅のプールでギャツビーは被害者の旦那に射殺され、犯人はその場で自決したーー。

名作はあらすじだけを読むと訳の分からないことが多いが、この作品のあらすじは分かりやすい。ただのメロドラマだ。これを”文学村”にお住まいの方々が読むと、”イノセンスがテーマ”と”アメリカンドリームの批判”と”根強く残る階級の差”しか言うことがないらしい。まるでコピペのように、インターネットにはこれらの言い回し(ノイズ)が溢れている。いくら20世紀初頭のアメリカ文学に良いものがあまりないからといって、これらは人気の理由には当たらない。ただのメロドラマだからこそ”誰でもラストまで読める小説”なのだ。
さて、この小説はニックが語り手だが、僕は初めて読んだ時に「こいつはホモだ」と悟った。(はじめに断っておくと、僕はゲイという単語は使わないが同性愛者を全く差別していない。ただ嫌いなだけだ) ところがそのことを三島由紀夫のようにあけすけに描かないので、気付かない人が多いのかもしれない。僕は後になって、フィッツジェラルドは”妻が周囲の人に「あいつはホモ野郎」と罵倒していた”ことや、"ヘミングウェイがわざわざ会いにきてホモ行為に及んだと妻にバラされた"ことを知り、「やっぱりな」と納得した。この小説は最初から最後まで、ニックという登場人物を借りて、フィッツジェラルドのホモ目線を通して見た”男女の恋愛”と”ジャズ・エイジ”なのだ。異性愛の目線ではないことによる違和感を僕は行間から強く感じた。
ニックは劇中でジョーダン・ベイカー(レズのように描かれている)と恋仲になる。「ニックはジョーダンとデキてたのにホモなの?」と思う方は、新宿二丁目の皆様はみんな家庭がないとでも思っているのだろうか。人間の性愛についての考えや社会との関わり方があまりにも稚拙だと言わざるを得ない。
つまり、この小説は、ボーッと読むとメロドラマであり、アメリカ文学の"イノセンス"の系譜に連なり、"根強く残る階級の差"に苦しむギャツビーが"アメリカン・ドリームを結局手にすることができない"姿に憐憫の情を覚えるのかもしれない。
しかしこの作品は、ニックと前半の主要人物であるジョーダンがそれぞれ同性愛者であるかのように描かれていて、そのことによってデイジーを追いかけるギャツビーというストーリーの骨組がどこか少しズレているような、本来の位置から座標変換されたものを見ているような気分にさせる。これが僕の感じた同性愛者の目線だろう。そしてこのことについて、もちろん一言も触れられずに話は終わる。
全てのシーンが座標変換されたようなこの文体が、当時のアメリカをどこか覚めた目線で、遠くから見つめるように記述していると感じさせる原因なのだ。
だいたい、考えてみてほしい。
隣の大邸宅で毎晩パーティをされたら「誰がやっているんだろう」と気になることは分かる。しかし仲良くなってから、年がら年中ギャツビーの家に入り浸り、ギャツビーが好きな女と出会えるように手配してやって、その進展具合も全て間近で把握する、という男のキャラクターが異性愛者だろうか。
フィッツジェラルドは「グレート・ギャツビー」というストーリーの語り手に”そのこと”を語らせなかった。そういう時代だったからだ。だが、隠してもいなかったと思う。少なくとも僕は初見で気付いたことだ。
アメリカ文学の話をするなら、僕はヘミングウェイの著作の方が好きだし、文学としての価値も遙かに高いと思っている。それに、ヘミングウェイの文章の方が男らしい。フィッツジェラルドは女々しい。だから人気になるのだ。
そういえば、冒頭に戻るが、「グレート・ギャツビー」は村上春樹が最も影響を受けた作品だそうだ。へぇ。

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