【楽園の噂話】 Vol.29 「量産型欠陥品」(No.0241)


 自分の心を表現するにも訓練や知識が必要だが長いこと自分の気持ちを理解せず考えを蔑ろにして、さらにその表現方法を訓練もしていないと、人は心の中のものを吐き出せずに過ごすことになり、それがいずれは水を入れすぎた風船のように破裂してしまう。

馬鹿げたことのように思われるが事実だ。
馬鹿げた、と考えるのはその心についても、そこに溜まるものについてもどちらも目に見えず手で触れないから軽んじているだけでこれは事実である。
こんなことをいちいち説明するのも馬鹿馬鹿しいが世の中はこれらが「無い」ものとして扱うことを前提にしている。


心の苦しみや痛みは「無い」。
だからそれは傷つけたり破壊しても絶対に法律で裁かれない。
破壊し放題である。
これがいじめやパワハラの真実である。


今はそれが言いたい訳ではなく、問題はそのように苦しめている存在が根本的に自分自身であることについてだ。
もちろん他者が多く原因であるが、しかしそこよりも、そもそも自分の心を自分がまるで管理監督出来ていないし、扱い方も分かっていない事が多くの問題であると考える。


はじめに書いたように自分の心を理解し活用するのは知識と訓練がいる。
だが基本的には尋常に生活すれば勝手に学ぶものである。
人はそのように出来ている。私はそう確信している。


しかし、現実は違う。そうはならないのだ。


これはこの問題に限らずあくまで一般論だが、通常通りに物事が進まないとき、それは何らかの問題が発生しているからと考える。
その問題を、障害物やトラブルを解決すればまた通常通りに進む。そういうものだ。


つまり普通に生活すれば人は自分の心について理解が深まりかつ扱いも心得るのだ。

だが、それが上手く行かない。


だとすればそれは何らかの問題、トラブル、障害物が存在するからである。


その問題というものがどうやって生まれたか。
それは個々人によると言いたいところだが根本的には共通している。


社会、学校、親。


この3つだ。


親は、学校と社会とその親が作り出す。
誰かの子供であるあなたも、そのように社会と学校と親が作った。


これは人種は関係ない。あるとすればその人種の親が子と違う環境で育ったということが大きいだろう。
繰り返すが親は社会と学校とその親が作るのだから。
つまりは国ごとや地域ごとの、学校や社会や親の周りの環境が大きな影響を与える。


あなたが心をうまく管理監督出来ずうまくその心を表現出来ないのだとしたら、それはそのように教育をされてきたからであり、それでいい歳まで生きてきたとすれば、そのぎこちない心を持つことこそが社会や職場で求められてきたスキルだからだろう。
つまりその苦しみや不快感や痛みは、そのように求められ作られたから発生したのだ。偶然ではない。


足を小さくする纏足用の拘束具のように、理想の型に嵌められることで社会の、学校の、親の求める姿になる。
それが心身の奇形を生み生涯の苦しみや痛みの元になって当人がもがき苦しんで生きるとしても、やった本人達はまるで意に介さない。
興味もない。知ったことではない。
その痛みや苦しみをこそ、彼らは求めているとも言える。


自分の心や身体の苦しみすら、まともに理解出来ず言葉にも出来ない奇形の感覚や思考回路を持った人間が生産される学校組織や社会が一体誰に求められているというのか?
疑問に思うこともあるかもしれないが、別に疑問に思うことすら馬鹿馬鹿しいほど単純な話だ。


実際に求められている。だから作られる。

何らかのニーズ無しに生産されることなど無い。
何しろどんなものであれ、コストがかかるのだから。


自分の痛みが分からないものに人の痛みは分からない。


分かったとしてもだから何なのか。
自分の痛みが最優先になるのだから、分かったとしても相手にしない。
助ける気を起こさないのだから。
つまりないのと同じだ。


その価値観は自分の周りに満ち溢れている。
だから周りに聞いたところで真の改善策など手に入らない。
皆同じなのだから無駄である。


解決としては、世間の流れや風潮から取り残されているものや弾かれているもの、置き去りにされているものに隠されている。
雨風で削られ名前さえ読めないほど古びた石橋は、先月建前を済ませた新築住宅よりも長くそこに居続ける。
サービス終了と同時に利用出来なくなった電子書籍は、水濡れでシワが寄って日焼けでザラついた表紙も無い古本の岩波文庫にも劣る。


