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運命に従う勇気


生きていれば自分の意志ではどうしようもない出来事が必ず起きる。

例えば天候がそうだ。何ヶ月も前から楽しみにしていたイベントの日に限って台風が直撃したりする。

他人の行動もそうだ。例えば仕事上の異動や昇進も、最終的な決定を下すのが自分でなければ、普段どれだけ良い仕事をしていても自分の希望通りになるかわからない。

自分の体のことですらそうだ。どれほど日々健康に気をつけた生活を送っていても、病気になるときはなるし、不慮の事故で突然身体の一部もしくは命を失う可能性だってある。


このような自分の意志と無関係に起き、身に降りかかる出来事全てを「運命」と呼ぶとき、私たちは運命に対してどのような反応を選択できるだろうか。

運命との向き合い方について、ストア哲学者達が好んで使う例え話がある。

それが「犬と荷車の比喩」だ。

想像してみてほしい。

犬が荷車に長いヒモで繋がれている。やがて荷車が犬の意志とは無関係にゆっくりと動き出す。

荷車が向かう方向は御者が決め、犬に決定権は一切ない。

さてこのとき、犬には二つの選択肢がある。

一つは、荷車の動きに逆らって踏ん張ること。

もう一つは、荷車の動きに合わせて一緒に歩くこと。

荷車が動くことや、動く方向などが気に食わずにその場で踏ん張れば、犬は荷車のもの凄い力に無理やり引きずられることになる。

引きずられ、抵抗し、暴れ、傷つき、もがき苦しみ、無駄な努力で時間を浪費することになる。それでも荷車は犬の意志とは無関係に悠然と進み続ける。

では、荷車に歩調を合わせた場合はどうだろうか。

荷車の動きに従えば、先ほどと違って犬は無理なく進むことができる。

必ずしも犬にとって望ましい方向に荷車が進まなくとも、歩調を合わせ、同じ方向に歩くことができる。

荷車に繋がれた長いヒモの範囲内であれば動き回ることもできるし、道中移り変わる景色を楽しむこともできる。


犬にとってどちらが賢明な選択かは言うまでもないだろう。


もちろんこの例え話の荷車とは運命のことであり、犬は人間のことだ。


ここまで読んで誤解してほしくないのは、運命は最初から決まっているんだから全て諦めろ!などと言いたいわけではない点だ。


日々の行動は自分次第で相当な範囲で変えられるし、他人にも影響を与えようとすることまでは自分次第でできる。

良く生きるために自分にできることは力の限り、可能な限り実行すべきだ。

しかしそうした上であっても、そこから起きる結果はすでに私たちの手元を離れたところにある。

それこそがここで言う運命なのだ。

その運命に対して私たちが出来るのは逆らって引きずられるのか、歩調を合わせて道中を楽しむかという、自分自身の態度を選択することだけだ。


私は近く行く家族旅行を非常に楽しみにしている。

そのためにも普段から無駄を削ぎ落とした生活を心がけ、倹約に努め、潤沢な予算を確保している。

もちろん数ヶ月前にはすでに宿の確保も済ませてあるし、仕事の関係者にも前もって休むと周知している。余裕を持って出かけられるように、仕事を効率的に先取りして済ませたし、旅先の下調べも万全だ。

さあ、出発だ!

ただし、運命が許してくれさえすれば。


私に出来ることは可能な限り全てやった。あとは出発を待つばかりだ。

しかしどれほど健康に気をつけていても、いつ誰が病気になるか、事故に遭うかわからない。

出かけられないほどの天候になることも、大地震が起きる可能性だってある。

そんな可能性をあげたらキリがない?

だからもしも運命が許してくれさえすれば出発できるし、出発できなくても本来何もおかしくない。

私たちは身に降りかかる災難を、なにかシステムの不具合であるかのように捉えがちだ。しかし、本当は不具合でもなんでもない。ただ、起きうることが起きた。それだけの話だ。


私は無事に旅行に出発し、トラブルもなく楽しく旅行を終えたいと願ってはいる。

それと同時に、出発できない可能性も、旅先で不快な出来事に遭遇する可能性も前もって受け入れている。

そうしておけば、仮にそうなっても幾分心理的なダメージは減るし、願い通り旅行を楽しめれば思わぬ喜びとなる。前もって別の案を準備しておくことも、今のうちなら簡単だ。

旅行に行けて、しかも楽しんだ上無事に帰れるのが当然だと思っていれば、運命が自分の望まぬ方向に進んだときに大きなショックを受けることになる。

また、そうなったときの備えも十分できないし、運良く事が運んだとしても、それは「当然のこと」なのだから喜びもそれ以上に大きくはならない。


運命に対して、私たちに出来ることは限られている。

運命は自分の望んだ方向に進んでくれるとは限らないと前もって受け入れること。

運命に左右されることのない自分次第の努力に集中すること。

運命が望まぬ方向に進んでも、それに歩調を合わせて道中を楽しむこと。


この3つこれだけだ。



私たちはどうであれ、運命の荷車から離れることはできない。

離れることができないからこそ、あなただけの運命との道中を、どうか楽しんで欲しい。


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