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生きることを肯定できたほうが楽しく過ごせるんだろうけど…さてどっちなのか

生きるのは大変だと僕は感じています。僕がそう感じているだけで、大方の人は大変だけど生きること自体に疑問は感じていないかもしれません。反出生主義っていうのがありますけど、なんかしっくり来るんです。その考え方が自分には合っている。


生きてて起きる良いことは、あっても無くても良いこと。でも悪いことっていうのはあっては困る。だから生きるとマイナスにしかならない。なるほど、でもこういうことは、組み立てなくても感覚的に感じてる人が一定数いるのだろうと思います。ベネターさんもそうかも。結論から立てた論理かも。


宇宙の真理は、すべてバランスしていて、どんなこともプラスマイナスゼロのはず。これを見つけていくのが、これから生きてすることの一つ。だから本当は誕生害悪論は誤りのはず。


なんだろうけど、今のところ、生きたくないが生きているという想い。死んでもいいと思い続けてきてますが、死の怖さはある。少なくとも包丁や鉄砲を突き付けられたら、たぶんダメ。命乞いするでしょう。強烈な恐怖に、目から鼻から涙を流し、失禁や脱糞したり。包丁を突き付けた相手もビビるくらいの醜態をさらすかもしれない…


”あなたは余命三カ月です”とかなら、ホッとするように思います。突然の病も理不尽な死ではなく福音。最近ネットのどこかで、父親が余命を告げられたとき、表情が明るくなった、というような記事を読みました。自分だけではない。


先日、マインドブロックを外すという施術についてお話を聞き、自分の想いを聞いてもらいました。


-僕-
「人間はこの世にいないほうがよい」
「生まれてこないほうが良かったと思う」
「僕はハエや蚊でも殺すのは嫌だが、人間だけは殺せると感じている」

-相手の方-
「・・・」
「その考え方の元になっている出来事の神経回路を断つと、より自由に考え行動できるかと思いますよ(^_^;)」


というやりとりがあり、このマインドブロックを外すというのを受けてみることにしました。3ヶ月くらいかけて、過去の出来事を洗い、心のブロックを外すと。なんか面白い変化があるといいなと。


人間は不要(自分も含めて)。全人類抹殺というようなことを前職場で時折しゃべっていましたが、「この人頭がおかしい」なんて言われてました。


漫画「進撃の巨人」に安楽死計画というのがありまして、彼いわく、自分らの民族は人に害を及ぼすので子を産ませないようにして自然消滅を図ろうと。その後の展開の中で「生きる目的は増えること」との発言。生きることは、増える目的に反する死と戦う惨状であるとも。なら特定の民族だけの話じゃない。全員じゃないとと思ったり。


この場面の続きに、思い出になっている楽しかった場面、それがなにより大切(な生きる意味)であったとのセリフがあって、先の後ろ向きなセリフの彼も、自分の思い出に照らして納得した様子。あの日あの時の日常はとても大切なものであったと。


そういえばそうかも。


最近、映画「ソウルフル・ワールド」を見まして、日常生活こそが”きらめき”であったという展開があり、僕が感じていたことへの答え合わせになっているように思ったということがあります。なんか考えが変わるときが来たのかもしれません。


ずいぶん長いこと思考停止状態だったんですが。環境が変わって時間ができて、性分の内観に浸ることが増えてきました。


お膳立てができてきた模様。ブロック崩しやってみます。

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