見出し画像

問題行動には、始点と終点の学習と感覚へのアプローチ。「始点と終点」がない混沌とした世界の、終点探しのお手伝い。(『せんせい、いっしょ。-特別支援学校のちょっと変わった先生の、ちょっと変わった教材の話-』#03 北野ちゆき)

少し間があいてしまいましたが、好評いただいている北野先生のエッセイ『せんせい、いっしょ。-特別支援学校のちょっと変わった先生の、ちょっと変わった教材の話-』第三弾をお送りします。
今回は先生が”原点”と呼ぶ、始点と終点のお話です。

障害児と共に暮らしていると、「わかるわかる」「あったなー」「いまもだな、、、」という、身に覚えのある行動の数々。先生はその原因を『目的に向けて連続した行為をすること、それ自体に難しさがある(本文より)』と言います。そしてそれらは『「学ぶ」ものだ(本文より)』と。

必ずしもこの教材を使ったからといって、根気のよい学習を続けたからといって、全員が習得できるわけではないかもしれません。万能な教材はなく、ひとつひとつその子の特性に合わせたオーダーメイドの教材が、ほかの子にも合うことがある、かもしれない。そして今回登場する一番の教材は、彼らのアクションにリアクションする先生自身かもしれません。

Studio oowaが特別支援教材に興味を持って北野先生にエッセイの依頼をしたのは、障害児の親たちに向けて「みんなで学習してできるようになろう!」ということではありません。ある個人のことを考え抜いて作られた特別支援教材の使い方や生まれた背景を知ることは、彼らの特性を、彼らの困難の理由や原因を知る手立てとして、最も適しているのではないかと考えたからです。
oowaに関わる障害児を育てる親や家族たちに限らず、先生方や支援に関わるケアラーの方々、直接障害のある方々と接する機会のない方にこそ、読んでいただきたいと思っています。

                       Studio oowa 加藤甫


<お知らせ!>
Studio oowaでは、そんな<特別支援教材を作る会>を、7月より毎月行うことになりました。北野先生の特別支援教材の研究・開発を中心に、oowaと仲の良いクリエイターの方々にメンターとしてご参加いただき、先生方のアイデアの具現化を目指していきます。また”教材を作りたいけど機材が足りない!”という方向けの回も行っていく予定です。詳細はまた追ってお知らせします。


隣を歩いていたはずの子が突然、ピュー!と走り出していく。
手をつないで歩いていたはずの子が突然、グッ!っと手を引っぱり座り込む。

隣に座っていたはずの子が突然、バンッ!と背中をたたく。
おもちゃで遊んでいたはずの子が、ガシャン!
突然、持っていたおもちゃを投げる。

突然はじまり、急に終わる行動たち。

私たちは日常生活において、始まりの点となる場面から終わりの点となる場面に向けて、持続した活動を行っています。食べ物を口に入れるという始点から、咀嚼してゴクンと飲み込む終点まで、私たちは持続して活動しています。「食べる」という目的に向けて、はじまりの「始点」とおわりの「終点」があるのです。

先の行動には、「始点と終点」がありません。
目的に向けて連続した行為をすること、それ自体に難しさがあるのです。
そして、それらは本エッセイ#2<「注視教材」で目を自分のものにして、世界と出会う。と同様、わたしたちが物心つく前に学び、習得したものなのです。


問題行動と呼ばれるものがある彼。
ひっかく他害、こめかみを叩く、自傷。

彼は、小学生の頃からずっと特別支援学校に通っています。いろいろな担任の先生とともに過ごしてきました。私が担任になったのは、そのうちの1年間でした。
興奮状態になって唾を吐き、水筒を投げると・・・自分の名前を叫んで「わるいこ!バツ!いけません!」彼は、特別支援学校のどんな先生に出会ってきたのでしょう。彼が受けてきたのは、特別支援、なのでしょうか。

嗅覚の鋭い行動がみられるので、怒鳴りつけて叱られやすく、一方で指導は少しでも落ち着いていることがメインになってしまい、、、やり取りの成立には根気のある支援者が必要です。そして、そんな支援者は少ないのです。

彼を担任した後転勤した私は、その後も根気のある支援者として、特別支援教材を使った学習を月に一度行ってきました。

集団中で刺激過多に流されて、今やること、次やることが薄まってしまう、彼の目と耳。
他害と自傷で、本能的で原始的で防衛的になっている彼の手と指。

これが外界だよ。
目は、こう見るんだよ。
指は、こう使うんだよ。
耳は、こう使うんだよ。
私が発する音(言葉)には、意味があるんだよ。
言葉は、こう伝えるんだよ。
これがやり取りだよ。
すごい上手じゃん。