結局、本当に信頼すべきものは時代を越えている。
タピオカミルクティーは時代を越えただろうか。
あんなものを今でも500円も払って飲む人はいるのだろうか。
何十時間もやりこみ、何万円も課金したゲームは時代を越えたのだろうか。
一体これまでに、どれだけのフザけた言葉が流行ったのだろうか。
その言葉や仕草が時代を越えたことがあるのか。
テレビ・マスコミが流行らせたものが、「おはよう」や「ありがとう」のように残ることは無い。


掴んでも手から消えていくものに労力も時間も使う必要など無い。


投機家は流行りモノに投資するが、真の資産家は価値の動くものになんて投資しない。
そして、何に投資したかなんて死んでも口にしない。
大切なものだから、人に言いふらすなんて馬鹿な真似は絶対にしない。口座の暗証番号を言わないのと同じことだ。


金であろうが情報であろうが何であろうが結局同じだ。
本当に大切なものは動かない。
だからそれを欲しがるものは動かそうと工作する。


別にバールを持ってこじ開けたりはしない。
持ち主に開けさせる。
言葉を使って開けさせる。
情報を使って開けさせる。


庶民は資産を持っていないが、一人の人間であることに変わりはないから、人間として必要なものや大切なものは持っている。
それはしっかりと与えられている。


でも、そうは教えてもらえない。
本当のことは教えてもらえない。


庶民は真実の情報を持つべきだ。
金を扱った情報ではなく、人生や心の情報だ。

支配的な組織は情報の統制を必ず行う。
というかそれが支配の条件と言っていい。


人生や心の正しい情報は、それを得ることで人は正しく賢くなる。
心身が健康にもなる。

苦しみを引き起こす原因が悪しき情報なのだから当然だ。
長年に渡り、幼い頃から悪の情報で育った為に心を狂わせ、肉体も思考も奇形になったのだから、治すには正しい善の情報が必要だ。


流行に乗らず時代に流されず、あらゆる場所に広がって、当たり前すぎて目に入らないほど珍しくもない。


でもちゃんと手に取ったことすら無い。
それが人を救う。


それが分かっているから、支配するものはそこから目をそらすように工作する。命令する。時に暴力を振るう。
飴もムチも使う。
ひとりの人間として扱わず括ってまとめようとする。
彼らには一人ひとりそれぞれに人生があるなんて理解出来ないしする気もないから。


解決にはそこから離れる事が必要だ。
正しい情報を得るために騒々しい状況から離れてしっかりと一人で考えないといけない。
薬を飲むのに水がいるように、正しい情報を自分の中に受け入れるのにはそれに見合った状況や知性がいる。


まとめる側が一番イヤな事は皆がバラバラになることだ。
でもそれは一瞬で実現出来る。
それは一人ひとりが自分のことを大切に考え始めればよいのだ。


何処でも代表者や有名人は数が限られている。パターンも似通っている。
しかし、一人ひとりが自分自身を見つめたとき、それはパターンも状況もバラバラになる。
5歳の子と50歳の男では状況も問題も違うから。
そしてまとめる側の戯言ではなく、自分の中の声に耳を傾けるようになるから時代や流行から遠ざかることが出来る。
田んぼに産み落とされたカエルの卵のような液体を飲まされる事は無くなるのだ。
そしてその人に見合った正しい善の情報を、それぞれが求めて理解し従う事で人は正しく成長できる。


とっても当たり前のことだ。

でもそれは、取り分けこの国では奇跡的な状況だ。
それが出来ないからみんな苦しめられる。

それが許されないからこのような国になった。




それをされたら困る人たちがいるから。





『マイノリティ・リポート』の冒頭に、「盲目の国では片目でもキングだ」という台詞がある。


心を生産的に奇形にされた世界では、バカでも普通なら王様に成れる。




下級国民の子供が生まれたら片足を切断する国がある。


庶民はみんな片足が無い。



その国の小学校で、秋に行われる運動会のかけっこは、いつも太った両足の子供が一等賞になるのだ。




片足の庶民は、このように求められている。




今現在も、哀しいほどに売れ続けているのだ。





【楽園の噂話】Vol.29



「量産型欠陥品」 (No.0241)




おわり





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