手話と僕とコーチングと
今回は、以前から考えていたことを言語化したくて記事を書いてみました。自分の経験を元に、もしビジネスをするならこんなことをしたいと思ったことを書きました。この記事を読んでいただき、みなさんの発想を刺激できれば幸いです。では、よろしくお願いします。
手話と僕
この書き出しだと、まるで手話が得意なかのように始まっていますが、実際にはあまり得意ではありません。日常会話程度のレベルと言えるかもしれません。以前は手話ニュースやYouTubeで手話の動画を見て勉強していましたが、最近はほとんど手話に触れていません。
手話を使う環境にいると、「なぜ手話を覚えようと思ったの?」「きっかけは?」とよく聞かれます。しかし、正直に言うと、自分でもよくわかりません。幼少期から将来、手話を習得する必要があるのだと漠然と思っていました。周りにデフ(聴覚障害者)の人がいたわけでもなく、おそらくテレビの一コマやワイプでしか手話を見たことがなかったと思います。逆になぜみんなが手話を習わないのかを不思議に思っていました。
そして、僕が手話を初めて習い始めたのは18歳の時で、近所の地区センターで開催された講習会に参加しました。参加して初めて1ヶ月半ほど経った頃に引っ越しの予定が決まり、指文字と自己紹介ぐらいでに終わってしまいました。その後、学業が本格的に忙しくなり、しばらく手話の勉強の時間が取れませんでした。
しかし、手話通訳士の友達ができたことで自然と手話を使う機会が増えました。
今思えば、その友達はかなりのスパルタで、数名で遊んでいる際に僕が話についていけないからたまに助けを求めると、手話で説明してくれました。僕的には音声で説明して欲しかったのですが、彼的には音声で話すと一緒にいるデフの友達が理解できないため、それは失礼に当たるとのことでした。今でも、耳が聞こえない人が手話を使っている様子を様々な場面で目にしますが、彼ほど手話が美しく使いし、言語としての理解度が深い人に会った事がありません。そう考えると自分はいい環境で手話に接していたのだって思います。
そのような環境にいたためか、デフの文化についても多く学ぶ機会がありました。たとえば、口話と手話の文法が異なる理由や対応手話、中間手話、日本手話の違い、他の国の手話の現状など、一般の人よりもデフカルチャーや組織に関して詳しい知識を持っていると思います。また、手話を使うと一般的には「耳が聞こえない人」と結び付けられますが、実際のケースはさまざまです。例えば、両親が聞こえず、本人も聞こえない場合や、両親が聞こえず、子供は聞こえる場合、途中で聴力を失った場合など、デフと言っても状況は多様です。
両親が聞こえない子供のことを「CODA(Children Of Deaf Adults)」と呼び、その環境での葛藤を描いた映画「CODA」で、デフの俳優がアカデミー賞を受賞したことは記憶に新しいと思います。デフと言ってもアイデンティティも様々で一概に一括りにすることはできません。ここでは省きますが人工内耳によるアイデンティティクライシスなども欧米では問題視されています。
僕とコーチング
僕は小さい頃から多くの人から相談を受ける機会があり、それに嫌悪感を抱いたことはありませんでした。友達が困っている時には相談しやすい環境を作るため、常に安定した精神状態であるように努力したりもしていました。その結果、自分自身が困ったときでも、他人に相談したり頼ったりすることが苦手な傾向にあります。
以前はコーチングについて知らずに、カウンセラーになりたいと思っていた時期もあったのですがあるイベントでコーチングに出会い、会話を通じて人々の内にある答えを引き出すコーチングが自分が追求したい方向性だと気づきました。そこから、いろんなコーチングの手法を勉強しました。いまだに、ちゃんと学校に行って習ったわけではないので正しくできているかは微妙ですがそのメソッドは理解しているつもりです。
現在、ビジネス・マーケティングコンサルをしているので、その時に習ったことは十二分に活かされていると思います。
必然か偶然か
コロナの影響で日本に帰国することになり、将来について模索している最中に友人から連絡があり、彼の知り合いがアメリカのデフ総合大学の大学院に留学を考えていて、そのメンター(コーチング)を頼まれました。