毎月、伝え続けています。

遊んでいたかと思うと、突然玩具を投げる子。
目の前に食事があってもなかなか自分から食べ始めない子。
学習中も途中で気がそれて、頭を振ったり…全く関係ないことをし始める子。
「滑り台をしたい。」等の意思がないのに、いきなり教室を飛び出して行く子。
とりあえず教室の外へ、とりあえず屋外へ。
飛び出していった先で止められた彼には、終着点がない。

手をつないでのんびり歩いていたかと思いきや、急に手を振りほどいて走り出す子。
「ダメ!あぶない!」止められた彼とは視線が合わず、さっきの行動は何だったんだろう…と迷宮入り。

(私たち)大人は、
その行動の「意味がわからない」から、「自分勝手な子」「ワガママな子」「多動な子」「乱暴な子」「どうしていいかわからない子」と、ラベリングしてしまいます。
そうして、日々そのような行動をやめさせるか・放っておくか、の2択しかない状況に、しばしば遭遇します。

くり返しになりますが、かれらの行動には「始点と終点」がないのです。
目的に向けて連続した行為をすること、に難しさがある。
それが、かれらの行動の意味・背景です。

そして、それらは「学ぶ」ものなのです。
「始点と終点」は、学習の基礎・土台・根本であります。
なので、その行動を追いかけて止めさせるイタチごっこの指導以外にも、方法はあるのです。
「しょうがない。」と、見放すような見守り以外にも、方法はあるのです。まずは、それを学ぶ「始点・終点」教材をご紹介します。

♢ゴルフボールでチリン

手に持ったゴルフボールを、手を広げて落とし入れると…
ゴトンという感触と共に、チリん♪と呼び鈴の音が鳴ります。
おや?これは?
その表情が引き出せたら、それはもう、始点と終点の習得まで王手です。
「チリん♪と鳴らす」ことが、行為の終点となり、
ゴルフボールをつかむことが、行為の始点となります。
ゴルフボールをつかんで、穴を狙って手腕を移動させて、穴の上に来たらゆっくり手を広げて、ゴルフボールを離して落とし入れる…
目的に向けた行為の連続です。

大切なのは、行為がシンプルで簡単なこと。コイン入れやビー玉のプットインの場合、コインを持っては(行為としてむずかしいので)頭を振って、先生に促されては大きい声をあげて、「ここだよ!」の先生の大きな声に反射的に反応して、なんとか1つのコインを入れている。
これは、ぶつ切りの行為…コインを持っては意識が逸れて、入れ物を見ては意識が逸れて…行為の目的<入れる>に向けた連続したまとまりのある行為はできていません。
注目すべきは、「コインを入れられるかどうか」ではなく、「始点から終点まで、まとまりのある連続した行為をしているか」なのです。

突然走りだしたり、突然物を投げたり、食べたり・食べなかったり、入眠に波があったり、フリーズしたり、急に泣き出したり…これらの要因に1つは、繰り返しになりますが「始点と終点」がない混沌とした世界で生きているからなのです。

♢輪抜き


入れることより、取る(抜く)ことが目的(終点)となりやすい発達段階の子がいます。
「抜けた」と、その子が感じて口元に持っていったり見たりした後に、
抜いた物と彼の手に、手を添えて「できたね。」と言います。
終点の共有。
同じ瞬間を共有できる、教育の醍醐味です。

♢ビスコの缶


粉ミルクの缶は最強です。なぜなら、大きな音が出るから。
「終点」をつくることができる最強アイテムです。
育児期が終わった私は、防災用のビスコ缶を使っています。

ゴルフボール、ミニカー、くるみ…その子が持っています。
始点と終点がない彼らは、いずれ放り投げます。
その瞬間を、ビスコの缶でキャッチします。
カーン!!
あれ?という表情が出たら、その瞬間が私たちの「終点」になります。
1つの缶があれば、終点がつくれるのです。
教材に子どもを合わせるのではなく、子どもの興味をもった物が教材となるのです。

固い物を投げるから、他の子に当たったら危ないから、持たせない。
そう判断する環境も少なくありません。
私はパーテーションを使用して、”木曜日のこの5分はマンツーマンでやる”
と設定して、じっくり向き合える環境を作りました。

彼に、固いゴルフボールやくるみ等を持たせます。
そして、私はビスコ缶を持って、虎視眈々と「その時=終点」を待ちます。
「今だ!投げるぞ!」
その瞬間に、投げたものをキャッチ!
カーン♪
(私が出会った)彼たちは、微笑んだり不思議そうな表情を浮かべたり、ゆっくりこちらに視線を動かしたりします。
「終点」は、つくることができます。

