増穂曙鴻

サラリーマン卒業した55歳の男。にゃんとの二人暮らし。内向的でコミュニケーションを苦手…

増穂曙鴻

サラリーマン卒業した55歳の男。にゃんとの二人暮らし。内向的でコミュニケーションを苦手に感じる方を応援したいと思っています。

最近の記事

自分の価値観こそが道しるべ

また得意のお悩みタイムの最中です。個人事業主になって喜んでいるはずなのに、最近なんかモヤモヤとしています。 なぜだろう? 理由1 個人事業主として活動を始めるにあたって、人に自分のサービスを売り込むという未知の作業へのスゴイ抵抗感に見舞われている。 理由2 今また元職場で週2日働いていて、そこで安心感を感じてる(今日は休日出勤ですが、慣れた職場にホッとしている自分がいる) どっちもどっちなんだということの再確認をさせられている感じです。 …………………………………………

    • サラリーマン。陰キャには向かないと思っていたけど、良さはあった。

      退職した職場に、またバイトとして雇われて出勤しているという、奇妙なことになっています。踏み入れた個人事業主の世界と、サラリーマンの世界の二つを味わっています。 「かつての職場。違和感なく働ける。なんかいい感じ。」 「みんな、お帰りなさいとか言っくれてる。ちょっとうれしい。」 「安心感を感じる。辞めてこれを失くしたんだな。」 個人事業主として活動を始めてみると、まったく自由なんですよね。当たり前かもしれませんが。すべて自分で何かを決めて、自ら何らかの活動をすることになります

      • 「自分らしさ」の自分が、誰なのか分からない

        某牛丼チェーン店で新メニューに唐揚げが登場したとき、牛丼屋の唐揚げなんて・・・と思いつつ食べてみたら、そのおいしさに狂喜乱舞!!! おかしい。こんなにウマいはずがない。だって牛丼屋じゃん。僕の味覚がおかしいだけだ、と思って専門店の「からやま」や「からあげ本舗」で食べてみたんです。するとやはりこの牛丼屋の唐揚げ (゚д゚)ウマー なのでした。 この激ウマ唐揚げ(…あの、味覚は人それぞれなので、自分が狂喜しただけの面もあるかとは思いますが)、揚げ上がるまで待たされたり、大きさ

        • 人を避けて生きるのも、ほどほどにするしかない_| ̄|○

          合宿参加にあたり、2回ある懇親会の出欠表に両日ともバツを書きました。遠距離を盾に。本当は出られなくもないんですけど、出るのが億劫で… 懇親会って、字からすると仲良くなろうとか、親密さを増そうとか、そういうための場を言うんでしょうね。内向的な僕からすると、この言葉を見ると、疲労を感じるんです。見ただけなのに。 僕は起業しようと思い立ち、サラリーマンをやめたとこですが、さて個人事業主として自身のサービスを立ち上げて、皆に知らせていくにはどうすればいいのか。コーチいわく、「人と

        自分の価値観こそが道しるべ

          猫好きは内向的な性格が多いかも?

          今日2月22日は猫の日だそうで、にゃんと住んでる僕としては、ちょっと気になっていることを書いてみようと思いました。50歳を超えて、一人者で猫と暮らしていると言うのは、ちょっと怖いかもしれませんね。猫好きの男性の性格について、ChatGPTに聞いてみました。どんな人ですか?って。 <私> 猫好きの男性に共通する性格を教えて。 <ChatGPT> ~ここで述べる特性はあくまでも一般的な傾向に過ぎないことに注意してください。猫好きな男性に見られる可能性のある共通点は以下のような

          猫好きは内向的な性格が多いかも?

          平穏が人生のきらめき

          サラリーマンしていたときは、いつもいつも時間に追われていました。そのため何も考えずに済みました。この「忙しさ」というのは意外と効いていて、鬱にならず逆に健常な精神状態の維持に貢献していたという実感があります。 しかし、2018年の後半から人生の潮目が変わったようで、仕事がラクになってきたんです。するとどうでしょう。「人が生きる目的はなんなのか」という思春期に思い悩むようなテーマが、再び現れて結構苦しみました。このテーマ、答えがないように思うんです。 生きる意味や目的をもっ

          平穏が人生のきらめき

          生きることを肯定できたほうが楽しく過ごせるんだろうけど…さてどっちなのか

          生きるのは大変だと僕は感じています。僕がそう感じているだけで、大方の人は大変だけど生きること自体に疑問は感じていないかもしれません。反出生主義っていうのがありますけど、なんかしっくり来るんです。その考え方が自分には合っている。 生きてて起きる良いことは、あっても無くても良いこと。でも悪いことっていうのはあっては困る。だから生きるとマイナスにしかならない。なるほど、でもこういうことは、組み立てなくても感覚的に感じてる人が一定数いるのだろうと思います。ベネターさんもそうかも。結

          生きることを肯定できたほうが楽しく過ごせるんだろうけど…さてどっちなのか

          リア充でない自分を想い続けることが僕のリア充であるらしい

          正月に実家で甥っ子、姪っ子に会いました。甥っ子の一人は、元旦の朝まで友達とカラオケ。別の甥っ子は、2日の夜に友達との飲み会があるとかで、翌日の夕方に帰って行きました。もう社会人ですが、大学卒業後もよく同期と会って遊んでいるそうです。 前から感じていましたが、悔しいし羨ましい。きっと楽しい青春を送ってきたんでしょう(知らないだけで色々あるのかもしれないけど)。 姪っ子はスマホの写真を見せてくれました。そこには友達の写真しかない、というくらい友達の姿で溢れている。僕のスマホに

          リア充でない自分を想い続けることが僕のリア充であるらしい

          北陸のみなさまを応援してます

          被災されたみなさま、心より見舞いを申し上げます。 ちょっと胸が痛い。かつて富山に住んでおりまして、その土地柄をとても好きになり、あちこち行きました。能登は千里浜、禄剛崎、輪島、穴水など。離れた後も何度か訪れていて、能登半島を2013年に一周しました。 東京から移り住んだ僕からすると、驚くほど素朴で純粋な人たちでした。アルプスを越えた、となりの世界は心のきれいな人々が住む所でした。東京の人が汚れているというわけではないのですが、富山の人々と比べるとそっけなく他人行儀。内向的

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          静かな僕であり続けること

          今日は2024年元旦。内向的な方でおしゃべりの苦手な人に、ゆるくお付き合いいただければと思い、note始めました。生き方の一助にしてもらえないかと。 年が明けて何か切り替わったかのように感じますが、この命はずーっと続いていて、心のありようは昨日とほぼ変わらない。思春期のころから内向性な性格に困らせられてきました。いまはだいぶラクになってますけど、それでもどこか悩んでる。でも、一方でそういう自分がうれしく感じることがあります。 今正月を一人静かに過ごしてますが、自分の内側に

          静かな僕であり続けること