人生ほぼ勘違いで生き渡ってきている僕は、これは自分にしかできないと事だと思い、すぐに引き受けたいと連絡しましたが...。が、コーチングではコミュニケーションが非常に重要であり、それが根本になります。手話があまり得意ではない僕がそれを担当できるのかと引き受けた後に思いましたが、その若者は補聴器があれば高い周波数は聞こえ、話すことも可能ででした。
実際、彼は筑波技術大学(日本のデフ大学)に入学するまでは普通校に通い、手話も大学で学んだとのことで、一安心しました。
下記の文章を校正いたします。
彼は日本財団聴覚障害者海外奨学金事業を利用して留学したいとのことでしたので、まずは彼の留学目的を深く掘り下げるためにサポートすることにしました。
※学費だけではなく生活費もサポートしてくれる、かなり手厚い奨学金事業です。
個人的に、この財団の奨学金制度には馴染みがあいました。なぜなら手話通訳士の友人が数名、この制度を利用して留学していたからです。その関係もあり、友達の発表をみにその制度の説明会や留学終了後の成果発表会にも参加し他経験があったからです。
当時、自分が転々としていたので数ヶ月かけて直接5、6回会い、留学の理由や将来の計画について話し合いました。その結果、彼は無事に選ばれ、現在はアメリカの大学院に通っています。
※アメリカのデフ大学を舞台にしたNetflixのリアリティシリーズ。予告編をみると、彼らの大学生活をかいまみることができます。ちなみに彼は舞台になった大学の大学院に通っています。
ビジネスチャンス?
この経験を通して、さまざまな考えが湧き起こりました。
優れた人材が海外に流出している現状についても考えるようになりました。
また、逆にデフの方々が将来を模索する際に国内企業にこだわる必要性に疑問を抱くようになりました。
例えば、エンジニアは口頭でのコミュニケーションが少なくSlackなどでのやり取りが多くとも成果を上げることができます。
てことはプロジェクトコーディネーターが手話を理解できれば、プロジェクトの内容を伝える事ができ業務は特に問題ない。
また、最近はZoomやGoogleなどのオンライン会議システムで音声を即座に字幕化してくれる機能も登場しており、その字幕を翻訳することも可能です。そう考えると英語での会議をその場で字幕にして翻訳でき、その精度も年々良くなると思います。
しかし、デフの方々は本当にそのようなことに興味があるのでしょうか?
また、聞こえる人(僕も含めて)が自己の都合で思い描いているだけではないかとも考えます。
そこで、本題である手話を用いたコーチングが登場です。手話でのコーチングを通じて、当事者の考えや思いを理解し、そこから新たなサービスやプラットフォームの開発につなげられればと思うようになりました。
コーチング活動を行い、データの取集を行うのと同時に手話ネイティブコーチを育成します。コーチング文化を定着させ、次のビジネスにつなげる流れです。
例えば職業選択が限られ、やってみたい仕事の資格や経験がなかなか積めない。教えてくれる学校がないなどのペインポイントがあればそれを準備する。
例えばデフのエンジニアチームを作る場合、ネイティブ講師のオンラインのコースを作る、優秀な人材をエンジニアチームリクルートなどを流れを作る。
そこで培ったオンラインでの授業方法を活用してアメリカ手話(ASL)を教える。音声のオンライン英会話学校の多くがフィリピンの学生を講師として行なっているケースがある。フィリピンは音声同様にローカル手話とASLができるデフが多いので彼らに講師になってもらう。日本よりかなり就職難なフィリピン、デフの学生はさらに難しい環境に置かれているのでそこもサポートできる。
このプラットフォームがうまくいけば、日本だけではなく他国でASL教室も可能になる。
これらはあくまで僕の妄想のはなしです。が、あながち実現不可な馬鹿げている妄想ではないと思います。
最後に、簡単な事業計画書を作成しましたので、ご紹介します。これは僕自身のトレーニングの一環として作成したものです。
※本当に素案です。情報収取や財務的なものは思いつきです。
もし、最後までお読みいただいた方がいらっしゃれば、ありがとうございます。この記事をきっかけに、さまざまなイメージを膨らませ、新たな発想につなげることができれば幸いです。
ありがとうございました。