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『三つ子の魂、百まで』vol.10

子供達との出逢い

我が家には7歳の長男と5歳の長女がいる。お兄ちゃんは気は小さいが優しく気が利く、長女はわんぱくでひょうきん。有り難い事に結婚して直ぐ長男の妊娠が判り、引っ越しのタイミングで悪阻全開であったが妊娠生活は喧騒から遠く離れた山の中でストレスフリーな生活を送り、無事に里帰り出産で産まれた。

長女は山梨生まれの山梨育ち、生粋の山梨っ子である。長女の妊娠を機に山から下りて小さな町に移り住んだ。それでも山梨の清々しい空気と汲みに行ってる良質な湧き水のお陰で大した病気もせずに此処までのびのび成長してくれている。子供たちの成長はとてつもなく早い、余所見してると成長を見逃してしまう、今は仕事から帰ればお父さん!と駆け寄ってきてくれるがそれももう何年もしなうちに変わるだろう、「今の」彼らとの時間をなるべく多く共有したいと思っている。

ぼくのいのち

2011年の福島第一原発放射性物質流出事故を受けて、それまで何の下調べもせず当たり前に衣食住を送っていた事に不安を覚えた。放射性物質とは何か?から住宅建材や食品添加物、農薬や畜産、毛皮産業に至るまで気になる事は自分で調べるようになり、それまでの自分の生活が完全に他人任せで無関心だったのだと反省した。経済至上主義の中では自分もその他大勢の中の一人に過ぎず自分や家族の身は自分で守るしかないと強烈に感じたので、少しでも自給できる暮らしを求めて山梨へやって来た。

我が家の子育て論

山梨へきて初めにしたのが野菜作り。不格好でも汗水流して育てた野菜は身に染みる旨さで目から鱗だった。仕事や子育てしながらの農耕は簡単ではないけど自分達で食べる物を土の段階から手を入れられる安心感はお金では買えないものだ。

自分達が高度成長期の最中に都会で幼少期を過ごした事もあり、子供達には生きていく上での真理や本質、「当たり前」とは何かを感じ取って欲しいという妻との共通理念がある。小さくても畑をやっていることで子供たちは苗を見ただけで野菜を言い当て、近所の田んぼを眺めれば稲がどうやってお米になるかも教えてくれる。

山から沁み出す水で炊いた羽釜のご飯の美味しさや通りすがりの人ほぼ全員が挨拶を交わす光景は僕たち夫婦は山梨へ来て初めて知ったが彼らにとっては当たり前に過ぎない。いつか彼らが大人になり生活に困ったとしても、必要なものは自分で作れる事を知っているだけで価値がある。

親が子供に出来ることは彼らが自立し手を離れた後、彼ら自身が自分の道を自分で決め工夫して生きる術を親である私たちが”今”魅せ続ける事だろう。彼らは既に知っている、教わって学んでいるのは親である私たちの方かも知れない。

つづく

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