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うつになってしまった①【自分のこと#6】

30代前半にうつと診断され、現在50代。
40代入ったあたりから、一応無事に生きている高校教員です。
「自分のこと」を、たまにお話しさせていただきます。お時間あればお付き合いください。



前回は、私が非常勤講師をしていた私立中高で、30才になる頃、専任(企業でいう正社員)のオファーをいただき、実際に専任教員になったお話でした。

本当は、非常勤講師のように授業だけをする教員に憧れており、できれば予備校で「有名講師」になりたい、なんて考えていました。

しかし、なかなか予備校での採用に至らなかった時に、専任のオファー。
しかも、結婚をしていて、将来の金銭面に不安を覚えていた頃。

一般的には、専任になることができれば嬉しいはずなんですが、私は授業だけに没頭したかったので、複雑な気持ちでした。

私立の教員で専任になりたい方は、世の中たくさんいることはわかっています。批判を承知の上で、私はこう表現します。


授業だけする教員を「諦めました」。
(専任なりたい方、申し訳ありません)



専任教員の仕事は、授業だけではありません。
むしろ授業の何倍も、さまざまな仕事が待ち受けています。

いちばん大きな仕事は、担任業。

私はコレに、苦しめられました。

授業は数年間こなしてきましたし、それなりに自信があったので「担任もなんとかなるだろ〜」なんて、たかを括っていたのです。

ところが専任3年目の時、クラスの生徒たちと、もの凄く関係が悪くなりました。
どうにも立ち行かなくなり、教室に行くことができないと、思い込んでしまったのです。

その結果、年度の最後の時期、2月に急遽、休職させてもらうことになりました。
この時、職場の方の紹介で、ある心療内科に行くことなったのです。


そこで、生まれて初めて「うつ」と診断されました。


「やっぱりそうだったんだ」という言葉が頭をよぎります。

それは、大きな悲しみでした。
しかし一方で、妙な安心感も、あったのです。

自分は病人なんだと思うことで、安心できたからでしょうか。


今でも、よくわかりません。


この後の3月も休職しました。
3月末に当時の教頭から電話があり「戻れないか」と言われました。
私としては、とても戻れる状況ではなかったのですが、なぜか「ハイ」と答えてしまったのです。

これが、さらなる悪化をもたらします。

担任は外れたので、負担は少ないはずなのに、好きだった授業をするだけでも、息切れをしたり、立ってられないときもある。変な汗もかく。

職員室の自分の席では、うつ伏せになって寝てしまう。周りから見ても異常な姿だったことでしょう。

あと、私だけかもしれませんが、台風が近づいて低気圧になると、頭がぐるぐるして起きられない、なんて状況も生まれました。

とてもじゃないけど学校に行けない。

布団の中から欠勤連絡をして1週間休んだりしたこともあります。


もう生きていても無駄だと思いました。
つまり、死にたい。


クラスの生徒との関係が悪くなったくらいで、そこまで…、と思う方もいるかと思います。

そうなんです。「…悪くなったくらいで…」なんです。世の中には、お前よりもっと苦しんでいる教員なんていくらでもいるぞ、と聞こえてきそうです。

でも、その時は、本当に、

死にたくて死にたくて仕方なかったんです。


で、…今にして思うことなんですが、

クラスとの関係が悪くなったことは、あくまでもトリガー、つまり、きっかけであって、うつになった原因ではないのではないか。

授業だけをする先生という「自分の居場所」を自ら捨て去ったことが原因だと、私は、思っています。

「自分の居場所」って、なくすと死にたいとまで思わせてしまうのかもしれませんね。


でもその時はまだ、わからなかったのです。



さて、そんな私ですが。

このあと、ちょっとずつではありますが、回復していきます。


それは、出会ったカウンセラーの先生のおかげかもしれません。

でも、今日ご紹介した以外の様々な症状に悩まされました。

次回は、そんな症状の話をさせていただけたらと思っています。


最後までお読みいただきありがとうございました。

メンタル不調にまつわることは、それがきっかけか、原因か、自分だけではわからないこともあります。是非、ご相談ください。
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