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仮想世界として、SNSはどこまで戦えるか【理想の仮想空間#3】

こんにちは、Studio Topitaです!
私たちは理想郷を本気で「想像」「創造」するサークルと称し、毎月テーマを決めて語り合い、議事録をアップロードしています。
ぱっと聞いただけでは「?」かもしれませんので、どうぞ是非、自己紹介をご一読いただきたいです。
(常連さんは、いつもありがとうございます!)

Studio Topia 5月
第2回「仮想世界として、SNSはどこまで戦えるか」

こんにちは、Studio Topiaです。
5月は、メタバースをきっかけに、「理想の仮想世界」について考えています。

今回は、前回に引き続き、現実世界と仮想世界の境界線として「SNS」を取り上げ、その中でも特に「Twitter」に注目して考えてみました。

今後、メタバースが名実ともに存在感を増していく中で、SNSはどのような位置を占めるのか、また、生き残っていくことは可能なのでしょうか。気は早いかもしれませんが、主にTwitter内部の仕組みと、外部メディアとの兼ね合いという観点から考察してみました。

以下、議事録です!

議事録

Twitterの仕組みを再考する
まずは、前回に引き続き、「炎上」や「誹謗中傷」など、 Twitterにおける問題点と、それを引き起こす仕組みについて深掘りするところから始まりました。
「なぜ炎上してしまうのか」という問いが出され、それに対して、「独り言を呟くメディアとして、心の中がそのままTwitter上に反映されてしまうからではないか。他者への批判が荒削りなまま投げ出されたり、他者の言葉をダイレクトに受け取ってしまったりする結果、炎上しやすい」という内容の意見が出されました。 
また、ではなぜ、各種の出来事に対して「独り言」をわざわざ「呟く」のか?という問いに対しては、「Twitterの『トレンド』に触れ、それについて言及すると、あたかも社会と繋がっている気持ちになれるから」という意見が出されました。例えば、自分がものすごく政治について詳しい時、トレンド上に政治関連のトピックがあれば、つい発言して、その話題に関わっておきたい、という思いが生じるということです。すこし斜に構えた見方かもしれませが、世の中の流れに対して、自分の中の意見を形にするという点でも、世の中に投げかけるという点でも、まず一旦呟いてみるという心のあり方が見えるような気がします。

「運営」のあるべき姿とは
さて、そのように「心の中をありのままつぶやいた結果、問題が生じる」となると、対処が非常に難しくなります。理性のブレーキをかけるタイミングが存在しにくいからです。問題の対処法としてよく言われるのは「規制をかける」という、起こってしまったことに対応していく方法です。
今回は、運営、つまりは「Twitter社」が問題に対してどうあるべきか、規制はありなのか、という視点から考えてみました。
まず、「Twitterという一つのアプリであり、特定の会社のサービスである以上、運営が意志を持ってコントロールすることには仕方のない面がある」という、規制に肯定的な意見が出されました。一方で、「Twitterは『自由につぶやける場所』という性格を持ったSNSである。運営による規制は自由を侵害されるような気がして嫌」という意見も出されました。皆さんの多くも感じることかもしれません。
現時点で、Twitter上にはガイドラインがあり、例えば「アカウント凍結」の基準が詳しく示されていたりします。つまり、やってはいけないこと≒法律が明示されており、運営の「規制」にあらかじめ対処することは可能そうです。

しかし、たとえそうであったとしても、一方的に凍結されるのは、「どこか言論統制の感じがする」という意見も。Twitterを「自由な独り言空間」と捉えると、いちいち気にしていたくない、という考えもあるかもしれません。また、SNS、そして今後のメタバース世界において、力の大きい運営側がユーザーに一方的な判断を下すとなると、確かにどこか専制政治、独裁の感じもしてきます。
それを乗り越えるためには、①傷つくことも覚悟で、運営の関与しない無法地帯とする か、②Twitter上に三権分立を作り上げ、運営の影響力を制限する か、どちらかの方法しかないのでは、という意見が出されました。

その他メディアとの兼ね合いを考える;Twitter=世論?
さて、ここまでTwitterの仕組みや、それにまつわる問題点など、サービス内部について目を向けてきました。
会の後半では、Twitterとその他メディアとの関わり方、つまりTwitterの外部についても考えていきました。
出された問いは「トレンドの世論化にどう向き合うか」です。テレビを見ていると、Twitter内で盛り上がっている意見、トレンドが「世論」として扱われていることを目にする、ということ。皆さんも感じたことはありますか?
盛り上がった意見が、きちんと「Twitterの意見」として紹介されるうちは良いものの、人々の総意のように扱われては問題です。本来マスメディア・テレビはSNSを検証したり、問題があれば提起すべき立場といえ、Twitter内で盛り上がっている意見を世論として扱ってしまうのは大分乱暴です。また、サイレントマジョリティーを無視することにも繋がります。

それぞれを活かし合う時代へ
とはいえ、いまはマルチメディアの時代です。あっちこっちで議論が交わされ、それぞれのプラットフォームに特有の意見が存在しています。それをマスメディアが検証したり、批判したり、導いたりする、という話になると、今度はマスメディアの権威性が気になってきます。Twitter世論がマスメディアを検証しているような時もあり、どちらかが優位に立つのが正解ではないような気もしてきます。
であれば、自ずと考えつくのは、それぞれのプラットフォームで盛り上がっている意見同士が戦わされればいい、ということです。
新しいコミュニケーションツールが出るたび、その有用性や、社会への効果が過大に見積もられ、絶対視される雰囲気があります。「これこそ人間の社会を変えるツールだ」という感じです。そして、問題点が生じると、「やっぱりこのツールもダメだった」とがっかりされてしまいがちです。
ですが、本当はどのメディアにも長所と短所があるだけです。Twitter(SNS)もそうですが、1つのベスト・コミュニケーションプラットフォームを求めるのではなく、各種メディアを組み合わせ、戦わせることこそ、今後目指されていく姿なのではないか、とまとまっていきました。

次回に向けて;メタバースに求められるもの
以上、前半はTwitterの仕組みと問題点について、後半は(主にメディアという観点からでしたが)Twitterとその他のコンテンツとの関わりについて考えてみました。
前回は、「人は暮らし方を急には変えられないので、メタバースは現実世界を反映したものになるのではないか」という形で意見がまとまっていました。一方で、今回の最後の話し合いを踏まえると、敢えてまったく新しい世界を作ることで現実世界を活性化させる方向性も示されたように思います。
次回は、これらを踏まえ、いよいよメタバースについて具体的に想像していきます。

編集後記

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

前回に引き続き、「仮想世界としてのSNS」ということで、Twitterについてよく議論されることをスタート地点に、あれこれ考えてみました。
軸やゴール地点を決めずに話し合った会なので、少し話が飛ぶ部分もあったかもしれませんが、面白い考察が多々できたと感じています。

特に最後の部分ですが、Twitterもテレビも、実際にはそれぞれ、性格を持った「仮想世界」であり、お互いに牽制しあっています。メタバースを純粋にメディアと呼べるかは微妙ですが、そんな感じで、現実世界と牽制しあう役割を持つ世界になっても面白いなあと感じたりもしました。

そして、メタバースについてわからないなりに、あれこれ考えるうちに、なんとなくわかってきたような感じがするのが面白いところです(魔境かもしれませんが)。

次回以降も想像を広げて、形を作り上げていきたいと思います。(奈都)

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Studio Topia 5月テーマ「理想の仮想空間」
第2回「仮想世界として、SNSはどこまで戦えるか」
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