♢ろうそく

私とある男の子の、大切な教材です。急性リンパ性白血病を発症していた彼は、すぐに疲れてしまって大好きなボール蹴りや滑り台、追いかけっこを楽しむ体力がなく「せんせ、はっぴばーすで。」と、学習の時間だけではなく遊びの時間にも求めてきていました。

ろうそくの火が灯って、♪ハッピーバースデイの歌を歌い、最後に火を吹き消す。
「もう1回!」
始点と終点を、何度も繰り返しました。
治療が終わった今も、大好きな教材です。
始点と終点(始まりと終わり)があることは、安心するのです。

吹き消すだけでなく、『ろうそく消し』を使って火を消すのも、始点と終点の教材です。慎重に火を消す姿には、厳かさえ感じます。

いくつかの教材をご紹介しましたが、
そのような始点と終点がない子と出会った時に、(私たち)大人が直面するのは行動上の問題だと思います。
学習場面での教材を通訳者とした「始点と終点」の学習をする他に、
日々の行動面での学習を紹介させてください。
その時に教材となるのは、あなた(大人)です。

♢いっぽんばしこちょこちょ

♪いっぽんばーし、こーちょこちょ、たーたいてつーねって、かいだんのぼって…
私は、何百回これに助けられたでしょうか。
給食の待ち時間、お迎えの待ち時間等、わかりにくいから咄嗟の行動が表れる場面。
明るく歌い、肌に触れながら楽しくかかわります。
歌は、聴覚で始まりと終わり(始点と終点)がわかりやすい。
先ほどの、♪ハッピーバースデイも、同じですね。

歌い終わり・触れ終わり…
もう1回くるかな?と待つ表情、「もう1回。」の要求。
始点と終点が分かったから、もう一度始まりを求める、学習の姿です。


【体ぐるぐる】
グラウンドで体育や朝の運動。
整列の瞬間・体操の合間に、彼らは駆け出します。
みなさんは、どうしますか?
「まって!」と言う。すぐに気付いて手をつかむ。「まずい!」と思って追いかけてつかまえる?

私は、追いかけて一緒に走って、なんなら私の方が全速力で並走して追い越して、彼の1m前で手を広げて向かえます。
1m程だと、速度も落とせないし、方向も変えられないから、私の胸に飛び込んでくる状態。胸に飛び込んで来たら、そのままハグでぐるぐる~っと回します。(回転が苦手な子には、抱っこでジャンプしたり、抱っこで逆さまにしたりします。)
その時の終点は??
そう、「ぐるぐる~!」なのです。
追いかけられて止められた子や怒鳴られた子は、それが終点になってしまいます。
そうして起きるのが、注目獲得と言われる行動です。

私自身が教材なので、「ぐるぐる~」を終点にします。
必ずと言っていい程、また走り始めます。また「ぐるぐる~」をします。
次は、「よーい、ドン!」
彼が勝手に始めるのではなく、私の声が始点になります。そして、迎え入れて「ぐるぐる~!!」。始点と終点をつくる、あざとい方法です。

それを何度かやると…
走り出さずに、ここでぐるぐるしよう!に応じます。
1つ1つの活動が終わったら、ぐるぐるしよう!に応じます。
全部終わったら、ぐるぐるしよう!に応じます。
彼が忘れていても、「終わったから、ぐるぐるしよう!」と誘います。
始点と終点を強固に学んでいくためです。

♢回転椅子


たくさんの彼らと、心を結びつけた教材が回転椅子です。
学校の職員室に必ずある回転椅子。私は、それを教材にします。

椅子を持ってくると、必ず座ります。
壁まで押して走って、止まる。
始まりと終わりがあり、快感からの「もう1回」のシグナルも生まれやすいです。

回転椅子に座った子の足をもって、
「1,2、の、3!!」
ぐるぐる~と回します(その子によって、回転の強さや長さは変えます。)
ぐるぐる周り、やがて止まる。
「1,2,3」の言葉で始まり、止まる。
始点と終点の学習なのです。

始点と終点は、学習の根幹です。
ひらがな文字が読める子にも、始点と終点の学習を行います。

「この子は、イラストと文字の対応ができるんです。」
というご相談にも、
1問1問の合間に、ピョンピョンと気がそれていたので、
難易度的には楽勝なんだけで、始まりから終わりまでまとまりのある行動をする「始点と終点の教材」をお勧めしました。

秋頃に少し落ち着かなくなり、教室から飛び出していく(なくなっていたのに…)彼にももう一度、始点と終点の教材の「棒差し」を取り組みました。

走り出していく彼らを止めるのは、瞬間です。
物を投げる彼らを止めるのは、瞬間です。
瞬間瞬間の指導。
けれどそれらは指導ではなく、ただの反応です。

瞬間瞬間の反応ではなく、子どもが育っていく指導をしたい。
けれど、それは明日に芽が出るものではありません。
あたたかい日を照らして、水をあげて…じっくり育てていく。

外界を教え、育てていく。
教育の始まりが、始点と終点。
なのでは、ないでしょうか。


問題行動のある子を、叱りつけないでください。
大きな音や威嚇で怖がらせないでください。
理解しようとしてください。そのために勉強しましょう。

怖がらせて叱りつけている子がいたら、とめてください。
そんな光景は異常です。当たり前ではありません。

どうすればいいかわからない、そんな時は周りに相談してください。
学校内で無理なら外部の専門家に聞いてください。

でもわかっています。経験しています。
現場には人が少ない。毎日、事故がなく安全に過ごすことが求められる、こなす毎日。
問題行動がある子には、人的環境が必須です。
この時間だけ1人、大人がほしいんです!上司にいってみてください。
現場の先生たちは疲れています。ご経験のある先生、一緒に方法を考えてください。
大学にビラを貼って、ボランティアを募集する、なんて手はないでしょうか?
学校内に回すのは無理、大変な子への支援アドバイザーを外部に求めるとか。

感じている違和感やキツさを耐えて、目を逸らすことは美徳ではありません。

大変!助けて!困った!わからない!
わたしたち教員にも、支援要求スキルが求められているかもしれない。

なーんて偉そうに語ってしまいましたが、、、

だからこそ、私は特別支援教材が大切になってくる、と考えています。
必要になってくる、と、自分に言い聞かせています。
それは大変な子だけに、ではありません。
静かなあの子にも、穏やかなこの子にも、です。

問題行動には、始点と終点の学習と感覚へのアプローチがマストです。
すぐにマルっと解決はしませんが、必要不可欠なのです。

目の前の子どもをみて、理解したいと思う。
触れ方、言葉かけ、視線のひとつで安心できる存在になりたいって思う。
教材を介して、やり取りが成立していく。面白さや喜びを空間的に共有できる。

自分と、感覚刺激だけだった世界。
その周りの外界が、徐々にクリアになっていく。
触りたい、やりたい、見たい、、、手や目、体が外界で生きる道具になっていく。
わかる・できるを積み重ね、外界が刺激ではなく情報となっていく。他者の発信に意味があることに気づき、伝わった経験が喜びになる。

そのツールとなる、媒介となる教材や授業の題材を、
これからも私は模索していきます。
研究して実践し続けます。
うまくいったものを発信していきます。

そして、その発信が媒介となって目の前の子どもの理解につながったり特別支援教育がワクワクになったり、するといいなぁ。

その夢に、本気で挑戦していきます。

                             (つづく)

執筆|北野ちゆき
写真・編集|加藤甫
モデル | oowa kids

主催 | 一般社団法人oowa
助成 | 横浜市地域文化サポート事業・ヨコハマアートサイト2024

【お知らせ!】
このたび、Studio oowaでは北野先生を中心に『特別支援教材を作る会』を毎月開催します!特別支援教材の研究・開発を中心に、特殊な加工や工作機械が必要な特別支援教材を作ってお持ち帰りいただける会や、アイデアはあるけれどどうやって具現化していいかわからないものをoowaのクリエイターの方々にメンターになっていただき実現する会などなどを行っていく予定です。特別支援教材を通して家庭や学校、施設での困りごとのお手伝いができればと思っています。詳細は追って、このnoteでお知らせします!お楽しみに!!

北野ちゆき

1988年青森県生まれ。宮城教育大学教育学部養護学校教育専攻修了後、神奈川県の特別支援学校教員として勤務。知的障害特別支援学校を3校経験し、多くの子どもたちと出会う。「学校をワクワクに」「子どもから学ぶ」がモットー。特別支援教育ならではのワクワクを広げるためにInstaglam(@chiyu_ki)での情報発信や、2023年より横浜市の放課後等デイサービスのアドバイザーなど、学校内にとどまらず地域や福祉へと関心の幅を広げている。特別支援教育をライフワークとする1児の母。

Studio oowa

横浜市西区にある一般社団法人oowaが運営するスタジオ兼コミュニティスペース。”oowa”とは、1人の発話が苦手なダウン症の男の子が使うオリジナルの言葉「おーわ」に由来する。社会がまだことばと認識できていない行動やアクションを探し、尊重・共有することでオリジナルのコミュニケーションを模索するばづくりをおこなっている。 Instagram|@studio_oowa


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?